VIVA MARIKO! / 藤真利子


藤真利子さん、ず〜っと大好きです!

 思いおこすと、好きになったのは1979年ですね。もともと中学生の頃からユーミンの大ファンだった僕ですが、ユーミンが作曲した大名曲<シ・ナ・リ・オ>を真利子さんがテレビで歌うのを見たのがきっかけでした。この曲は歌詞(作詞:杉紀彦)にルイ・マルやゴダールまで登場する‘ヌーヴェル・ヴァーグ・ポップス’(なんじゃそりゃ?)とでも呼べそうな、女優の真利子さんにはピッタリの歌でした。シングル盤を手に入れて何度も聴きました。周りの人にも聴かせました!
 次のシングル盤で、ジャン・コクトーの映画「オルフェ」へのオマージュ、<霧のオルフェ/真夜中のボレロ>(A面:タンゴ!、B面:ボレロ!)には、正直、高校生の僕はちょっと引いてしまいましたが、でも真利子さんが、日本で一番好きな歌う女優であることはずっと今まで変わりませんでした。


 真利子さんの魅力…、まずその容姿が好きですね。僕はヘテロ男のように女性に欲望を感じるわけではないのですが、とにかく好みの美しさ。
 また‘重い演技、軽い性格’といわれる(?)ちょっとエキセントリックなところも好き(実は僕は密かに‘日本のグレンダ・ジャクソン’と呼んでます)。
 歌い上げて声量で勝負よ!系ではまったくないその歌声には、不思議な説得力と独特の世界があります。
 そして真利子さんの書く歌詞。彼女自身大好きというユーミンの影響は見え隠れしますが、言葉選びやその修飾語の独特さ…。女優の‘自分のレコードで1曲作詞してみましたぁ〜。これでアタシもアーチストだわっ’世界とは、一線もニ線もを隔した、その質の高さ。やっぱり、作家の娘だから違いますね…なんて言ったら怒られますか?真利子さんの作詞は、あの近田春夫氏も以前大絶賛しておられました。

 真利子さんのアルバム5枚は全て好きなのですが、ここでは、その中でも僕の最愛聴盤、1984年に松任谷正隆さんがプロデュースした「ガラスの植物園」を紹介させていただきます。アルバム・カバーも美しいし、正隆さんの編曲も素晴らしいです。日本語詞は全て微美杏里こと真利子さんです(そういえば真利子さんが作詞する時のペンネームは、ユーミンがグレタ・ガルボから呉田軽穂と付けたのに倣い、ヴィヴィアン・リーから微美杏里としたのですよね)。

ガラスの植物園
01. 素敵なMIO

FIO MARAVILLA (Jorge Ben, Boris Bergman)
 原曲はブラジルを代表するソングライター、ジョルジ・ベン(Jorge Ben 現ジョルジ・ベンジョール Jorge Benjor)が1972年のアルバム「BEN」で発表した<FIO MARAVILHA>(原詞はポルトガル語)。その曲にBoris Bergmanがフランス語歌詞を書き、1973年にニコレッタ(Nicoletta)が歌いヒットとなりました。邦題は<想い出のカーニヴァル>。スペイン生まれでフランスで活躍した歌手グロリア・ラッソ(Gloria Lasso)がスペイン語で歌ったヴァージョンもあります。
 真利子さんのヴァージョンを聴くと、なぜかユーミンの<ハルジョオン・ヒメジョオン>を思い出してしまうのは僕だけでしょうか?描かれるたそがれが美しすぎる…。
02. アブナイ彼

ATTENDS OU VA T'EN (Serge Gainsbourg)
 前作「アブラカダブラ」(1983年)でもセルジュ・ゲンスブ−ルがフランス・ギャル(France Gall)に書いた<娘たちにかまわないで/LAISSE TOMBER LES FILLES>(1964年)を<うわきなパラダイス急行>というタイトルで作詞し歌っていた真利子さん、今作でもセルジュ作を2曲採り上げています。これはフランス・ギャルの邦題<涙のシャンソン日記>が原曲(1965年)。真利子さんと同時期(1984年)に、同じレコード会社からMIKADOによるカヴァーも出ましたね。
 カー・レースといえば‘ル・マン’‘グラン・プリ’という連想のある世代の映画ファンにはうれしい1曲。そういった映画では、女性はまだまだ‘添え物’扱いだったの?ですが、その辺もうまく歌詞に盛り込んでいる真利子さん、スルドいですね。
03. BIG FAT MAMMA

