主に生かされて




  不思議なえにし

         駒込 綾子




 
原稿依頼のためにそっとお声をかけました。もう原稿を書くのはと…おっしゃられるので、インタビュー形式でお話を聞くことが出来ました。
 駒込さんは9人兄弟姉妹の二番目、衣類は父親の服をこわしたり、和服をほどいたりして、駒込さんが家族のものを作ったそうです。今でも、着なくなったものを見ていると次々アイデアが浮かんでリフォームするのが楽しいとのことです。
 駒込さんがお話されるには「私は、樺太で生まれ、結婚し、長女を産みましたが、終戦の時に強制的にそこを追われ、北海道の江別という所にいた親戚の家に転がり込んだのです。
 その時産まれて間もなかった長女を百日ぜきで亡くしました。
 その後、札幌市に20年位在住しました。2人の息子を授かりましたが、生活は荒れて、自暴自棄に陥ってしまいました。
 それと言うのも、男性にとって敗戦の屈辱は到底受け入れられぬ事実だったのでしょう、生活は荒れ放題、マージャンに溺れ、家庭を顧みる事なく、借金を背負ってふらりと帰る、彼との争いの日々でした」。
 そんな時、妹さんから紹介された北海道大学の教授のお母さまを通してキリスト教を知ったのだそうです。
 それよりもさかのぼること、樺太に居た子どもの頃、テントの下でストーブを囲み伝道集会が行われていた。それとは知らずに凍える体を温めるために中に入ってストーブに手をかざしたことがありました。
 ―導かれていたのでしょうね―。
 現在お住まいの八潮市には1971年に越して来られ、この時を機にと・・・。恐る恐る越谷教会の門を叩いたあの日から、ひたすら御言葉を求め続けました。
 ある聖餐式が行われたときのことです。何も知らずにパンとぶどう酒をいただいてしまいました。後で聖餐は洗礼を受けた者だけが与る式なのだと知ってひどく心を痛め、それから小海寅之助牧師に願い出て(1977年12月25日)洗礼を授けていただきました。
 「三文小説のような人生でしたが、今思うと不思議なえにしに導かれ、全ては神様の御手の中だったと感謝しております」。


                                                
インタヴュアー  一柳 民恵

(みつばさ No.323 2011年12月号より)



           


素材サイト:Christmas Museum   Peal_Box