「僕、結婚します」
後輩のM君からこの報告を受けたのは、2006年初夏のことだった。
「それはおめでとう。よかったな」
M君の彼女とは以前に何度かお会いする機会があったので、報告をもらった時に特別な驚きはなかった。
「それで、式はいつなの?」
「来年の1月の予定です」
「そうか、わかった。これから準備しないといけないな」
「そうなんですよ。式場選びから何から、これから少し忙しくなります」
「いやいや、それも大変だろうけど、僕の方の準備が大変なんだよ」
「先輩の準備って、何が大変なんですか。ひょっとして祝儀のことですか?でしたら無理はいいませんよ。お気持ちだけでいいですから」
「馬鹿いうなよ。確かに住宅手当と残業代が無い分、君より給料は安いけどさ。そんなことじゃなくて、僕と言えばアレしかないじゃないか」
「アレって言われても・・・」
「他でもない君の結婚式だろ。ずっと前から君の披露宴で弾く曲を決めていたんだよ」
「え、ピアノやってくれるんですか?それは嬉しいなぁ。彼女も喜ぶと思いますから、ぜひよろしくお願いします」
紛れもなく押し付けがましい私の言葉によって、式場をはじめ未だ何も決まっていない「余興」の一つに、私のピアノ演奏が堂々エントリーされる運びとなったのである。
私がピアノに触れるようになったきっかけは、「3人も作った子供の中から、1人でもピアニストになってくれれば」という、いわば、下手な鉄砲も数打てば当たる的な母親の野心に他ならない。うちは決して裕福な家庭ではなかったが、無駄遣いを嫌う父親の制止を振り切り大枚を子供に投資する母親の様は、ある意味、馬券を握り締めて買い馬の優勝を心待ちしている一端のギャンブラーであった。
が、その野心とはうらはらに、馬達はことごとく駄馬であった。母親はピアニスト資金を調達すべく日中はパート勤めしていたので、常に馬達は放牧状態。厩舎に戻ると、お菓子を食べながら寝転んでテレビを観るだらしない毎日。そして、母が帰ってくる5時30分5分前から「今日はいかにしてピアノを練習した形跡を残すか」または「一生懸命練習はしたが、今日は上達しなかった」というようなシミュレーションに勤しむ毎日だった。そして、週に一度やってくるレッスンの日。かのシミュレーションで誤魔化せる筈もなく、ただ調教師に鞭を頂戴しにいくという憂鬱な一日であった。
恥かしながら、これが私のピアノ人生のほとんどであり、云うまでもなくその腕前は三流大学。まさか他人様にお聞かせできる代物でないことは本人が一番知っている。
その証拠に、過去に幾度か開催されたピアノの発表会では、練習不足に極度の緊張が加わり、椅子に座ったとたん手足は震えを始め、曲の記憶はフェードアウト。自分で演奏しておりながら「お願いしますから、一刻も早く終わってください」と、ただただ無言ですがった。そのうちに、鍵盤が見えなくなって指が止まり、数秒の静寂の後、次の章にジャンプして弾き続けたり、ミスタッチの連続でもはや曲とは呼べないモノとなって、皆さんの笑いを誘うものとなった。一度たりとて平穏無事に終えることが無かったのだ。
にもかかわらず、後輩とはいえ人様の披露宴で「ピアノを弾いてやる」などと平気で口走ってしまえるのは、大勢の前でピアノを弾いてみせたらさぞや気持ちいいだろう、といったイヤラシイ妄想癖、目立ちたがりで、まさに変態的ともいうべき性格がそれに優っているからである。
数日後、M君が式場を選び始めるうちにある条件がネックとなり、決めかねているという相談があった。
「先輩、ピアノにこだわりってあります?」
「こだわり?ベヒシュタインとかスタンウェイのコンサートピアノじゃなきゃダメとまでは言わないけど」
「そこまでは分かりませんが、家庭にある縦置きのピアノなら多くの会場の中から選べるんですけど、グランドピアノだと限られちゃうんですよね」
「せっかくの機会だし、グランドピアノで頼むよ」
「そうですか、分かりました。また探してみましょう」
後日、M君から、週末に彼女と数多くの式場を歩き巡り、やっとの思いで決めてきたとの報告を受けた。
いよいよ、やるべきは練習のみとなった。
飲んで帰らない数少ない日に一心不乱でピアノに向っていると、2時間座りっぱなしということもあった。今回の練習を通じ、ピアノに限らないが、才能がなくても練習すればある程度までできるようになるということを、遅ればせながら確信することとなった。
私は、過ぎ去ったことに一切こだわらない性格だが、この練習が子供時代であれば、今頃、大観衆の前で演奏し、お金をいただける
