神さまにお任せ!
薩摩 牧子
 「おはよう」「おはようございます」。今朝もCSのお礼拝に、元気な子ども達がやって来ます。子ども達の元気な笑顔を見ていると、私が今こうしてCS教師としてここにいる事の幸せを感じます。私がCS教師になるなんて……。
 私はクリスチャンホームに育ちましたので、教会学校には当たり前のように通っていました。けれど教会学校での私は決して良い子ではありませんでした。さすがに礼拝・分級中はおとなしくしていましたが、礼拝が終わった後は友達を誘い、中学科の部屋に向かい、ドアを開けて説教のじゃまをしたりしていました。何度注意してもきかないので、中学科はドアに鍵を掛けて礼拝をしていました。それでもやめず、ドアをドンドン叩いていた事を思い出します。
 中学生になってからは、反抗期と思春期が一度にやって来た様で、礼拝に行っても話さない、歌わない、説教中は近くの物を触って遊んでいる、そんな状態が続きました。学校ではいじめに遭い、毎日がトンネルの中を手探りで歩いているようでした。
 中学二年の時に、学校で足の裏に何かが刺さった様な痛みを感じました。棘でも刺さったのかなと思っていましたが痛みが強くなり、病院で診てもらいました。毎日シップをしていましたが痛みは無くならず、1ヶ月後レントゲンを撮って針が刺さっていた事が分かりました。手術をして取り除く事になったのですが、その日が近づくにつれ、私の不安はどんどん膨らんで行きました。
そんな時、私はある御言葉を思い出しました。家のトイレに貼ってあって、毎日なにげなく読んでいた御言葉でした。「……わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。……。」(口語訳 ガラテヤ人への手紙2・19〜20)「あっそうか。生きているのは私じゃなくて神様なんだな。手術を受けるのも私じゃなくて神様なんだな。あー良かった!」と、自分なりの解釈をしてホッとしたのです。手術当日も「自分じゃない!ない!大丈夫!」と自分に言い聞かせて病院へ向かったのです。
 あれから○年経ちましたが、私の神様に対する思いは変わっていない様な気がします。(成長していない?)今でもつらい事にぶつかると「神様どうなさるんですか?私は身体をお預かりしているだけですから、神様が考えて解決して下さいね」とお祈りし、すべてをお任せしつつ、時々(?)自分が顔を出す様な信仰生活を送っています。これからもきっと……。
 神様、この文章はこれで良いですか?私は代筆ですから神様責任取って下さいね。よろしくお願いします。
(みつばさNo.244 10月号より)
   
   神様の言うとおり
倉田 彩子
 25年前、越谷幼稚園の採用試験を受けさせていただいた時の事を思い出します。面接で「将来洗礼を受ける気持ちはありますか」と尋ねられ、「今はまだわかりません」とはっきりと答えた事、細かい事はどんどん忘れて行く私ですが、この事は今でもしっかりと覚えています。
 本当にわからないから「わかりません」と正直に答えてしまった私を、神様はこの時からずっと見ていて下さった。もしかしたら私が幼稚園の彩子ちゃんだった頃から覚えていて下さったのかも知れません。こうして私は越谷幼稚園でお仕事をさせていただく事になりました。そして神様はこんな私が一番わかりやすいかたちで、子ども達を通して導いて下さいました。
 就職して三年目の春、1982年4月11日イースターに石橋先生より洗礼を受けました。この日讃美歌199番を賛美しながら、何故か涙が溢れた事も覚えています。ところがその後の私の信仰生活はと言いますと、とてもお伝えできるような立派なものではありません。(だからみつばさのこのページはお引き受けできなかったのです。本音!)私の心の十字架は折りたたみ式で出し入れ自由でありましたから……。子ども達との生活の中で、子ども達に手をつないでもらい、引っ張ってもらい、背中を押してもらわなければ歩み続けて来る事ができなかったでしょう。
 神様を信じる事ができるようになってたった22年ですが、私にとっては本当にたくさんの出来事がありました。苦しいと思う事もありましたが、どの時も「大丈夫、大丈夫」と言いながらなんとか歩んでこられたのは、どんな時にも必ず朝を迎えさせて下さる神様がそこにいて下さったからだと思います。折りたたみ式だった十字架も、与えていただいたたくさんの一日一日のおかげで、22年経ってたたみにくくなりました。感謝です。
 私は持てるものの少ない者です。「神様もう少し多く授けて下さっても……」と自分の努力を棚に上げて文句を言ったりもしますが、でも神様はすべてご存知で、私がどんな文句を言おうと泣き言を言おうと涙を流そうと勝手なお祈りをしようと、こんな私でもその場所にいなさいとおっしゃるのです。ですから♪神様の言うとおり〜♪にするしかありません。
 家族がいる事、友がいる事、たくさんの幼な子達がいる事、大切な幼稚園がある事に感謝をして、神様がいて下さいますから、これからも一生懸命に生きて行きたいと思います。
(みつばさNo.243 9月号より)
   
   イエスの十字架       
奥田 尚子
 昨年10月、私は夫と徳島の鳴門海峡のすぐ近くにある大塚国際美術館へ出かけた。これは、西洋の名画1074点を写真に撮って、実物大に陶板に焼き付けたという、世界初の陶板美術館である。
 ここで、私は「信徒の友」四月号で田辺保氏によって紹介されていた、マティアス・グリュウネヴァルトの、イーゼンハイム祭壇画を見ることが出来た。三重になっているこの絵の、第一面にはキリストの磔刑が描かれており、観音開きになっているそれを開くと、第二面に復活のキリストが現れる。
 この絵に描かれているキリストは、美術全集やホームページの紹介文を借りると「十字架の横棒は、中途で叩き切った枝が使われていて、それが体の重みのためにたわみ、キリストの両腕は両脚と同じ位に異様に長くなり、指先は虚空を掴むように天に向かって引きつったまま硬直している。脚は妙な形によじれていて、足下に血が滴り落ちている。体中に鞭打たれて破られた皮膚、あばら骨の目立つ体の肉はすでに腐敗している」という、実際に死臭が感じられる位のリアルさである。
 ゲッセマネの園でイエス様が祈られたとき、聖書に記されている「この杯を取り去ってください」という祈りの言葉と「わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」という祈りの言葉の間には、どれだけ苦しみの言葉が吐かれたことだろうと想像する。
 イエス様は「私は、お前の痛みも苦しみも辛さも、全部背負ったのだから、お前は、自分の十字架を背負いなさい」。「お前は、私の荷を負いなさい。私の荷は軽いのだから」とおっしゃっている。私はいつも考える。私の十字架は何だろう。何か困難に出くわした時、これが、イエス様が負いなさいと言われる重荷なのだろうか? と自問する。
 もしそうなら、きっとイエス様が一緒に背負ってくださるのだから、きっと負う事が出来る、と信じる。そして、実際何度かそれを経験してきた。
 イエス様が与えて下さった荷は、確かに軽く、何らかの形で助けられて背負ってゆく事が出来るのだ。
 讃美歌285番に「主よ飲むべきわが杯選び,取りてさずけ給え」という歌詞がある。イエス様が私のために選んで授けてくださる杯ならば、逃げないで飲もうと思う。イエス様が、自分に何をしろとおっしゃっているか、いつも耳を傾けてゆきたいと思う。それが、聖書であり、日曜毎の礼拝で与えられるみ言葉であり、また色々な書物等を通して与えられる言葉であり、そして、このキリストの磔刑の絵に対面することによって、聞こえてくるのである。

(みつばさNo.242 7月号より)

   

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