キタ氏は、昨年春、わたしとともに、管理課に異動してきた男性である。
彼の第一印象は、とにかく人あたりがいいということであった。
ここへ配属される前は、本庁勤務だったそうだが、毎日のように帰宅は、午前3時4時。これでは家庭が回らないということで、出先機関への異動となったらしい。
異動してようやく1週間が過ぎたころ、同じ課の女性が、職場に来なくなった。
役所では、ここ最近、富に増えてきたパターンである。
以前は、心の病と言えば、偏見の強い病であったが、芸能人が次々に、ウツであったとカミングアウトし始め、それを売りにするアイドルまで出現するようになり、事情は一変した。
新薬の効果を是非とも試したいという製薬会社の「後押し」もあってか、我も我もと、ウツを看板に掲げ、免罪符にしようという人が、出回り始めたのである。メンタルヘルスの名のもとに、知識も普及し、診断される前に、自ら名乗る人々も増えた。
特に、休職制度が完備されている役所となればなおさら。働かずとも、お給料がいただけるとなれば、利用したくなるのは、人情というものである。
皮肉なことに、制度が完備され、いたわられればいたわられるほど、心の病は増えていくようである。
そうした嫌味はさておき、彼女があれこれ理由をつけて出勤しなくなったのである。
正式に診断書類が出たのなら仕方ない、それでは、彼女の仕事をどうしたものか。
アルバイトを雇うか、それとも、残った人間で、分担するか―。
侃々諤々、話しあいの場がもたれた…と言いたいところだが、格別そうした機会は設けられず、気付いた時には、かのキタ氏の分担として、おさまっていた。どうやら、彼は、頼まれる前に引き受けてしまう性分のようであった。
これに限らず、彼は、職場でおきることはすべて自分の責任であると思っている。
ただでさえ、職場の雑用は、すべて管理課に持ち込まれる。
トイレットペーパーがない、トイレが詰まった、パソコンの調子が悪い、蛍光灯がきれた…あらゆる用事が列をなして彼のところにやってくる。
そのたびに彼は、何もいちいち走るほどのことはないと思うのだが、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで、飛び出して行く。
周囲への感度は抜群で、
「今日の昼食は何にすっかな〜。中華丼でいいかあ」
という上司のつぶやきひとつも聞きもらさず、大きくうなずいて見せる。
天井から、レントゲンの現像液が漏れるという事故が起きた時には、たまたま不在だった彼が、わざわざ出張先から呼び戻された。日頃からあまりにも彼に頼り過ぎていたために、こうした不測の事態にどう対処していいのか、誰もわからなかったのである。
気配りの相手は、上司だけではない。
廊下を歩けば、掃除のおばちゃんの愚痴の聞き役として捕まり、コピーをとりに行けば、井戸端会議に巻き込まれ、新たな用事を頼まれて戻ってくる。
慌ただしく走り回る彼に「忙しそうだから後にする…」と引き下がる職員もたまにはいるが、なにぶん彼のキャラクターである。
一見遠慮勝ちに見えても、結局は皆さん、無遠慮に用事を頼んでいく。職員にとって、彼は都合のいい存在なのだ。
さらに、予算主任の彼宛てには、今だに、以前の職場から電話がかかってくる。その度に、「死んだと言ってくれえ〜」と、言い放つのだが、大層うれしそうである。(もっとも、このセリフも、1年以上も聞き続けていると、さすがに鼻に、イヤ、耳につく。)
職員が、彼めがけてやってくるのを見て、大げさに頭を抱えて見せる様は、そこまで頼られる我が身を自虐的に楽しんでいるのかのようである。
俺ってこれだけの仕事を押し付けられているんだ、というのをアピールしたいのか、彼の机の上は、書類がいつも散乱している。カップラーメンに湯を注いだ時ぐらい、ゆっくり歩けばいいものを、大きな体を屈め「アヂヂヂ…」と、やはり小走り。さっさと食べて仕事の続きをするのだろう。
