主に生かされて

      父との絆

        高桑真代
 
 越谷幼稚園の保育者であり、越谷教会員である私がなぜ礼拝に出席できないでいるのか理由をご存知の方もいると思います。
 その中でなぜみつばさの原稿の依頼があったのか。礼拝に出席できない中で何を書けば良いのか悩み、断ろうとも思いましたが、今ペンをとっています。

 私の父は静岡県掛川市にある日本基督教団掛川教会で牧師をしています。
 父は五十歳を迎える時(私が小学5年の時)献身をしました。その時、私の姉は拒食症で入退院を繰り返し家族みんなが姉の病気の回復を祈り支え合いながら過ごしていました。
 そんな中での父の献身。大学生の姉、病気の姉、まだ小学5年の私を抱え、家族を支える一家の主として献身する道を選んだ父の姿に強さを感じます。

 家族の絆を守る為に静岡から新幹線で聖書学校に四年間通った父。その中で姉の病気が悪化し生死をさまよい、そして片目の失明と過酷な日々は続きます。
 それでも両親の祈りと絆は強く、その中で私は支えられながら過ごしてきました。あまり「辛い」と言葉にしなかった父が最近私にどんな思いで献身したのか、献身にいたるまでの人間関係の悩み、献身中の苦しみを語ってくれました。
 そんな苦しみの中で神様に委ねた父。苦しみ、悩みを経験したからこそ人の痛みに寄り添える牧師であり父の姿を誇りに思いました。

 私は頻繁に掛川に帰り、父の聖書の言葉を聞いています。悩み苦しんでいる私の心に父の語る聖書の言葉はしみ込み、そして勇気と力が湧き、越谷に帰る事ができています。その言葉を同僚の先生も力にしてくれて、一緒に保育の業に付く事ができています。

 私がどんな環境の中にいても聖書のみ言葉を語ってくれる父の愛に感謝してこの文章を贈ります。
(みつばさ No.290 2008年12月号より)