主のみ名によりて来たる者                           篠崎 誠吉
 「主のみ名によりて来たる者に祝福あれ」なんと愛に満ちた温かく励ましのみ言葉だろうと、心に思う度に感謝せずにはいられない。
 私がイエス・キリストに、全能なる神に愛の導きを戴くようになったのは、十代半ば頃から様々な試練や病に罹り、人間とは、との想いに内的に激しい葛藤に陥り、しかし読書が好きで良く多方面に渡り読んで行くうちに、日本の八百万(やおよろず)の神の宗教観に疑問を抱き神道の何かを学び、仏教についてもルーツを辿り追求し、日本人の多くは原点を中途半端にして拝しているのが釈然とせず、とことん書物を読んで行くうち、人があれ程大事にする、塔婆や戒名について是等は祇園精舎において、僧侶が修行相成ったと認められた時に、卒業証書の様な物として木簡に証を書いて授与されたのが始まりと知り、それ等の物を拝することは偶像礼拝の何物でもなく、仏教は 無に帰することと知り悟った。有名な道元は「仏も下駄も木切れの切れ」と云っている。そして「無常良く悟れる者は」苦しみ身に覚えずとも云っている。
 私はまったく共感し人間が造った物に人間が救えるかと、強く思った。武田信玄の菩提寺の和尚も、「心頭滅却すれば火も又涼し」と唱え、焼かれ死んで逝った。人間の心は常でないことを知らせた。
 私は無神論的な心に傾斜していった。しかし文学を読み進んで行くうちに、明治から日本の文豪と云われた方々の本に接して、多くの文学者がキリスト教に多大な影響を受け書物に著し、慰め、励まし、勇気を与えて下さっているのに傾倒していった。有島武郎が北海道の土地を小作人に解放し、又、芥川龍之介は何冊もキリストの証と素晴らしさを著している。私は特に、「奉教人の死」を読んだ時は内心大きな頷きをもってキリスト教とはこう云うものなのかと大きな感銘を受けた。
 時は過ぎ、或る日北千住の聖和教会の門を叩いた。私を待っていたかのような柔和で凛とした女性牧師にお逢いすることが出来て感謝でした。
 其の牧師には高倉徳太郎師を始めとし、名だたる牧者の本を頂戴し導きをうけた。
 さて話は変わりますが私もそれなりに躓きもあった。今から十六年前に自己受容他者受容することの大切さ、そしてキリストは救い主であると共に大カウンセラーであることを教えられ、愛の受容があってこそ人を許すことが出来ることを学び、前向き肯定的に生きて行くことが出来る事を身をもって知らされた。
 頭に大怪我をした時もあったが、今は主のお支えは相対的でなく、各々に対しては最善がなされていることを覚え、主に生かされている毎日です。 
(みつばさNo.232 9月号より)




   私の出エジブト記                        一柳民恵
 信仰の旅路四十四年、心の中の荒野をさまよい、神様に不平不満を言いっ放しで今日まできました。
 可憐な乙女時代の十三年間は、虚無との長いお付き合いでした。私が生きていたくて生きているんじゃない。このいやらしい目分を"神様あなたがお造りになったのでしょう。薄暗い人生の墓場のような所に迷い込んで、抜け出られなくなってしまいました。この、のたうちまわるような人生、やりばのない、表現できない虚しさ、これをなだめてくれたのが、伝道の書でした。なんとも小気味よい文章の流れ、腹の中にあるもやもやをこんなにも引きずり出して表現してくれました。これに救われました、息がつけたのです。
 しかし、伝道者コヘレトが言う、「空の空、空の空なるかな、すべて空なり」この始まりで表している空は、全く私の空ではない。コヘレトは言っています、われ日の下になすところのもろもろのわざを見たり。ああみな空にして風をとらうるが如し。
 コヘレトさんは1章一14節で全て見極めたが「見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった」と言っているように、悟りを得た方の空と、私のように、空に、ぶち当たって13年間も抜け出られない者の、空、とでは意味が違います。もしも同じ空であるなら、入り口と出口を間違えたということになるのでしょうから、これは、めっけものということになりますが、そうはいきません。それこそ悪魔にとりつかれて、引きずり回された挙句ずたずたにされて放り出されたという感じでした。今思うと貴重な時期でもありました。
 そして、その後の15〜6年間は救い主の未確認時代とでも言ったらいいでしょうか、聖書の中に書き表されている、御子なるイエスが、私の聖書の中から欠落していたのです。これはまた、つじつまの合わない不思議な世界です。珍問、疑問を当たりかまわず投げつけていました。
 ある時”私はここにいる”と肩をたたくように気付かせてくださいました、こうしてようやく落ち着いて来ました。
 年のせいか今は、みことばをありがたく受け入れる。あんなに、ささくれだってことごとく引っ掛かったみことばが、丸呑みでいただける。分かろうと分かるまいと関係なくありがたいと思って受け入れる。なんたる不思議、なんたる変貌。
「すべてに耳を傾けて得た結論。『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。」(コヘレトの言葉12・13)
 神様の導きをいただいて、今日の歩みをしたい、この世の思いは、すべて、中途半端に思えるのだが、お導きのままに……。アーメン
(みつばさNo.231 7月号より)




主の山に備えあり                          川端秀子
 私は幼い頃、父を亡くし、病弱な母と弟のために、神奈川県の海辺で育ちました。其処で入学した小学校の先生はとても熱心に、貝殻や図面を使って算数の九九や立方体の大きさ、五十音表の暗記や漢字の書き取り、童謡や和歌の暗唱など、数や体積の概念、文学や歴史への親近感が身につくまで指導されました。
 級友は海軍将校や華族、高級官吏、実業家、学者、芸術家の子女と、土地の小作農や日雇い労働者、行商人などの親のために家事の手伝いと子守りに忙しくて宿題をする暇もなく、用意してくるように命じられた学用品も買えずに、叱られ、立たされる子ら、と大きく分かれていました。私の幼い胸は深く痛み、「大きくなったら、どの子をも思いやる優しい先生になろう」と決心しました。
 高校生時代、私は努力をすればする程、自分が欠点だらけで、人生や社会のことも知らず、真理とは何かも分からず、このままでは、とても先生にはなれないと思い、教会に足を運ぶようになりました。しかし、「疑わずして信ぜよ」との諭しに従うことがどうしてもできませんでした。もっと学び、もっと自分を磨こうと願って大学に入って間もなく、努力のしすぎで過労に倒れました。
 療養している内に、大東亜戦争が始まり、尊敬していた先輩や友人など、多くの命が失われました。もう神に逆らっている時間はないのだと焦っていた時、「一切を捨てて、われに従え」との御言をうけました。逃れられぬ思いで洗礼を受けた瞬間に、全身の力が抜けて涙が溢れました。
 不思議に生命を守られて六十年。数知れぬ試練の中を、神はその度に思いもよらぬ道を備えて下さり、よき恩師、先輩、友人、家族を与えられて、今日まで導かれました。私の若き日の思い上がりは砕かれ、ひたすらしもべの道を歩みながら、ますます自分の弱さ、罪深さを思い知らされます。そして、すべての子らを愛し、守り、導かれる主イエスの御足のあとに従う方々が、私の周囲で、一人一人の子どもたちへの愛に生涯を捧げて居られるのを見て、喜びに溢れます。
 いま私に出来ることは、祈ることだけです。主は日々、祈るべきことを私に示されます。
私の好きな聖旬を掲げましょう。
「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。」
(詩編126・5)
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
(マタイによる福音書28・20)
(みつばさNo.230 6月号より)


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