2003/6/28-6/29 苗取り歌と田植え歌 転勤で大阪に引っ越して、はや1ヶ月。ようやく土日があいたので、久しぶりに広島にかえることにした。 土曜日、新幹線で自宅に帰り、夜、いつものカメラにくわえて、新兵器のICレコーダを携えて小板に向かう。 国道191号線の松原〜小板間の道の両側には、アジサイがずっと植えられているが、ヘッドライトに浮かび上がるアジサイたちは、まだ色づき始めたばかり。見ごろにはまだ少し早い。 10時すぎ、小板に到着。車を降りると、2,3匹、蛍が舞うのが見えた。ああ、蛍って今頃の時期だったっけ。ずいぶん久しぶりに見たような気がする。 家に上がると、甥のアキヤが寝ている。ちょっと見ないうちに、髪の毛も黒々と生えそろい、すっかり子供らしくなっている。まったく赤ちゃんが育つスピードには、目を見張るばかりだ。 今回の帰省の目的は、カナダのサチおばちゃんのリクエストで、親父さんに田植え歌を録音してもらうこと。 早速、ICレコーダを取り出して、録音して、と頼んだが、いまはそんな気分じゃない、と断られてしまった。 次の日、梅雨とは思えぬ快晴。いつものように、カメラを持って散歩に出かける。 ノイバラはすっかり花が終わってしまい、今はアザミが満開。ピンクのアザミの間をひらひらと、いろいろな蝶が飛び回っている。 オレンジ色は、ウラギンヒョウモン。 黒いのは、カラスアゲハ。 あちらこちらで鳥がさえずっているが、近づかせてもらえないか、逆光か、この葉に隠れて見つけられないかで、なかなか撮影できない。 高い木のてっぺんで、声高らかにさえずっているホオジロを撮ろうと苦心していると、目の前の枯れ木に小鳥の気配。あわててシャッターをおしたら、かろうじて写っていた。ヤマガラだ。図鑑によると、この鳥、えさの木の実を木の皮の間などに隠しておく習性があるとのこと。ちょうどえさを隠しにきたところだったのかな? 牧場のそばの小川をたどっていると、スマートなトンボ、オオカワトンボを目撃。 そのまま、牧場の周囲をめぐっていると、砂漠に林立するサボテンのようなものを発見。よく見ると子供のころに「狐の尻尾」と呼んでいた草の胞子のようだ。後の調査でこの草は、シダの仲間のヒカゲノカズラと判明。 山肌の日陰には、コアジサイが満開。 牧場のそばの沼に差し掛かると、沼にかかる倒木の上に3羽の水鳥が止まっているのが見えた。 この沼の水の中をよく見ると、小さなおたまじゃくしがいっぱいいる。沼の上の木の枝には、泡の塊。 ニシキギの小さな白い花をよく見ると、蟻が蜜をなめている。1つの花の蜜をなめ終わると、すぐ隣に花があるのに、うろうろと木の葉っぱのふちをたどって、ようやく次の花にたどり着く。ハチに比べるとずいぶん効率が悪そうだ。 牧場の草の間には、ひっそりとヒメハギが咲いている。 がけの上の牧草地に向かうと、がけで何かが動く気配。山犬?いや、キツネだ!。 高台の牧草地の一角には白いセイヨウノコギリソウの群生。深入山をバックに一枚。 メインの牧草地にたどり着くと、牧草地の真ん中で、ピーチクパーチクと声がする。ヒバリだ。 牧場の脇では、ヤマボウシが満開。 そのそばには、赤っぽくてつるつるした幹の枝の先に、ナツツバキが咲き始めている。 牧場めぐりもそろそろ終わりに差し掛かったところで、可憐なササユリが咲いているのを見つけた。ササユリにお目にかかるのも何年ぶりか。昔は、山あいの道端のそこここに見かけたものだが、最近はとんと見なくなった。 長い散歩からかえって、仕事休憩中のみんなと雑談が始まる。 ここぞとばかり、新兵器のICレコーダを録音にセットして、親父とお袋に苗取り歌と田植え歌を歌ってもらう。
この歌は、苗取りや田植えの作業で、腰が痛くて耐えられなくなったころに、歌われたのだそうだ。 歌の調子で「もういい加減にしようや」「まあ、そういわずにもうちょっとがんばろうや」というような掛け合いを表現していたそうだ。「つらい」と言葉にしてしまうと、気持ちがくじけてしまうからだろう。農作業が機械化されて歌われなくなった歌たち。今でもところによってはイベントで歌われたりするけれど、そういうニュアンスは失われてしまった。文化が生活に根ざしたものである限り、やむをえないことなのだろうが、ちょっと残念なことでもある。 日が暮れて、蛍が出てくる時間になった。この時期に出てくるのはゲンジボタル。 今回は、撮影失敗が多くて残念。次回はもうちょっとがんばろっと。 |