管理課、その抱えるもの


 今年4月の人事異動で、管理課長が定年退職をむかえ、職場を去った。そのためだかどうだか、管理課内の空気に、微妙な変化が起き始めた。
 管理班の班長S氏と、次席の中原氏、このふたりの対立である。
これまでにも彼らの間に、ささやかな衝突がなかったわけではない。

 そのいさかいの中身というのが、中原氏が、人に話しかけられ時に返事をした、しなかっただの、電話の用件をきちんと聞いた聞かなかっただの、日程表に予定を入れた入れなかっただの、といった類のものである。確かに仕事のやりかたをめぐる衝突と言えなくもないが、そのどれもが、放課後、委員会があるのにさぼって帰ってしまった生徒を注意するといったレベルの話である。
 彼らふたりで共有している電話のベルが鳴ると、両者何も言わなくても、「おまえが出ろよ」という空気がサッと流れ、多くの場合は、席順のわずかな上下関係から、中原氏が投げやりな態度で受話器をとることになる。
 課長曰く、中原氏は、本庁から「お預かり」している存在なのだそうだ。それ故、他の職員よりも仕事量は、ぐっと少なくあてがわれ、彼もその状態に甘んじている。
 やりたくない仕事は絶対にやらない、を信条とし、
「まったくしょうがねえなあ」と陰口をたたかれようとも、
「彼よりは、わたしのほうがマシかも」と心ひそかにホッとされようとも、
ふらりと行方不明になり、「またどっかその辺を散歩してるんじゃないの」
と、せせら笑われようとも、彼自身はどこ吹く風。何かをしてもしなくても、本人の預かり知らないところで、同僚に話題を提供しているのである。

 他の職員の手前、または指導者としての評価にかかわることもあって、時には
「中原さん、ぼおっとしてないで、少しは仕事したらどうなんだよ」という言葉は、しばしば課長から投げかけられたものの、もとよりその忠告が功をなすとは思っていないのか、言い方も、いまひとつ迫力に欠けていた。
 一方、班長S氏はといえば、「和」を重んじ、上司を重んじるたちである。
 仕事よりも、飲み会やテニスを中心に生活が回っているようで、プライベートタイムにおける部下への気配りも怠らない。
「年寄りをそんなに働かすもんじゃない」の一言で、やっかいな仕事はどんどん部下に回すのだが、日頃の面倒見のよさや人当たりの良さから、なんとなく断りきれない雰囲気を匂わしている。
「仕事はひとりで抱え込まないで。大変なら、みんなで分担したらいいんだよ」
というS氏の心温まるアドバイスも、よくよく聞いてみれば、その「みんな」の中には、彼自身が含まれていないことがわかる。上には抜け目なく取り入り、仕事の分担を少なくしてもらっているS氏にせよ、どうしようもねえなあ、あいつは、と呆れられつつ、その立場をうまく利用している中原氏にしても、どちらも同じ穴のむじな。仕事をしない、という点では同じなのであるが、常識的な発言や、組織の期待する役割からすれば、中原氏の部が悪いというだけのことである。

 これまでは、管理職経験の長い課長のこと、人あしらいのうまさもあって、
「中原さん、これはどうやるんだ、ちょっと教えてくれよ」などと下手に出ることで、彼をそれなりにたてて、うまく使っていたところがある。課長以下、馴れ合いともいえるものが存在し、管理課は表だった波風も立たずに、それなりに回ってきたのである。
 このたび、その課長がいなくなり、本庁からは、管理職の仕事が初めてという方が着任してきた。管理職の仕事が初めてとあれば、人を使う経験も、ほとんど初心者である。ましてや、相手は中原さん。着任早々、とまどったに違いない。
 中原氏にしたら、目の上のたんこぶが取り払われたとあれば、もはや怖いものなし。これまで以上に、やりたい放題、というよりは、やらない放題。ここは、班長S氏、放ってはおけないところ。一応、「長」のつく役職として、期待される威厳は保っておかなくてはならなくなった。
 そういうところへ、今回の騒動が起きたのである。

