管理課、その抱えるもの
管理課には、レジ当番というのがある。
それに当たった人は、夕方レジを閉めるときに、数えた釣銭を金種ごとにメモをして、別の人がチェックしやすいようにするのだが、中原氏だけはなぜかそのメモ書きをしない。
彼の言い分は、「紙を節約しなくてはいけないから」である。
紙と言っても、再生紙の裏紙なのだし、あとでチェックする人のことを考えれば、メモしておくのが親切というもの、というのが大方の意見である。
しかし言っても聞き入れられないだろうと、皆あきらめて黙認していたのである。
そこで、レジ打ちのやり方は忘れても、上司へのお茶出しは忘れないS氏。ここは新任の課長の前で、びしっとした様を見せたいところ。なにしろ長のつく立場である。おもむろに中原氏に近づくと、
「ちょっと書きゃあいいじゃん。そんなの30秒かそこらで書けるでしょ。中原さんだけだよ、書かないの。あとでチェックする人に対して失礼だよ」と語気を荒げて云い募った。
しかしそんなことで、いまさらひるむ中原氏ではない。彼には長年の間に蓄積したこだわり及び理屈があるのである。
「なーに言ってんですか」に始まり、世の中は紙を節約する方向へ動いていること、メモに書いたら、それを信じてしまって、かえってお金の勘定がおろそかになることなどを、S氏の声をはるかに上回る大声で説き始めた。その勢いたるや、あたかもS氏がなにか間違ったことを言ってしまったかのようである。こうなったらS氏としても、ひくに引けず、つぶれかけた面目をたてなおさなくてはいけない。「ここに書けって言ってんだろ、ここに!」と益々声を荒げ、再生紙でできたメモ用紙をたたきつけんばかりの勢い。普段は、良く言えば穏やか、へらへら笑ってするりとすり抜けるたちの彼にしては、珍しく本気で怒っている。何ごとが起きたのかと、様子を見に来た新任の課長は、一体何がそんなに深刻なのか、今ひとつわからないらしく、ぼさっとその場にたたずむばかり。初めはマッチの先の火種ほどだったものに、突風が吹きつけて、一気に火の手があがったかのようである。
しかし、北風と太陽の話にもあるように、そう頭ごなしに怒鳴られれば、誰だって意固地になって言うことを聞きたくなくなるものである。ましてや相手は中原さん。結局、S氏の怒鳴り損。中原氏の、「メモに書かなくてもチェックする方法をあとで教えますから」と、あくまでも自分流のやり方を押し通す発言で、この争い、とりあえず閉幕となった。
これまで、ひとりの人間を変な奴、と切り捨てることで保ってきた均衡が、つまらないできごとを機会に、ほころびかけたようである。本庁より、長らくお預かりしてきた荷物も、ここまできて、持ちきれなくなったということか。
「中原さんだけ楽して、ずるーい」
「それを黙認する上の人もおかしいんじゃないの」
「班長なんだからへらへらしてないでもっと仕事してよ」
それぞれが、心に抱く葛藤や不満は、今までだってずっとあったはずなのである。
まるでそうしたものがないかのように、和気合々とした雰囲気を取り繕っているよりは、こうした毒にも薬にならない、いさかいというものは格好の気分転換ともいえる。
「まだ揉めてる。どっちもどっちだよね」
「よくもまあ、あんなくだらないことで、熱くなれるもんだ」
などと、仕事をしながらもしっかり耳だけは傾ける。こちらに火の粉が降りかかってこない分には、わくわくと刺激的である。増してや、その勝敗に関心があるとなればなおさらのこと。上司と言ったって、所詮はみんな雇われ上司、わたしたちと同じ小役人にすぎないじゃないのさ、とS氏が上役に気を使えば使うほど、媚びれば媚びるほど、反発心が沸き起こっていたわたしとしては、心の中で中原氏の方に声援をおくる。
野球やサッカーのような試合でも、ただ漫然とプレーの成り行きを眺めているよりも、応援するチームがあるほうが、よっぽど張り合いがあるのと同じである。
2008/4