主に生かされて

  五月の風 
鈴木 美紀     

 五月といえば、ある風を思い出します。
今は小四になる長女が、越谷幼稚園に入園した年のことです。あの時、私は、色々な意味で孤独でした。
友達と遊ぶのを止めずなかなか降園しようとしない娘をブランコの柵に腰かけて待っていました。
少し離れた所では、仲の良さそうなお母さん達の楽しそうなおしゃべりや笑い声が聞こえます。
少し寂しさを感じながら待っていました。

 そして、あの風が私にあたり通りすぎました。涼やかな風です。

    「私は、自由なんだ」

とあの時、はっきりと意識しました。心もフアッと軽くなりました。今も、はっきりとあの時を思い出せます。

 あの風は、何だったのでしょうか。
確かなのは、あの時を境に私は、外に向かって心を開くようになりました。

 生きるのっていいなと思います。人って愛しいなと思います。
いくら思い悩んでも精一杯努力しても、ままならない事が多いものです。
でも八方塞りも、失意も喪失感も、たった風が一吹きしただけで全てを変えてしまうような不思議な事が、生きていると起こるものです。
自分の心の有様が変えられる事もありがたいのですが、その体験自体がとても素敵で、甘い雰囲気があって、神様が私を愛して下さっている証のような気がします。

 神様に守られていることはずっと前から知っていました。
でも礼拝を守り、受洗し、聖餐に与かり、聖書を学ぶことで、神様が、一人一人の人間を愛していることをはっきりと、心の内から感じられるようになった気がします。
神様を通して過去と人との出会いを振り返ると愛しい気持ちで一杯になります。
幸運のただ中にいると高慢になり、神様に背を向けたくなります。

いかなる時も、しっかりと掴んで離さないで下さいと神さまに祈らずにはいられません。 

 
 (みつばさ No.295  2009年5月号より)






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