主と共に
亀井 通子
 牧師である夫と共に、教会に仕えて30年余りになります。30年の間には色々なことがありました。
 思い出すのは、主任牧師として、最初に赴任した富山の砺波市の教会でお会いした大先輩の牧師夫人です。彼女は、戦争中、教会と家族を守るために苦労した話をよくされましたが、とりわけよく話されたのは、「本当に困った時、神様はいつも具体的に助けて下さった」ことです。私は話を感心して聞きながら、自分にそこまでの体験のないのは残念だな、と思っていました。この夫人は中々厳しい方でしたが、何年か後、病気で寝たきりの状態になられ、最後には言葉も出せなくなりました。でも、言葉をだせなくなる直前、ご主人に「キリストは私の命、私の全て」と信仰告白をされたそうで、今でも忘れる事の出来ない方です。
 その後、神様に背中を押されるように仙台、鹿児島と任地が変わりました。神様の背中の押し方は、ある時はソッと、ある時は強引に、それはいつも不思議な感覚でした。
 その中で分かった事、それは、私たちがやるだけやってそれでも出来ない時、本当に助けが必要な時、神様は必ず助けて下さるという事でした。それが、自分にとってプラスの形であれ、マイナスの形であれ、助けは必ず来ました。
 面白いことも分かりました。それは、必ず来る助けは、ギリギリにしか来ないということです。余分には決して来ないということは、後は自分で出来るでしょう、という事でしょうか。「ここが、神様の神様たる所以だな、でももうちょっと手伝ってくれてもいいのに!」とブツブツいいながら、必ず見ていて下さることを肌で感じながら、今まで歩いて来られた事を、感謝しています。 
(みつばさNo.258 1月号より)

      

主に護られて
  鈴木 恵子
 振り返ると私には様々な試練がありました。今から23年前、短大を卒業し就職して2年目の冬の事でした。それまで健康であった私が背部に強い痛みと吐き気を感じ某大学病院を受診しました。検査の結果慢性膵臓炎と診断され入院治療をする事になりました。医師の指示に従い絶飲絶食療法が約1ヵ月に渡り行なわれました。私は、47キロあった体重が33キロまで減少し薬の副作用で頭髪も抜け始めました。さらに点滴による治療を続けるために医師は、中心静脈注射を行い絶食療法を続ける事を両親に告げました。この頃、私の体力は限界でした。
 この治療法に疑問を持った両親は、度々医師に問いただしましたが、これ以外の方法はないとの事でした。両親は心配のあまり八方手をつくして転院先を探してくれました。その時、父の頭に浮かんだのは若い頃お世話になった外科の医師でした。翌日父は、その医師を訪ね私の状態を話しましたところすぐに転院先を探して下さり、国立病院の消化器外科の部長先生を紹介して下さいました。入院先の主治医は転院を反対しましたが、父はそれを振りきり私は国立病院へ転院する事が出来ました。
 この病院では体力の回復を待って膵管造影や、その他の詳しい検査を行い膵臓炎ではなく腸の疾患である事が判りました。一命を取り止める事が出来たのは背後に神様が護り導いて下さった事を思い深く感謝いたしました。
 毎年クリスマスを迎えると、この時の事を思い出します。この治療法で免疫力を失った私は、ひどいアレルギー体質となりさまざまな病を負いましたが、いつも絶望的と思えるその所で神様は護っていて下さいます。
 「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」   (新改訳 コリント T10-13)
 この御言葉にいつも支えられ歩み続けたいと思います。    
(みつばさNo.257 12月号より)

      

仕 え る
川田 光江
 母子室で奏楽奉仕者のF姉と礼拝前のお祈りの為に牧師をお待ちしていた。「ア!!鉛筆はドコ?」あせって汗がふき出し、立ちあがろうとする足は萎えて動かず。F姉が「大丈夫よ、私が持って来るわ」と穏やかなお顔。どのように講壇の司会者席に座ったかもよく覚えていない。
 悪友に「心臓に毛が生えている川田さん!!」と言われ、「そうよ、三つ編みにしてリボン結んでるの」なんて軽口をたたいている私のなんと情けない姿。血圧が急上昇しているだろうと、とんでもないことを考えていたり。でも兄弟姉妹のアドバイスや励ましの祈りを思いおこし、静かに目をつぶると心が静まり、ひと言ひと言かみしめながら司会をさせて頂いた。でも、心身はゆれつづけている感覚に襲われていた。
 無事(?)礼拝が終わってホ!!、と同時にアッ!!アッ!!、イエス様がずーと側に居てくださり、重量級の私の心身をしっかりと、汗をかきかき支えていてくださった事を思わされ、言いしれぬ喜びと感動で口元がゆるんでしまった。これ程までに無意識の中で神を畏れもがいていた私。神様から長老の奉仕を頂き、最初の生涯忘れてはならない体験である。
 「川田さん、必ずその時が与えられますよ」。昨年、長老推薦のお断りを伝えた時の鎌田牧師のことば。
 「これからは、日曜日は自分の為に過ごして良いんだよ」。五月に召された舅のことば。
 「なんてもったいない。神様からの素晴らしい恵みのご奉仕を」。まだ迷っていた時の他教会婦人のことば。
 神様から選ばれた者として常に謙遜に(神に対しても人に対しても)仕えるのみです。重いことです。苦しいことです。でもひたすら神を信じ祈り仕えます。神共に居てくださいます。
 ごう慢な心が、むくむくと頭をもたげた時、イザヤ書53章、特に5節は私にとってひたすら神に赦しを乞い祈り、涙するみことばです。
(みつばさNo.256 11月号より)

         

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