おためごかし

 サトウサンは昨年春、多忙を極める某病院から異動してきた男である。
丸く突き出たおなかを、ベージュのセーターで覆い、ゆっくりとした足取りでガレージへ向かう。タバコタイムだ。
下を向くと垂れ下がる前髪がうっとうしいのか、輪ゴムで結んでいるのだが、その様は、体型と相まって、いまだ髷の結えない下っ端の相撲取りのようだ。

 忙しい、忙しいという割には、自己開示の時間は惜しまない。
できの悪い息子の話から、そりの合わない父親の話、職場での評価が、最高のAランクからDランクまですべてにわたるということなど、決して、自慢にもならないようなことを、聞いてもいないのに、あれこれしゃべりまくるので、うるさいと思いながらもついつい周囲は、耳を傾けてしまう。
 それによれば、母親が女医なのだそうで、そう言われれば、来ているコートもどことなく、お値打ち品に見えてくる。あたり憚らない大あくび、不機嫌の良し悪しがすぐさま表にあわられるというわかりやすさ、単純さは、なるほど、お坊ちゃま育ちといえなくもない。
 異動早々、まだ自分の仕事を覚えきらないうちから、他人の仕事に首を突っ込んでは、「これも勉強ですから」などと、勤勉ぶりをアピールしていた。

 ところが、異動してきてひと月もたった頃、研修が終わったとたん、サトウさん、パタリと出勤しなくなった。
毎朝課長のもとへは、彼から電話がかかってくる。
仕事をするフリをしながらも、わたしたちの耳はこのやり取りに集中する。

「そこのスタバまで出て来れないかな」

「実際に会って話をしたいんだ…」

 押し問答が続いている。
午後から出勤する、しない、のやりとりを繰り返した挙句、提出されたのが、メンタル系の診断書。
 役所では、いまや、大流行の「病」だ。
メンタルヘルスに関する知識が普及し、芸能人が次から次へとウツであったとカミングアウトしはじめるとともに、精神科医療への敷居は、低くなった。
新薬の効果を是非とも試したいという製薬会社と、患者という大事な顧客のために
「とりあえずウツにしときましょう」
と言って憚らない精神科医の後押し、疲れたらムリせず休みましょうというありがたい風潮と相まって、我も我もとウツを名乗る輩が増えてきたのである。働かなくても給料が保証されているとなれば、なおのこと、利用しないテはない。

 寝たフリをしている人を起こすことはできないのと同様、この症状を治すのは容易ではない。何ヶ月になるのか、1年か2年か、長引くだろうなという周囲の予想。
 しかし3ヵ月後、予想に反してサトウさん、いきなり出勤してきた。
同僚の机の上には、お詫びの印か、どこかのテーマパークで買ったと思われる
安っぽいお菓子が配られている。
 3カ月というと、休職に切り替わる一歩手前である。

休職となると、復職に際して、面倒な手続きが必要になる。
大の男が平日の昼間っから家でごろごろしているのは、さすがに、居心地が悪くなったのだろうか。小学生の子供たちの手前もある。

 さて療養休暇明けの、サトウさん。
最初のうちはさすがに、仕事のリズムに身体がなかなかついていかないようであった。抗ウツ剤が効き過ぎているのか、午後からは優雅なお昼寝タイム。
業を煮やした班長S氏にこれみよがしの内線電話で起こされる日々が続いた。

 しかし、いつまでも遊ばせておくほど人員に余裕があるわではない。
出勤してきたらあとは使うのみ。
よく言えば、上司の”フォロー”のもと、有体に言えば、”監視”のもとに、本来なら課長のするべき仕事まで、徐々にやらされるようになった。
彼にしてみれば、長期にわたって休んでいたという引け目もあって断ることもできなかったのだろう。
 気付けば、
「やる気茶屋」「管理課を背負って立つ男」
などと調子よく、おだてられた挙句、自分の仕事だけしてればいいってもんじゃないという雰囲気に煽られ、バタバタと走り回る日々に戻った。