ような身分は無理にしても、両親の前で弾き、手を叩いてもらえる程度のレヴェルは維持できたのではなかったろうか。そう思うと、子供をもつ身になった今、大枚をはたかせた親には大変悪いことをしたという懺悔の気持ちを覚えた。
さて、今回披露する曲、否、プレゼントする曲は、シャンソンの「La Mer(ラ・メール)」、訳すと「海」という曲である。
‘渚のアデリーヌ’で有名なリチャード・クレイダーマン氏のアレンジによるこの曲、幼少の頃から好きだったのだが、目一杯手を広げての打鍵が連続するかなり難易度が高い(当人比)曲であった。身長に比例して手が子供のように小さい私、残念ながらこの曲の演奏には縁がないものと半ば諦めていたが、なんとか試行錯誤し、左手の届かないところは右手でカヴァーするなどして取り繕い、式の1ヶ月前には何とか曲をマスターした。また、家の電子ピアノでは本物の感覚に乏しいこともあり、式の一週間前には貸しスタジオに赴き、グランドピアノでの最終調整。自分の中ではもう大丈夫といえるところまで詰めることができた。
迎えた式当日。
厳かな結婚式を無事終えて、披露宴会場に移る。
配られた次第をみてみると、どうやら私の出番は最後の最後となっているようだ。なるほど、この披露宴を私のピアノで締め括るというアイデアだな。なかなかどうして、彼もエンターテイナーである。
勿論、酒は飲めないのでソフトドリンクで喉を潤す。すると、
「ようよう、いつもは何でもない日に浴びるほど飲んでるくせに、なんでこんなにめでたい日に飲んでないのよ。ほら、飲めよ。俺の酒が飲めないってのか」
と、強引にグラスに酒をつぐ同僚もいた。だが、今日のために半年間頑張ってきたものを一杯の酒でダメにすることはできず、頑なに断った。
式も滞りなく終始和やかに進行。そして、ついに私の出番である。
司会者に私の自己紹介をしてもらい、「結婚おめでとう。お幸せに」と簡単な挨拶を告げてピアノに座る。
「ああ、もう逃げられないよ・・・」
初めの鍵盤をタッチして、弾き始め。入りはスムーズにいったようで、汗ばむ指も、もつれることなく進む。
途中、友人から教えてもらったオマジナイをかけ、中盤ぐらいまでは大きなミスもなく順調にいった。
「みんなカボチャ、僕はカボチャさんに向かってピアノを弾いているんだ。カボチャ、カボチャ・・・」
と、その時、近くにいた一つカボチャが、こんな言葉を呟いた。
「ねぇねぇ、あのピアノの人震えてるよ?ほら、見てよあの足」
まるで当人にその感覚がなかったのだが、視線を足をやってみると、指摘のとおり左右の足が激しくヴァイヴレーションしている事実。
これはいけないと、ペダルを力強く踏みつけ震えを押えようようとした。が、それを力強くすればするほどに、足の振動が著しく激しくなるのが伝わってくる。いわばペダルが車のアクセルと化し、踏めば踏むほどシリンダー内のピストンが激しく上下している状態。さらには、指にまでその勢いが押し寄せ、曲が一気に加速した。
もうこうなれば、お決まりのパフォーマンスだ。震える足に気をとられて音を見失しなってしまい、披露宴にチンドン屋がやってきました状態。ひどい音を重ね連ね、最後の最後まで音を外してしまった。
カボチャであったはずのオーディエンスが、ハロウィンのカボチャのようにギザギザ口を開け、皆私の醜態にケタケタ笑っているかのような感にもおそわれた。
「ごめんなさい」
私は思わず声を発してしまった。さぞや聞き苦しかったことだろう。いただいた拍手が申し訳なく、ただただ頭を垂れた。
司会者が、
「今まで大好きなお酒を飲まれないで頑張られたんですよね。とってもよかったですよ」
と、皆さんの前で慰めのフォローを入れてくれるも、茫然自失の私は、
「はやく飲みたいです」
と搾り出すが精一杯だった。
席に戻り、「お疲れさま」と言ってくれる友人の労いにも応える余裕はなく、未だ口のついていないワインと日本酒をイッキで飲み干し、式の終わりまでうなだれていた。
帰り道、少し冷静になったところで、私は心に固く誓った。
もう二度と、自ら進んで人様の前でピアノを演奏するようなおこがましいことは言うまいと。
聞き手を不愉快な気持ちにさせることはもとより、それ以上に、私の人生がリグレット一色に染まってしまうに違いないからだ。
今後、もし私にピアノを演奏してくれという人がいれば、上記をよく読んだ上で、慎重に、冷静に判断してもらいたい。
それでも聴きたいというのであれば、その時は喜んでお受けしよう。
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