そうした様を見ていると、何だか周囲の人間が、彼にばかり負担を強いる悪者に見えてくる。
被害者の持つ「悪意」とはかくや、と思うひとときである。
こうして、キタ氏の身辺は大げさに、かつ騒々しく彩られながら1年がたった。
その過剰な適応ぶりがめでたく実を結び、彼は班長に昇格し、新たに某病院から異動してきた職員G氏が、かつてのキタ氏の席に配置された。そうして、再任用職員(前職を定年退職した後も、暇つぶし、または経済的理由から、非常勤職員として役所にしがみつく人のこと)M氏を加えて、管理課の新年度がスタートした。
1年かけてキタ氏が増やしに増やした仕事は、新しく異動してきたG氏に引き継がれた。
古株の割には、給料表のランクが下なのが気にはなったが、なにしろ、出先機関の中では多忙を極める病院の出身である。こき使われ慣れているだろう、打たれ強いだろうと、上司はじめ、皆の期待はそれなりに高かったと思う。
異動からひと月ばかりたったある日のこと。
そのG氏がぱたりと来なくなった。
上司からは、はっきりとした説明も何もない。
毎朝、彼から課長に電話がかかってくる。
「顔を見て話したほうがいいと思うんだ…」
「そこのスタバまで出てこられないかな…」
押し殺した課長の声。
ひそやかな雰囲気になればなるほど、わたしたちの神経は耳に集中する。
やりとりから推測するに、これまた流行の「病」であることは間違いない。
「は? またかよ」口にしなくとも、わたしたちの共通認識にずれはない。
異動してきたばかりだというのに、再任用職員のフォローまでしていたので、よほど余裕があると思っていたのに、どうやら違っていたらしい。
自分の仕事を覚えるのに一杯一杯ならば、他人の手伝いなどしなければいいのに、来た早々とあって、いいところを見せたかったのか、それともキタ氏に張りあうところがあったのか。
他人の仕事に首をつっこんでは、
「これも勉強ですから」
などと、余裕をかましていたのも、実のところ、相当無理をしていたのだろう。
ともかく、これは想定外である。
むしろ、慣れないパソコン操作とひっきりなしの来客にストレスが高じ、30分に1度は煙草を吸いに外へ出ていた再任用職員M氏の方が、早々にリタイアするのではないかと思われていた。
もっとも、オタオタしては、周囲から同情と援助を引き出し、自分はできるだけ横着して済まそうとするM氏の方が、実は、しぶとくも、長持ちするのかもしれない。
さすが年の功、さすが、もと管理職である。
このように、G氏に一旦引き渡された仕事は、それも束の間、再びキタ氏に戻されることになった。しかも彼には、班長としての仕事もある。
あたりの良さが売りのキタ氏のこと、面と向かって相手に言えない分、そうとう溜まるらしい。ようやく席に落ち着き、パソコンに向かいながら出てくるのはののしりの言葉と、荒々しい物音。
空気の抜けたような独特のしゃべり方も、相手からの恨みをかわないための処世術だけでなく、彼自身の怒りをなだめるための手段なのではないか。
水曜日は免許申請を担当する再任用職員M氏の定休日である。すると、その来客応対までが、キタ氏にまわってくる。最近では、その水曜日となると、熱が出ただの、お母さんの具合が悪いだのもっともらしい理由をつけて休むというのも、キタ氏の怒りと悪意のたまものとさえ、思えてくる。
目の前にいる人に応じて、批判の対象を調子よく変えたりするものだから、すぐ脇で聞いているわたしとしては、複雑な思いである。
いずれにせよ、皆が皆、キタ氏になれるわけではない。
こうなってくると、対人恐怖とハサミは、使いようである。
全身黒ずくめ、話しかけにくい雰囲気を醸し出し、自分の仕事以外、我関せず、1分以上残業はせず、休暇も根こそぎ消化するというわたしのやり方も、長持ちの秘訣、十分適応的なのではないかと、自画自賛したくなる。少なくとも、自分の仕事を丸ごと放り出して、周囲に決定的な迷惑をかけずに済むのである。
2011/8