第15日

12月12日

 

 

 第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神が御自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。」
(ヨハネの黙示録10章7節)

 


 教会の鐘やサンタクロースのそりの鈴の音はクリスマスになくてはならないものですが、これもキリスト教以前の宗教の名残なのです。寒くて夜の長い冬至の頃は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類の勢力が増すと考えられていて、これらを追い払うために鐘で大きな音をたてていたのが今日まで残ったのです。 現在鐘の音は北欧では仕事の終わりと祭の始まりを示し、イギリスでは悪魔の死とキリストの誕生を表わし、スペインやイタリアでは夜中のミサの開始を告げる合図となっています。


ベルギー・ブルージュ
「ベルフォルト(鐘楼)のカリヨン」

 カリヨンは、メロディーを演奏する「組み鐘」を意味しています。
異なる音(音名)を持った鐘を、数個あるいは数十個組み合わせた「鐘の演奏装置」をカリヨンと呼びます。カリヨンは中世ヨーロッパ、地域的には現在のベルギーとオランダで生まれ、その後全ヨーロッパに広がって行きました。
ベルギーはオランダと共に、カリヨンの発祥地です。そのベルギーで、世界遺産の一つにもなっているのが、ブルージュのベルフォルト(鐘楼)とカリヨンです。
鐘楼は高さ88メートル、3層になっていて、下層部は13世紀、中層部は14世紀、上層部は15世紀に建造されました。366段の螺旋階段を上りきった頂塔に、総重量27トン、47鐘のカリヨンが設置されています。現在は展望室にもなっていて、ブルージュの家並みや、晴れた日には、北海やフランダース地方の森々が見えます。鐘が設置されている頂塔の1階下に、カリヨン室があります。
ここで、カリヨン・キーボード(ベイヤード)を使って、カリヨンのライブ演奏を行っています。
文学の中のベル
 ヨーロッパの文学にはカリヨンが背景として随所に鳴り響いています。カリヨンが準主役となっているのがローデンバックの「死都ブリュージュ」です。その他、「ジャン・クリストフ」にも、小川のせせらぎと同じくらい頻繁にカリヨンがなっています。また全部が追想といった時間の順序が錯綜したプルーストの「失われた時を求めて」の中でも、鐘楼とカリヨンは追想の重要な転換点として活躍(?)します。さらにカリヨンではありませんがアイリス・マードックの「鐘」ではベルにまつわる伝説がサスペンスを高めています。
カリヨンの演奏
 カリヨンはオランダで生まれた最大規模を誇るコンサート楽器で、パイプ・オルガンやピアノの様に鍵盤(形は違いますが)で演奏する楽器です。カリヨン奏者をカリヨヌール(carilloneur)といい、市が任命する16世紀からある権威ある職業で、多くはオルガニストが兼任します。
 他の楽器との最大の違いはカリヨンは鍵盤楽器でありながら、屋外に設置される点です。ヨーロッパの町は中心に教会があり、カリヨンの多くはその鐘楼に設置され、夏期には教会の中庭や、マルクト広場でコンサートも頻繁に行われています。
手動演奏のカリヨンは、自動演奏のものとことなり、ppからffまでのあらゆるニュアンスを表現できます。
スイングベル
 エーゲ海を背景に蒼い空にそそり立つ白い塔。そこではベルが揺れて時刻を告げる。
 スイング・ベルにはこのようなイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか? ヨーロッパのベルの直接のオリジンはアレクサンドリアで、キリスト教の普及とともに各地域に広まりました。地中海世界(アルプスの南側)では現在でも壁の一部をくり貫いたシンプルな設置例が多く見られます。
特にロープ式のスイング・ベルはロープを引くときに心地よい抵抗感があり、教会や結婚式場で好まれています。
手動式のベル
 手動式の鐘は、ロープを手で引っ張りながら鳴らします。
 手動式の鐘には、大きく分けて2種類あります。 ロープを引っ張って鐘を前後に揺らしながら、中のクラッパー(舌)に鐘を当てて鳴らす手動スイングベル(Hand Swinging Bell)と、鐘は固定しておき、中のクラッパーをロープで引っ張って鐘に当てて鳴らす、手動トーリングベル(Hand Tolling Bell)です。
