主に生かされて




   米寿の恵み 




          乙部栄次郎


 旧い話で恐縮ですが、先々代の牧師長尾丁郎先生の時代、役員の遠藤、貴田、辻、長尾、各長老方(何れも第一世です)の末席にあった若輩の私が今年八十八歳になり神を知らず世に出た者が主に在って迎えることの出来た米寿を感謝する者です。
 私は十九歳で徴兵され中国山西省に出征しました。当時既に日本は制海権を失っていましたが輸送船は幸い無事釜山港に入港軍用列車で中国に向かいました。ところが途中で敵グラマン戦闘機の襲撃に遭遇、隠れ場所とて無い中国の平原に伏し反復する機銃掃射の標的に身を晒した時は恐怖でおののきました。機関車はいち早く射貫かれて動けず、以後の移動は日中の危険を避けもっぱら夜行軍となり、睡魔に抗しながらの行進は前を行く兵に突き当たって気付く様な有様で敵襲でもあれば一溜まりもない新兵の行進でした。
 ある時の討伐では敵がたむろしているという部落を急襲したところ、敵方が先に此方の動向を察知し事前に撤退していたので銃撃戦に至らず助かったことがありました。
 新たな作戦が計画され、私は隊付き衛生兵の教育を受けるため原隊を離れ河南省の兵站病院へ教育に派遣されました。三か月にわたる教育が終了し原隊への復帰命令を受け帰隊することになりました。ところがたまたま大雨で黄河が氾濫し、鉄道が不通となり、復旧を待って病院の教育隊で待機しているうちに終戦となり、原隊復帰の命令も取り消され、そのまま病院付衛生兵として勤務することになりました。
 もし鉄道が不通とならず、平常通り黄河の鉄橋を渡れていたら原隊復帰の途中で敗戦の混乱に巻き込まれ、戻ることも出来ぬまま、中国の何処かで行方不明になってしまったかも知れません。
 私は敗戦で復員後、叔父の貸してくれた一冊の聖書を読み、目を開かれキリスト者とされた者ですが、実に神の見えざる御手に守られて迎えることの出来た米寿であることを戦時中の体験を顧み「後知るべし」の思いを新たにして書かせて頂きました

 (おとべ えいじろう)
(みつばさ No.336 2013年2月号より)



           


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