教会学校の思い出 |
菊地孝枝 |
「菊地さん、教会学校どうかなぁ」と校長の須賀実兄に声をかけられた。家族の事を気遣いつつかけて下さった声を神様の声とも思い、子ども達と一緒に遊べるのなら…と承諾の返事をした。 それから一週間後、初めて出席したCSの礼拝にビックリ!何と、信徒である先生方が聖書のお話をされているではないか!わが子も通わせながら「おまかせ」だったので何も知らなかった。「知らないとはコワイこと」と思いつつ、もう後には引けない、やるしかない!と思った。 聖書のお話の準備は先ず祈りから、そして与えられた箇所と「教師の友」を何回もよく読んで、自分なりのお話を組み立てていく。分かりやすく絵を描いたり、伝えたい事を逃してはいけないと私は一字一句を書いていった。先生方はどなたもそれぞれに工夫し分かりやすく話されていたが、共通しているのは極度の緊張感で臨んでいる事だった。互いに励まし励まされながら、元気な子ども達にたくさんのパワーと恵みをもらいながら歩いていた。 ある年の夏期学校で私がお話をするハメになった。大自然の中で、いつものように原稿を見ながらお話をする訳にもいかず、肝を据えていろいろ考え あの自然の中でハーモニカと一緒に讃美歌を歌ったら気持ちいいだろうなぁ なんて楽しいことも考えながら、お話の方は思い切って原稿なしでポイントをおさえて話をつないでいこうと決心して臨んだ。幸い私は山梨で自然児として育ったのでお話はやりやすかったように思う。 原稿なしで話す。「清水の舞台から飛び下りる」ような体験ではあったが、しっかり御言葉を理解していなければ子ども達に伝えられないと思い、この経験は以後、私自身の訓練と大きな学びになった。 礼拝前、みんなの心が一つになってシーンとなる一瞬、しっかりお話を聴く子ども達の表情、分級、行事等たくさんの楽しい思い出と恵みいっぱいの11年間でした。 |
(みつばさNo.263 6月号より) |
親子共に主に生かされて |
亀井周二 |
二月はじめ、長男が教会生活をしている札幌の教会の牧師から「本人は『恥ずかしくて送れない』と言っていましたので私から」、とクリスマス祝会での長男の証が載った教会報が送られてきた。 早速読んでみると、そこには親達もよく知らなかった彼の本音が書いてあった。「小さい頃から、牧師の息子ということで好奇の目で見られたりからかわれたりして、親元を離れてから教会に行くことが恥ずかしく思えた事、テニスに夢中になって留年しそうになった事、父親が癌を患った時は死ぬと思った事、それらが信仰上の親離れ、一人で神様と向き合うきっかけとなった事。 又、内面的にはイエス様を裏切った弟子達と教会に行かない自分のだらしなさを重ね合わせ、慰めを得ていたのが、よく考えてみたらイエス様を裏切りつつもイエス様から離れず、復活のイエス様に出会った弟子達よりも、イエス様の正しさを知りつつも自分の身の安全を考えてイエス様を見捨てたピラトの方が自分に近いことを知り、信仰告白をした事」等が書いてあり、彼の本音を初めて知った。長男は、理学部修士終了の時指導の先生から「お前、この後どうするつもりだ」と聞かれ「オレ、医者になります」と答え「お前、アホか!」との励ましの言葉を頂いて予備校へ。現在30歳、医学部5年生。 彼は嘗て父に「牧師の子供で牧師になる奴の気が知れん。オレはテニスのレギュラーになりたいから礼拝に行く暇はない!」と言っていた。 最近、土曜日夜遅くにノンビリ気分で電話をすると、「一日中勉強とバイトで忙しい上に、これから明日のC・Sの準備がある」と短く切られ、我が身の愚かさと神様の素晴らしさを思う。 嘗て私は牧師の立場で「子育て、信仰教育は、不完全で自己中心的な親の愛と信仰より教会に、神様に任せなさい」と語ったが今は愚かな父親としてその言葉の真実さを感謝の中で噛みしめている。 |
(みつばさNo.260 3月号より) |