 写真は福島教会の鐘「作新人」(さくしんじん)です。日露戦争の戦利品の大砲を鋳直して造られたもの。戦争の武器が平和の鐘になって、今も平和の祈りが込められ、福島の町に鳴り響いています。
自由の鐘
 「自由の鐘」は、ニューヨークの自由の女神と並んで、アメリカの自由のシンボルです。
1751年、ペンシルバニア州議会は、州議事堂用に鐘を発注しました。州議会議長は、聖書の「地上全体と住む者すべてに自由を宣言せよ(レビ記25:10)」を、鐘に刻むよう注文しました。英国ロンドンのメーカーで鋳造された鐘は、1年後の1752年にフィラデルフィアに到着しました。ところが、鐘楼に吊り上げる前の、テストの第1打で、鐘は壊れてしまいました。地元の、パス(Pass)とストウ(Stow)に鋳造し直させ、1753年にやっと鐘楼に取り付けることが出来ました。以後、州議会の公式の鐘として、議会の召集に、選挙の投票の呼び掛けに、あるいは市民の冠婚葬祭の知らせになどに、鐘は鳴らされました。
 1776年7月8日、アメリカの独立宣言が、はじめて市民に知らされた際にも、この鐘が打ち鳴らされました。「自由の鐘(Liberty bell)」と呼ばれるようになったのは、1830年代で、奴隷制度廃止論者達が、この鐘を、奴隷解放のシンボルとして「自由の鐘」と呼び始めてからです。南北戦争(1861〜1865年)中は、アメリカ各地で展示され、自由への戦いを鼓舞する役目を果しました。
マイセンの鐘
 マイセンは、マイセン磁器で造られた鐘(ベル)のカリヨンです。鐘が磁器製ですので、 柔らかく、妙なる音色のカリヨン演奏を聴かせてくれます。 マイセン・カリヨンは、マイセンの地元ドイツで、たくさん設置されています。
ニコライ堂の鐘
 門を入って、正面から鐘楼を見上げます。昭和4年の再建で、その高さは以前よりも低くなったと言われていますが、今なお、お茶の水界隈の象徴となっています。この鐘は昭和3年にハリストス正教会函館教会から移されました。高く響く鐘の音は異国情緒たっぷりで美しく鳴り響き、神田っ子たちの自慢です。平日の朝6時、正午、夕6時にそれぞれ鐘が鳴ります。
、日曜日午前10時〜12時半、また日曜日には聖体礼儀の始まりと終わりに実際に突きます。
 大鐘は足下の踏み台を使い、3つの中鐘はそれぞれ結ばれた綱を使って左手で、2つの小鐘は同じように右手で、一人で6つの鐘を突くわけです。右手と左手のリズムが違うので、きれいに突くには熟練を要します。
 この他、結婚式や埋葬式など、それぞれ違った突き方があります。
ウェストミンスター・チャイム
 学枚のチャイムとして聞き慣れた♪キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン♪。こう書いただけで、メロディが思い浮かびますね。このメロディのタイトルは、ウェストミンスター・チャイム。しかし、このメロディは、ロンドン・ウェストミンスター寺院の鐘の音ではありません。実は、このメロディ、寺院の西のイギリス国会議事堂にある大時計のもの。
 「ビッグ・ベン」の愛称で知られるこの鐘には「ヴィクトリア」という正式名称があるそうです。(勿論誰もこんな名前では呼びませんが) その昔、ウェストミンスターの時計塔が火事で焼失した時に、新しい時計塔建設のための設立委員長に議員のサー・ベンジャミン・ホールが就任しました。実はこの人、その大柄な体格から「ビッグ・ベン」という渾名がありまして、鐘の名前を決める時に「セント・スティーヴン」にすべきだとして議会で熱弁を奮ったのですが、演説が終わった時に議員の一人がからかい半分に「ビッグベンにすればいいだろう!」と野次を飛ばし、議会は大爆笑に包まれそのまま本当に「ビッグ・ベン」に決定してしまったというのが由来なんだそうです。
 このメロディをウェストミンスター・チャイムというのは、時計塔ビックベンがウェストミンスター地区にあることに由来します。


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※このページは、株式会社カリヨン・センターのホームページの一部を使わせて頂きました。