しゅうまい定食
“本当に欲しかったものをもらっていない”という恨みがましい気持が、
心のどこかにしまわれているのではないかと気付かされる時がある。
それは、ほんの些細な、アクシデントとも言えないようなできごとで、発覚する。
先日、用があって東京へ出かけた。
11時になったので、食事をしようと、ある店にはいる。
二人掛けのテーブルが3つほど置かれた、小さな店だ。
午前11時の、開店早々。客は二人だけだ。
スーツを着こんだサラリーマン風の男性が、おでん定食を食べている。
わたしは迷わず、しゅうまい定食を頼む。
以前この店の前を通りかかった時、しゅうまい定食売り切れました、という表示を見て、
次にこの町に来た時に、是非とも食べようと思っていたのだ。
「しゅうまい定食を」
とわたし。
注文を取りに来た女性、こちらが頼んだものを
復唱する声がいまひとつ聞き取りにくかったが、
通じたのだろうと思って待っていると、ほどなくして出てきたのは、
隣の男性たちと同じおでん定食。
どうやらくだんの女性の、聞き間違えらしい。
さて、どうする。おでんも嫌いではないのだが……。
どうもこうしたこじんまりした店で、注文間違いを指摘するのは酷な気がする。
彼女が注文を復唱した時に、あいまいなまま確認しなかったわたしも悪いのだ。
そこで何食わぬ顔をして食べ始める。
が、どこか上の空である。
こんにゃく、大根、はんぺん、ちくわ、……定番のものを口に放り込みながらも、
頭の中は“しゅうまい”の文字でいっぱいである。
目の前にあるショーケースには、“しゅうまい巻き”とやらはあるが、純粋なしゅうまいはない。
あれば迷わず追加注文するのだが。
おさまりがつかない気持ちのまま、食べ終わり、会計の時に聞いてみたら、
何とテイクアウト用にしゅうまいがあると言う。
3個400円。個数も手ごろ。
お腹はいっぱいだが、食べられない量ではない。
迷わず購入。
そのまま帰宅するのならいいのだが、あいにくこのあと用がある。
しかもアツアツのしゅうまいは、今が食べ時。とあれば、もう迷っている暇も余裕もない。
近くのスターバックスに駆け込み、コーヒーを注文。
名目は食後のコーヒー。
でも頭の中には、しゅうまいの文字。
ご自由にお取りくださいコーナーに並んでいるシュガーやミルクと一緒に、
フォークもいっしょにいただいて、席を探す。
トイレの近く、壁側のテーブルがあいている。
気持ちが、やましいと、選ぶ席も、何となくうらぶれている。
あたりを見回すと、持ち込みなどしている客はいないようだ。
さりとて、持ち込みお断りとも書かれていない。
それもそのはず。
ここは東京、麻布十番。近くには大使館なども立ち並ぶバリバリな大都会。
外人さんやら、スーツ姿のサラリーマンの憩う場所。
スーパーのフードコートよろしく、よそで買った食料品を持ちこんで、
むしゃくしゃ食ってるやつなど、あり得ないのである。
それでも臆することなく、テーブルの上に鞄を置いて目隠しにして、
その陰でこそこそとシューマイのパッケージをあけて食べ始める。
こういう時に限って、店員さんが意味もなくやってきて、
あたりのテーブルを何度も拭いたり、トイレチェックにはいったり。
さりげなく、監視されているように感じられる。
さきほどのおでんの時とは違った意味で、落ち着かない。
こんな状況で食べれば、どうしたって、急ぎ足になる。
やけどしそうになりながら、2,3分で食べ終わる。
食べ終わった感想は、と聞かれれば、職場で昼時に頼む「ジャンボしゅうまい定食」と
同じくらい美味しかったと答えるしかない。
答えてみれば、そんなの最初っからわかっていたような気もしてくるのだが、
それでも、食べてみなければ気が済まない、こだわらずにはいられないという、我ながらの扱いづらさ。
本当に欲しかったものを無理やり、取り戻してみたものの、
ものにはそれを味わうのに相応しい時と場所があるようで、そのタイミングを逃したら、
すでにそれは、本当に欲しかったものなどとは言えなくなっている。
それがわかっていながらも、このテのことは、今後も繰り返してしまいそうな予感がするから油断がならないのである。
2010/10