第9日

12月6日




彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。練り粉には酵母が入っていなかった。彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、道中の食糧を用意するいとまもなかったからである。
(出エジプト記12章39節)


 海外では12月24日の夜、家族や友人達はそれぞれがお得意の2〜3種類のクッキーを焼いて持ち寄り、皆で クリスマス・イブを楽しみます。その中でも クリスマスにしか焼かれないと言うクッキーがスペクラツィウスだそうです。 ミラの司教、ニコラス(サンタクロースの元祖)が召天してすぐ、このお菓子が焼かれるようになり、スペクラツィウスという名前は、彼の役職のラテン語からつけられました。
 ではクッキーは何時頃から作られていたのでしょう?クッキーはおそらく人類が最初に考案した麦粉のお菓子だったと考えられています。その端はパンから来ています。クッキーは発酵させてないパン生地に、甘味や油脂、その他香辛料を加えて考え出されました。
 旧約聖書を見てみますと、最初の創世記にもう、パン菓子のことが書かれています。『アブラハムは急いで天幕に戻り、サラのところに来て言った。「早く、上等の小麦粉を三セアほどこねて、パン菓子をこしらえなさい。」』(創世記18章6節)またモーセと民がエジプトから脱出する時、神は民に種のないパンを焼いて食べなさいと仰せになりました。また旅の道中にはマナを降らせて、民たちを飢餓から救ったのです。その脱出を記念して人々はお祭りを行い、その時には種無しパンを焼きました。種無しパンは、粉を水で練って薄くのし熱した平たい石に貼り付け焼いたようです。
 それから時代が移り発酵パンが日常的になっても、神を祭るときには、種無しの平焼きが神様に供えられ、人々もそれを食したのです。もちろんお祭りですので、水だけでこねた普通のパンでなく、卵、蜂蜜、バター、オイル、香辛料などで味に変化をつけたものも作られました。それがクッキーの始まりであるわけです。



 では、クリスマスにしか焼かれないと言うスペクラツィウスはどんなクッキーなのでしょうか?スペクラツィウス種無しパン菓子(レープクーヘン)の生地を型で何かの形を取ったクッキーなのです。
16世紀頃にはレープクーヘンに木彫りの型で模様をつけた菓子が主流でした。木型の掘り職人が出現して、たいそう精巧なものがあったようです。しかし、この木型で作るクッキーは装飾性の高い贅沢品であったため次第にすたれ、17〜18世紀には、現在あるような抜き型へと変化していきました。
 こうして一般に家庭でも皆が抜き型を持ち、自家製のスペクラツィウスが各家庭のクリスマスを賑わすようになったのです。その木型は、その当時台所の壁に年中飾ってあり、母親から娘へと代々伝えられました。北ドイツで生まれたあるおじいさんはこう語っています。
  「幼い頃のスペクラツィウスの型はブナの木でできていました。鹿、ノロシカ、うさぎ、羊、にわとり、馬、馬上の人、天使などの型でした。ひとつだけ、忘れられないほどショックな人の型が混じっていましたが、あれは悪魔か野蛮な狩人だったかもしれません。この型ではスペクラツィウスを少ししか焼かないで、食べる時にこれが誰かのお皿に入っていたら、その人をわらいものにしてもよかったのです。」
 また、このスペクラツィウスは食べるだけでなく、クリスマスツリーに飾ったり、魔女のお菓子家を象って飾ったりと、家庭で楽しみました。今でもヨーロッパの待降節になると街の菓子店のショーウィンドウに飾られているのをよく見かけます。
     

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