プロローグ


 「お義母さんのお世話を私に任せて、自分は気ままに単身赴任。自宅には土・日の2日しか帰ってこないのに犬を飼うっていうのよ。私は忙しい家の雑事の時間をやりくりし、やっと卓球とパッチワークの時間を作っているのに、私には犬の世話を焼く時間はないわよ。お父さんはいつもこう、勝手なことを言って、好きなことをして、何でも私に押しつけるんだから、、、。」
 平成15年12月某日、湿った声で私に訴える母である。電話を握る私も2歳の男の子を持つ親、身仕舞いができない家族(である犬)を持つ大変さは嫌と言うほど承知している。いつもながらのとっつあんの極楽とんぼぶりにジワジワ、ムラムラと怒りがこみ上げてくる。
「分かった。とっつあんには俺から意見し、諦めさせるから。」
「とっつあん、ワンコを飼うって、本気(マジ)で言ってんの?おばあちゃんのこと、親戚や近所とのお付き合いのこと、お母さん自身の趣味のこと、そういう諸々のことを知ってんの。この上にあっちこっちに糞と小便をまき散らすワンコの世話をお母さんにさせるの。どうせ一時の気の迷いとは思うけどさ、今の単身赴任の生活が解消され、とっつあんの趣味はとっつあんで責任が取れるようになってから好きにしなさいよ。ちょっと酷いよ。」
「倅、おめぇ、コーギーって知ってるのか。イギリスはウェールズのペンブロークシャー地方で牛を追っていた使役犬で、胴長短足、耳デカ、狐顔。こいつが走る姿には惚れ惚れする。その姿があまりにも可愛すぎるものだから、イギリスではコーギーのことを“天使の贈り物”と別称し、また、コーギーの首周りの白い毛の部分は“妖精のサドル”と言われ、そこには妖精が乗っているとも言われているやんごとなき犬なんだぜ。」
 話が全くかみ合わない。
 そもそも一般には、小学生が道の捨て犬を拾ってくる。親が「うちでは飼えないから戻してきなさい」と叱る。「私が絶対面倒みるから、お願い飼って!」と小学生が半ベソかきながら懇願する、というのがシナリオの筈である。しかし、どうやら我が親父はその逆を行くつもりらしい。
 平成16年2月15日、母からの車中の電話である。
「ブリーダーさんのところに犬を見に行ったのよ。見たら可愛くて、可愛くてねぇ。あれを置いてくるなんて、そんなことは絶対できないわよ。お父さんが悪いんだから!」
“をいをい。俺はどうなるんだい”


 ぽん太が私の実家の家族になったのである。

 

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