管理課には、レジ当番というのがある。
 それに当たった人は、夕方レジを閉めるときに、数えた釣銭を金種ごとにメモをして、別の人がチェックしやすいようにするのだが、中原氏だけはなぜかそのメモ書きをしない。
 彼の言い分は、「紙を節約しなくてはいけないから」である。
 紙と言っても、再生紙の裏紙なのだし、あとでチェックする人のことを考えれば、メモしておくのが親切というもの、というのが大方の意見である。
 しかし言っても聞き入れられないだろうと、皆あきらめて黙認していたのである。
 そこで、レジ打ちのやり方は忘れても、上司へのお茶出しは忘れないS氏。ここは新任の課長の前で、びしっとした様を見せたいところ。なにしろ長のつく立場である。おもむろに中原氏に近づくと、
「ちょっと書きゃあいいじゃん。そんなの30秒かそこらで書けるでしょ。中原さんだけだよ、書かないの。あとでチェックする人に対して失礼だよ」と語気を荒げて云い募った。
 しかしそんなことで、いまさらひるむ中原氏ではない。彼には長年の間に蓄積したこだわり及び理屈があるのである。
「なーに言ってんですか」に始まり、世の中は紙を節約する方向へ動いていること、メモに書いたら、それを信じてしまって、かえってお金の勘定がおろそかになることなどを、S氏の声をはるかに上回る大声で説き始めた。その勢いたるや、あたかもS氏がなにか間違ったことを言ってしまったかのようである。こうなったらS氏としても、ひくに引けず、つぶれかけた面目をたてなおさなくてはいけない。「ここに書けって言ってんだろ、ここに!」と益々声を荒げ、再生紙でできたメモ用紙をたたきつけんばかりの勢い。普段は、良く言えば穏やか、へらへら笑ってするりとすり抜けるたちの彼にしては、珍しく本気で怒っている。何ごとが起きたのかと、様子を見に来た新任の課長は、一体何がそんなに深刻なのか、今ひとつわからないらしく、ぼさっとその場にたたずむばかり。初めはマッチの先の火種ほどだったものに、突風が吹きつけて、一気に火の手があがったかのようである。
 しかし、北風と太陽の話にもあるように、そう頭ごなしに怒鳴られれば、誰だって意固地になって言うことを聞きたくなくなるものである。ましてや相手は中原さん。結局、S氏の怒鳴り損。中原氏の、「メモに書かなくてもチェックする方法をあとで教えますから」と、あくまでも自分流のやり方を押し通す発言で、この争い、とりあえず閉幕となった。

これまで、ひとりの人間を変な奴、と切り捨てることで保ってきた均衡が、つまらないできごとを機会に、ほころびかけたようである。本庁より、長らくお預かりしてきた荷物も、ここまできて、持ちきれなくなったということか。
「中原さんだけ楽して、ずるーい」
「それを黙認する上の人もおかしいんじゃないの」
「班長なんだからへらへらしてないでもっと仕事してよ」
それぞれが、心に抱く葛藤や不満は、今までだってずっとあったはずなのである。
まるでそうしたものがないかのように、和気合々とした雰囲気を取り繕っているよりは、こうした毒にも薬にならない、いさかいというものは格好の気分転換ともいえる。
「まだ揉めてる。どっちもどっちだよね」
「よくもまあ、あんなくだらないことで、熱くなれるもんだ」
などと、仕事をしながらもしっかり耳だけは傾ける。こちらに火の粉が降りかかってこない分には、わくわくと刺激的である。増してや、その勝敗に関心があるとなればなおさらのこと。上司と言ったって、所詮はみんな雇われ上司、わたしたちと同じ小役人にすぎないじゃないのさ、とS氏が上役に気を使えば使うほど、媚びれば媚びるほど、反発心が沸き起こっていたわたしとしては、心の中で中原氏の方に声援をおくる。
 野球やサッカーのような試合でも、ただ漫然とプレーの成り行きを眺めているよりも、応援するチームがあるほうが、よっぽど張り合いがあるのと同じである。

                             2008/4