主に生かされて



   「大丈夫」に支えられて


                             渡邊 敦子



  筆者が勤務していた保育園です。保育者が新入園児の為に作った人形です。原発事故25キロ圏内であるために保育園が開園できず渡せなかった人形です。
 
 
 私達家族は、福島県双葉郡浪江町という山と海のある自然豊かな町で生活していました。
  3・11の震災は自宅で経験しました。直後は停電でしたので情報もまったくないまま近くの中学校で一晩を過ごし、次の日の早朝、町内放送から原発の異常を知らせる放送で町全域が直ちに避難の指示が出され一度も自宅に戻ることもないまま、長い非難生活がスタートしたのです。そして七カ所目の避難先でもある越谷市に住宅を一年間提供していただき、やっと家族で落ちついた生活が出来ることになりました。引っ越しの日に、家にあったから!と野菜や調味料、甘口カレーのルーをいただきました。
 お子さんのいない大家さんでしたので、私達のために準備してくださったのだ!と涙の出る思いでした。また越谷市には「一歩会」という避難者の会があり、支援してくださる方からも生活に困らない日用品等も準備していただき「大変だったでしょう。もう大丈夫だよ」と温かく迎えていただきました。生活が落ちつくと次は娘の幼稚園問題でした。役所の方では、なかなか良い返事はいただけず、直接近くの越谷幼稚園に電話をした所、「大丈夫ですよ!」と快く受け入れていただき、皆様の献金等にも甘えさせていただき、金銭面もクリアして入園することが出来ました。主人の職場も警戒区域内にあり、仕事も出来ない状態でしたので大変助かりました。
 幼稚園に通い始めた当初は泣いていた娘も、先生方の温かい笑顔と、おはようの挨拶、大丈夫だよ!という声に励まされ、今では幼稚園が大好きになりました。
 今回の震災を経験し、私は何度も「大丈夫」という言葉に励まされました。なぜこの言葉が心に響くのだろう?するとテレビから「大丈夫の漢字には人が沢山入っている」と。私はこれだ!!と思いました。大丈夫という言葉が心強いのは、多くの人の支えがあるから。人は大勢の人に支えられていることに改めて気づかされ、「感謝」の半年となりました。 (わたなべ あつこ)

(みつばさ No.321 2011年10月号より)


           


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