主に生かされて
頑張った 進藤 ヒロ子 |
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「みつばさ」に登場していただくために進藤さんのお宅を訪ねました。 46年前に秋田からこの越谷に越して来て、その頃は、心細くてすぐにでも秋田に帰りたかったと・・・。 秋田弁がしっかり残っていて何とも温かい人柄にすぐにリラックスムードでお話をお聞きすることができました。 教会に出席される時でもずっと右手の中指には指貫がはめられ、これは進藤さんの体の一部になっているのでしょうね。若い頃、秋田県の洋裁学校に入り、3年間しっかり学び、越谷に来てから職業安定所の紹介で春日部技能訓練校へ(お子さん二人を保育園に預けて)一年間通ったそうです。 その後、東京原宿にあるアパレルメーカーから仕事を預かり、夫君が仲立ちになって二〜三人の人を雇い、夢中でミシンを踏んだ〜楽しかったね〜と当時を振り返っておられた。そんな折、ご夫君が仕事先に行く途中で交通事故に遭い、介護のために仕事を離れたそうです。その後、ご夫君が亡くなられてから、調理師と管理調理師の免許を取得、熊坂整形外科で病院食を作り続け20年間働いたそうです。 その間、娘さんの、あることがきっかけで教会に通うようになり、南越谷チャペルで受洗。1997年越谷教会に転会。 熊坂整形外科を65歳の時退職し、翌年、旅行に行って階段から転げ落ちたのがきっかけで右の臀部とひざを痛め今は外出が困難になってしまいました。 「時々第一礼拝に出席する時は朝うんと早く起きて支度をし、手押し車に頼ってゆっく〜り、ゆっく〜りと行くんだ、何にもわからないし、聖書の話を聞きたいよ、だけど腰掛けてるのが、また辛いのさ・・・。 どこも行けないけど、ここさみんなが来て、あんこをいっぱい煮てよ、みんなでぼた餅にぎって食べて、おしゃべりするんだ、楽しいよ〜。 神様がちゃんと守っていてくれるから安心だ」。 感謝、感謝。 (インタヴュアー 一柳 民恵) |
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(みつばさ No.320 2011年9月号より) |
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