 それでも、ワーカホリックの班長S氏の庇護のもと、午後のお昼寝タイムは相変わらず確保されたまま、昨年度は無事に過ぎ去ったのである。

 事情が変わったのが、今年の異動である。

 副所長が定年退職であることはあらかじめわかっていたことであるが、
課長と班長S両氏がまさかの異動となったのである。

まだ3年目である。
後に残る者のことを一切考えないというのは、役所の異動である。

 さあ、ここで、サトウさん。
管理課を背負って立つのは俺しかいない。
「やる気茶屋」の応援歌が、耳の奥底から湧き上がってくる。
新しく着任した班長氏が女性だったこともあり、フォローに回る日々が始まった。
そのうち、彼女に対しても、言葉遣いはため口、あるいは命令口調。これではどっちが班長かわからない。

 ここで、彼女の嘆きが聞こえてくるようである。

『慣れるまでは、この男の助けがないと事務が前に進まない。ここでへそを曲げられたら大変だ。なんとかご機嫌とるしかない。
 図らずも、猫なで声になってしまう。
 それにしても、隣の女(ってわたしのことですが)が、もう少し、助けてくれればいいのに。どこが悪いんだかわからないが、顔半分隠れる大きなマスク。仕事以外の用件で口をきくのも損のよう。
自分の分担以外の仕事は、きっちりと線を引いたみたいに、我れ関せず。
固有名詞を呼ばないと振り向きもしない。
昼休みとともに消え失せ、終業の鐘とともに、さっさと、帰り支度。
全くとりつくしまもない。
ああ、孤立無援。この騒々しく横柄きわまる男に頼らざるをえない自分が情けない―』

 2日ほど年休を足せば、9連休となるゴールデンウイークを控えたある日のことである。すかさず休日を入れたわたしに向かって、サトウさん、早速ケチをつけてきた。
「他の人も、連休とりたいと思っているのに。もう少し配慮してくれないと」
 おっしゃるとおりである。
そのときはすっかり恥じ入ってしまったわたしであるが、直前になってふたをあければ、彼も、日程表に休暇を書き込み、しっかり9連休。
異なるのは、3月に休日出勤した分の「代休」となっている点。
 つまりは、休みを返上して出勤したんだからという、権利を主張。
なんといっても、仕事を増やすだけ増やして、さっさと異動してしまった班長S氏に代わり、このひと月というもの、毎日毎日残業続き、十分管理課に貢献したのだから、当然といわんばかりである。

「僕が体壊したら、困るのは皆さんなんですよ」
などと言い訳がましいのも、だから休ませろと言う口ぶりである。
実際、誰も困らなかったら、一番困るのはサトウさん、あなたなのではないですか。
 結局、周りに配慮などと、もっともらしいことを言いつつも、自分が休みたかっただけである。
言い訳がましく弁解してしまったわたし、それが妙に悔しい。
そもそも、昨年、3ヶ月もふてくされて休んだのは誰なのか。
そんなに休みたければ休職でも何でもすればいい。
あんたがいなくたって、県はつぶれない。
心の中でわたしは毒づく。

 

 問題の連休を翌日に控えた夕方、
「ゴールデンウイークは、9連休だし……。で、連休明けは休職だな」
赤い顔をほてらせて、サトウさんは満足そうに言い放つ。
他人の休暇にケチをつけたことなど、すっかり忘れてしまったようだ。
 自分がいないと、管理課がにっちもさっちもいかなくなることがわかって言っているのだ。
 不動の立場を十分自覚した上で、余裕をかましている。
 そこへ、また黙っていりゃいいのに、周りの面々も、おべんちゃらを返す。
「ええ〜、そんなこと言わないでくださいよお。サトウさんだけが頼りなんですからあ」
「サトウさんちに、毎日電話いれちゃいますよ」
 すると彼ま、まんざらでもなさそうに笑い、赤ら顔が益々赤くなる。

