特派員レポート

牛の階級制度


牛の社会にも階級制度があるのを知っていますか?実は人間の社会より厳しい階級制度があるのです。

動物はすべて、ドミネンス・オーダーと、テリトリーの2つの性質を持っています。ドミネンス・オーダーは順列の事、テリトリーは縄張りのことです、そして一方が大きければ、他方が小さいと言った関係で、動物の種別によってこの表現が決まっています。例えば集団で暮らす猿は上位の猿と下位の猿の身分ははっきりしています。個々で暮らす熊は、縄張りを大切にします。普通の動物はその中間の性質を持ちます、我々人間は社会的には集団を作って順列を大切にしますが、家庭という縄張りには他人の干渉は排除します。

それで、牛はと言う事になりますと、彼らは本来集団で暮らす動物ですから、熊より猿に近いですね。縄張りは食事をしてるときの餌槽の周りだけでごく狭いのですが、群れの中での順位は非常にはっきりしていて、厳しく守られます。下位の牛は上位の牛が食べ終わるまで、絶対にえさを食べさせてもらえませんし、雪深い真冬でも畜舎のなかで寝させてはもらえません。もし、そのルールを破ると手ひどい体罰を受ける羽目になります。牛の順列は、牛同士の1対1の争いで決めるのです。

自然は良くしたもので、幼い子牛は順列の競争の対照にならないのです。体力のない・知識のない子牛が、体力勝負の競争には勝ち残れるわけがありません。それでは、種が滅んでしまいます。そこで12カ月くらいまでの子牛は、ボスや上位の牛にはいじめられないのです。そんな現象を目の前で見ると、自然の偉大さに、ただただ頭が下がるのです。

お産などで群れをはなれて牛房に入っていた牛が、子牛を連れて群れに帰ってきたときなどに、どの順位に入れるかで争いが始まります。それが群れ全体に伝播して、ボスの交代まで広がるときがあるのです。その時ばかりは私達、日頃飼育に携わっている人間の制止も耳を傾けません。勝負が付くまで争うのです。

 私達はボス交代を、詳しく観察して多くの事を学びました。

 まだ、群れが小さい頃、”いいあさひめ”号という小柄な牛がいました。頭がいい牛で、ボスでした。弱い牛をいじめない、人の子牛はかばう、そんな性格でした。

 ある冬の寒い日に、争いが起きて、ボスの交代がおきました。見浦牧場は冬でも屋外に放牧で、子牛と力が強い牛が入れるだけの避難用の牛舎しかありません。ボスの交代があった翌日、”いいあさひめ”号は順位が3位か、4位に下がっただけで、避難舎のなかで寝てました。勿論一等地ではありませんでしたが。

 その暫く後で、名前は忘れましたが、ボスになった牛がいました。大きな牛で格好も良くって、勿論力もあってボスになったのですが、彼女(繁殖牛群=メス牛と子牛の群れなので、「彼女」です)は気が荒くて、縄張りを犯されるととことん追っかけてやっつける、子牛でも容赦はしない、そういう性格の牛でした。そんな奴でも力さえあればボスになる。そのときは、なんだかやりきれない気持ちがして、「牛はやっぱり畜生だ」と思いましたね。

ところが、それからしばらくして、やはり寒い吹雪の日に、また、ボスの交代が起きたのです。2位の牛との争いが済むと、3位の牛がかかって行きました、3位が済むと、4位の牛がと、次から次へ争いを仕掛けます、へとへとになっても新手が登場して・・・・・
翌日、昨日まで特等席で寝ていたこの牛が、吹雪の中で震えていました。人の生き方を教えるようにね。

見浦牧場の哲学「自然は教師、動物は友、私は考え学ぶことで人間である」はこんな中から生まれたのです。

(2002年4月11日 テツ特派員報告)


「なぜ、いいあさひめ号は3位か4位ですんだのに、もう1頭の牛は最下位まで転落したか」

牛はボス争いが勃発すると、「今なら勝てそう」、「このチャンスにあがっとこう」と考えて順位争いに参画します。

ボス争いのときには、上から順番にけんかをしていくわけですから、ボスだった牛は1回ごとに体力を消耗して弱っていきます。順位争いが単純な力比べだと、ボス争いで負けた牛は、一気に下に転落しそうなものですが、いいあさひめ号の場合はそうはなりませんでした。それは、なぜでしょう?

牛にもそれぞれ性格があり、何がなんでも一番になりたがる荒っぽい性格の牛もいれば、不都合がないかぎり争いをさける穏健派の牛もいます。

いいあさひめ号の場合は、4位か5位の牛が「こいつが上にいても、何の不都合もないし、このままでいいや」と順位争いを仕掛けなかったため、それ以上順位が転落しませんでした。

しかし、その後にボスになった牛の場合、それまでの所業が災いし、どの牛も、「こいつが上にいると、自分は快適に暮らせない」「以前、ひどい目に合わされたから、今が仕返しするチャンス」と考えたのでしょう。その結果、この牛は、次から次へと果てしなく順位争いをしかけられ、最下位まで転落してしまったのです。

(2002年4月14日 コツ特派員追加取材報告)