第8日

12月5日


獅子のような心を持つ戦士であっても、弱気になります。父上も彼に従う戦士たちも勇者であることは、全イスラエルがよく知っているからです。
(サムエル記下17章10節)

    

 第一次世界大戦は始まったばかりでした。しかし、近代戦の革命のような塹壕戦のおかげでイギリス軍もドイツ軍もにっちもさっちも行かない状況に陥っていました。どちらも、岩だらけのフランスの平野に何キロも続く溝を掘っていたのです。兵士はこの溝から機関銃や迫撃砲を撃ち合いました。塹壕にはねずみが出没して荒らし回ります。こんな中で、泥まみれのイギリス軍兵士たちは、よれよれになってしまった、国王からのクリスマスカードの封を切りました。そしてそこから何百メートルと離れていないもう一つの塹壕では、ドイツ兵がドイツ皇帝からのメツセージを読んでいたのです。
 兵士たちは寒さに震えながら、祖国の家族のことを思っていました。二つの塹壕にはさまれた荒れ地は、弾孔と銃弾でばらばらになった木々で荒涼としていました。この地域に動くものが一つでもあれば、即座に銃口の餌食となりました。この地域はそれほど広くなく、機関銃の発射音が途絶えたときには、敵軍の塹壕から、弾丸を詰めるカチカチという音が聞こえるほどでした。



 クリスマス・イヴの夜も更け、降り続いたみぞれもこやみになり、気温はぐんぐん下がっていきました。策五スコットランド銃撃隊の見張りのイギリス兵は、中間地帯の向こうから、いつもとは違う音が聞こえるのに気がつきます。ドイツ軍の塹壕で、だれかが歌っているのです。「シュティーレナハト、ハイリゲナハト。」イギリス兵の知っている歌詞は、「サイレントナイト、ホーリナイト」、「きよしこの夜」のあのメロディです。彼はそっとメロディを口ずさみ始めます。そして気がつくと、英語で、しかも大声でそれを歌っていたのです。有刺鉄線の向こう側にいる敵兵との何とも奇妙な二重唱でした。
「シュティーレナハト、ハイリゲナハト…」
「サイレントナイト、ホーリナイト」
もう一人の兵士が見張り小屋に潜り込んで来て、いっしょに歌い始めます。やがて、ドイツ側でもイギリス側でも、次々と歌声に加わる兵士が増えていきました。砲撃戦の傷跡のすさまじいフランスの平原に、さまざまな声が入り交じって流れました。
「きよしこの夜」の歌が終わると、ドイツ兵士たちは「オー、タンネンバウム」(もみの木、もみの木)を歌い、イギリス兵はお返しに「ゴッド・レスト・ユー・メリー・ジェントルメン」(互いに喜び過ごせこの日)を歌うといった具合いでした。こうして交互に何曲も何曲も続きました。双眼鏡を持った一人のイギリス軍兵士は、ドイツ兵たちが常緑樹の枝にろうそくをともして土嚢の上に立てたと報告します。



 
クリスマスの朝が明けると、それぞれのことばで書かれた「メリークリスマス」のサインが、この塹壕の両側に高々と掲げられていました。恐怖にもまさる、ある強い力に引かれて、兵士は一人、また一人と武器を置いて、有刺鉄線の下をくぐり、塹壕の間の地域に出ていきました。最初はわずかな兵士たちでしたが、見る見るうちに数が増え、大勢のイギリス兵とドイツ兵がクリスマスの朝の光の中で顔を合わせたのです。親や妻の写真を見せ合い、あめ玉やたばこを交換しました。ある兵士が持ってきたボールでサッカーに興じました。
    
しかし、クリスマスの休戦も、ここまででした。事態を憂慮した高官たちが、ただちに兵士たちを塹壕に呼び戻したのです。そして発砲が再開されました。数時間後、イギリス軍は、二度とこのような不祥事があってはならぬと、厳命を下します。
「我々は戦うためにいるのだ。クリスマスを祝いに来ているんじゃない。」
兵士は命令に従いました。歴史が示すように、この戦争ではドイツ側もイギリス側も、当時の若者の世代を、ほとんど全滅に近い状態で失いました。しかし、わずかですが生き延びた者の心には、前線で迎えた大戦初めの、あのクリスマスの忘れ得ぬ記憶が残りました。すなわち、クリスマスの日の数時間、彼らにはイギリス国王でも、ドイツ皇帝でもない、仕えるべき別の君主がいたということです。平和の君と呼ばれる方こそ、その方なのです。


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