 こいつ、おだてられ、都合よく使われているだけなのに、それがわからないのだろうか。

 8時半。
鐘が鳴るにはあと1,2分といったところか。
 プライベートでは、早め早めに現地集合するたちのわたしであるが、職場だけは、いつもギリギリの到着だ。
 電車の一本でも遅れてくれればいいのにと思いながら、もたもたと駅からの道のりを歩く。
 古びた建物の裏口に足を踏み入れると、運転手のKさんが、ブロック塀に短い足を上げて軽く柔軟運動をしている。
私の姿を認めると、「おはようごさいます」と、礼正しく挨拶をする。
自衛隊にいたという彼は、いつも元気だ。
きりっとした返事の仕方も、その時の名残なのだろう。

職場で起きるあれやこれやのできごとに無縁でいられるようなKさんの立場に思いをはせる瞬間だ。
 彼の任務は、指示に従って、いわれた方向へハンドルを握るだけ。
もちろん、ひとくちに安全運転といったって、一歩間違えれば、命がかかわってくることだ。事務処理のミスのように、取りかえしのつくようなものではない。
 
 そうとわかっていても、(というより、運転しないわたしには、その大変さが実はわかっていないのだが)、同僚同士のしがらみや、ミスのつつきあい、パワーゲームから無縁でいられるように見える彼の立場をうらやましく思ってしまう。

 裏口からゴミ箱の陳列している前を通りかかると、早くも管理課サトウさんのだみ声が響いている。相変わらずでかい声だ。
 なにぶん、老朽化した建物に、古い設備のこと、なんやかんやのトラブルは、しょっちゅう発生する。
 またもや、何かあったのだろうか。
電話交換室の前にいるのは、お掃除のおばちゃんと、電話交換の職員と守衛さん。
彼らを前に、サトウさんが、得々と説明している。
彼の口癖は、「要は」である。
しかし、もっともらしい前置きで始めまる割には、特段、要領よくまとまっているわけでもない。
 よく聞いてみれば、そもそもが、もったいぶるような事柄でもない。
説明している暇があったらさっさと処理すればそれで良し、といった程度の内容だったりする。
 しかしここはサトウさん。
出勤早々、お掃除のおばちゃんにごみだしのマナーについて嘆かれ、守衛のおじさんに電話の調子が…などと不意をつかれ、気持ちをかき乱されたのだ。
朝はそれでなくても、ウツあがりの彼にとって、キツイひととき。
おかげで、憂鬱なな気分が一気に吹っ飛んだというもの。
そう、この事務所では、おちおち、沈んだ気分に浸っている暇もないのだ。
 とにかくも、朝っぱらか貴重な時間をとられたのだから、ここは恩着せがましく、自分の手柄を逐一、上司に報告しておかなくてはいけない。
 なにせ、この春から、副所長はじめ、課長、班長すべてが入れ替わった。
何事もはじめが肝心。
ここで自分の有能さをしっかりアピールしておかなくてはいけない。

目の上のたんこぶ、S班長氏が去ったあと、これからこの事務所を背負って立つのは、俺様なのだから。

 事務所には、大声でわめいて威嚇すれば、無理難題を通すことができると思っている客がときたまやってくる。
自分のことをひとかどの人物、それなりに扱われて当然と思っているのか。
ナントカ人格障害にこの手のタイプが多いと聞いている。
もっとも、大きな声が勝つと思っているのは、客ばかりではない。
 職員でもそうだ。
声が大きいと、それだけで、なんとなく仕事ができそうに見えるのだ。
 もちろんリスクも伴う。
トンチンカンなことや、つじつまがあわないことをつい口走ってしまった場合など、それらが周囲に筒抜けである。
その声の大きさがかえって墓穴を掘るということにもあり得る。

