主に生かされて

安らぎのうちを

Y.S  

 9月の「憩いの会」に初めて出席させて頂きました。月一回御言葉を聞き、賛美と祈りを捧げ、牧師先生と交わる会です。
 そこで与えられた御言葉は、マタイによる福音書11章25節から30節でした。
 25節「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」そして、次の御言葉です。
 29節「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」と。口語訳ではどちらも休みなのですが、共同訳では29節は、安らぎなのです。英訳ではどちらもレスト。そのレストの中には、心の安らぎなどの意味もあります。先生は休みと安らぎは違うと言われました。安らぎは教会の枝につながる事により与えられるものだと。イエスさまと共に軛を負い、礼拝を捧げ、奉仕をする事であると。ただ休む事だけしか知らなかった口語訳育ちの私にとっては驚きでした。その後楽しい交わりのひとときを過ごしました。

 
    

 さて、私事になりますが、最近「目からまつげ」の経験をしました。「目からうろこ」という表現はパウロの回心の時にありましたが、私は目からまつげが出てきたのです。下まぶたの奥からそれも6本もです。女医先生は「しまいこんでいた」と。
 その事からいろんな御言葉が浮かんできました。イエスさまのちりと梁の話(マタイ7・5)、そしてタラントのたとえ話(マタイ25・14)などです。
 そんな事を考えていた私に神さまはすごい、と思いました。シルバー人材センターの仕事で植木の水やりをしていた時です。西日のあたる庭にホースで水をまくと、小さな虹ができました。「神さまが共にいてくださる―」弱い私と。感激でした。
 教会の枝に連なり約半年、小さな歩みですが、皆様の熱心な笑顔と共に、安らぎのうちを歩んでいきたいと思います。

(みつばさNo.277 10月号より)

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