主に生かされて
須賀 工      







 私はこの夏期伝道実習において、東大阪市にある枚岡教会に遣わされました。実習中は、四度の主日説教、祈祷会、家庭集会、そして四度のキャンプでの奉仕など、肉体的には冗談でも楽とは言う事の出来ないスケジュールの中で、様々な奉仕をする機会が与えられました。その短い準備期間で、神様の御言葉と向き合い、時に格闘しながら、教会に仕えていく喜びを深く味わう事を学ぶ事が出来たのではないかと強く思わされます。
 枚岡教会は、目の前に生駒山を見渡せる所に建っています。ご存知の方もいるかもしれませんが、生駒山付近は様々な宗教が轟きあっている山であります。石切神社を始め、枚岡神社、瓢箪山稲荷神社など、無くなってしまったものや隠れているのを入れれば、約六十もの神社等が存在するそうです。そして、山中には、数える事の出来ないほどの、占いの館があり、正に様々な宗教が同居している山であると言わざるを得ないのです。その只中で、枚岡教会からは、五十年以上前から神の福音が響き渡っているのです。それだけではありません。教会の方々の中には、出身教会が教団ではない方が沢山、いるのです。福音派、ルター派、聖公会、純福音、ペンテコステ、ホーリネスなど、様々な背景を持つ、兄弟姉妹が、心を合わせ、一心に心を神に向けて、礼拝へと集い、高らかに神を賛美する時を過ごしているのです。私は、この事を知り、歴代の牧師先生や現在の牧師先生がいかに、苦労されたかという事だけでなく、どのような困難な状況であっても、神の福音は確実に述べ伝えられ、全ての人間はその光の中で、完全に一つにされているのだという事を強く知り、ただただ神様の生きた働きに大きな感動を覚えながら、一カ月の間を過ごす事が出来たかと思います。
    







この大きな感動に合わせ、教会の方々の祈りや配慮を通して、本当に自分は、神様と沢山の人々に支えられ、そして生かされている事を強く思いながら、同時にその支えに、答えられるように、学びと奉仕を進めていきたいと感じる事の出来た短い一カ月間であったと思います。又、この実習は、説教や教会の働きとは何かを学ぶだけの時ではなく、神の力強い生きた働きを、本当に近くに感じる時として、与えられたと強く思うのです。
これから、又、越谷教会での奉仕、学校での学びへと戻っていきます。神様を通して与えられたあの強い感動、そして多くの人々に支えられている事を決して忘れず、これからの学びを進める事が出来ればと思います。そして、日々感じていく、説教者、牧者へと導かれている自覚を強く心に留めて歩んでいきたいと思います。更に日本の各地で、伝道、礼拝を行う教会を強く覚え、私達が福音の光の中で共に栄光を受けている事、「完全に一つ」とされている事を常に思い起こしながら、祈り合い、慰め合い、そして心と声を合わせて神を賛美する神の一つの共同体として、感謝と喜びと共に、伝道の奉仕へ共に向かっていきたいなと思います。







(みつばさNo.276 9月号より)

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