 業者にとって役所は大事な客だ。
こちらにとって都合のいい注文や要求に逆らったり、文句を言うことはない。
そうした相手の弱い立場につけこんで、至って横柄かつぶっきらぼうにあしらっても、彼ら業者の”大人な態度”に救われて、波風たつということは、ほとんどない。
 相手が同僚や業者なら、声の勢いで有利にもっていくことは可能かもしれないが、それがいつも通用するのは限らない。
 ことに、相手が一般のお客さんの場合だ。
役人の、上から目線が通用した、古き良き時代は終わったのである。

 先日職場に、一本の電話がかかってきた。
申請した書類についての問い合わせらしい。
受話器をとったサトウさん、いつものとおりの高飛車な勢いで対応していた。相変わらずの破鐘である。
 ところが、急に声のトーンが落ちた。こんな場合、普段の地声が大きいので彼の形成が不利になったことが実にわかりやすい。

 音量が小さくなっただけでなく、物言いも打って変わって丁寧になり、しきりになだめようとしている。
先方はそうとう怒っているらしい。

 そりゃそうだ。
何の問い合わせか知らないが、彼の口ぶりは、

「そんなことも知らなかったんですか」といった、明らかに相手の非をとがめるようなものだった。これでは、相手の気分を害するのは当然だ。

「ですから今、打ち合わせ中で……。本当に席をはずしているんですよ。夕方になると思うんですけど」
どうやら、向こうは、「上司を出せ」といってるらしい。
よくある展開だ。

 さあて、困った、どうするサトウさん。
こんな場合、周りの耳は、なにげない風を装いながら、すべて彼の電話の声に集中している。
 興味津々。誰も同情なんかしない。
自分がこの電話をとる羽目にならなくてよかったと思うばかりだ。

 電話の場合、相手の声が周囲に聞こえないので、フォローや共感を得にくいのだ。
そこにつけこんで、「ワタクシには、議員の友人がいましてね、彼に言えばあなたのクビなんて吹っ飛びますよ」と脅されたこともある。

 全くの孤立無縁状態。
 あの心細さ。
 こんなとき、相手を黙らせ、受話器を置かせる常套句はただひとつ。
上司が戻ったら、こちらから電話します、だ。
 夕方になり、打ち合わせから戻ってきた課長に、サトウさん、早速口早にことの展開をまくしてている。
ほう、れん、そう。報告や連絡、相談が大事だというのはもっともな話だが、
こんな不快なできごとは自分だけで抱えておきたくない。
できれば、さっさと上司に丸投げしてしまいたい。

 相手の理不尽な言い方、キレ具合を憮然とした表情で、説明しながらも、自分の言い方が、相手を怒らせたとは思っていないご様子だ。
 しかし、上司が聞きたいのは、相手がこう言った、ああ言ったというようなやりとりではない。
それでどうなったのか、何が問題となっているのか、自分はこれからどうすればいいのか、だ。
「で、こちらからまた電話すると言ったの?」と課長。
「ええっと、あれ、そんなこと言ったかなあ」とサトウさん。
言った言った、言ったじゃないか。
私は前の席で耳をダンボにしてしっかり聞いていたぞ。

何度もこちらから電話すると連呼していた。
 もしかして、とぼけているのではなく、相手の勢いにビビりながら、つい口走ってしまったために、本当に忘れてしまったのかもしれない。
 不愉快なことは思い出さないものだ。
 それとも、しっかり覚えてはいるが、都合の悪いこと、やりたくないことを闇に葬りたいのか。

 その日は、6時半から、親睦会主催の、歓送迎会が行われる予定であった。
彼らが宴会の会場へと繰り出す前に、くだんの相手から、何らかの催促の電話があったのかなかったのか。
宴会の酒がおいしく飲めたのか否か。

 定時の鐘とともに、とっとと職場を後にしたわたしは、その後の展開を残念ながら知らない。

                          2012/5