BIG FAT MAMMA (Michel Berger)
 同じくフランス・ギャルのカヴァー。1975年のアルバム「新しい愛のはじまり/FRANCE GALL」からで、ギャルの夫でもあった今は亡きミシェル・ベルジェ作。こういった曲を選ぶ、‘普通じゃない’感覚が大好きです。
04. 戯れの6月

L'IRREPARABLE (Veronique Sanson)
 ヴェロニク・サンソン、1972年のデビュー・アルバム「愛のストーリー/VERONIQUE SANSON」より。このアルバムもミシェル・ベルジェがプロデュースしていました。邦題は<愛する心が>。
 この詞にも一部ユーミンの影響が感じられます。頭韻を踏んだ歌詞の、たたみ掛ける感じが魅力。
05. 謎のボーイフレンド

JAZZ A GOGO (Alain Goraguer, Robert Gall)
 これもフランス・ギャル、<ジャズ・ア・ゴー・ゴー>(1964年)のカヴァー。この真利子さんの歌詞は最高ですね。1984年にこの言葉選び!詞と曲が絶妙に調和した大傑作です。
06. ハロウィーン怪事件

COMIX DISCOMIX (Jacques Duvall/Eric Hagen Dierks, Jay Alanski)
 原曲はLIO のファースト・アルバム「美少女 リオ/LIO」(1980年)より。タイトルが洒落たミステリー小説みたいで、いいですよね。お姫様、虫歯に気をつけて!の贅沢な1曲。
07. ADDIOと言って

DIRSI ADDIO (Ciro "Zacar" Dammicco)
 これは<哀しみのソレアード/SOLEADO/英語題:WHEN A CHILD IS BORN>のヒットで有名なイタリアのグループ、ダニエル・センタクルツ(センタクルス)・アンサンブル(Daniel Sentacruz Ensemble)の曲。邦題は<さよならと言って>といい、彼らの1977年のアルバム「リンダ・べラ・リンダ/DANIEL SENTACRUZ ENSEMBLE/ALLAH ALLAH」に収録されているとのこと。実はまだオリジナルを聞いたことがありません(泣)。このアルバムは日本でも東芝EMIから発売されていたらしいので、近いうちに見つけてやる〜!ちなみに、アルバム・タイトル曲の<LINDA BELLA LINDA>は、日本ではピンク・レディーがカヴァーしているそうです。(ここに掲載のジャケ写真は、僕の持っている<ALLAH ALLAH>と<LINDA BELLA LINDA>のイタリア盤シングルです。)
 真利子さんのヴァージョンは一人デュエットになっていて、男役の真利子さんもイケてます。(2005年5月18日追記:やっとDaniel Sentacruz Ensembleのオリジナルを入手することが出来ました。もともと男女のデュエットで歌われていたのですね〜。)
08. 砂に捨てた恋

CA M'SUFFIT (Francoise Hardy, Michel Bernholc)
 フランソワーズ・アルディのアルバム「魔法をとめないで/A SUIVRE...」(1981年)に収められていた<ほんの少しの愛で>が原曲。この曲は1986年に、藤谷美和子主演の日本映画「道」の主題歌となり、その際、歌詞が書き直され、アルディによって再録音されたヴァージョンが、サントラ盤に収録されました(邦題<道>)。
 日本語歌詞は少しユーミンの<霧雨で見えない>を思わせるところがあります。真利子さんのお書きになるものも、ユーミンの作品と同様、どれもすごく情景が浮かびますね。“私って、なんでものめり込むタイプなのね。作詞しているときは、ものすごく集中して、部屋が暑いか寒いかもわからなくなっちゃうくらい。1曲書き終えると必ず熱が出るの。”と1983年の雑誌インタビューで話していらっしゃいました。
09. 憂うつな午前5時

DI DOO DAH (Serge Gainsbourg)
 最後に再びゲンスブールの曲が登場。オリジナルはジェーン・バーキン(Jane Birkin)の1973年のアルバム「雌豹のささやき/DI DOO DAH」のタイトル曲<ディ・ドゥ・ディ・ドゥ・ダー>。
 この曲は歌詞云々というより、夜明けの雰囲気にただひたすら浸っていただきたい1曲です。

アルバムのプロデューサー、松任谷正隆さん談
 藤真利子のアルバム「ガラスの植物園」から、僕は音の作り方変わったから、あのアルバムは、僕にとっては音楽観を変えててモ・ラ・エ・タと云うか。創り方の手段を変えただけなんだけどね。今迄はリズムをとって、それから考えて、弦とかそういうものから入れていたものを、いきなりもうシンセサイザーに入ったってそれだけのことなんだけども。肉を先に入れるか、野菜を先に入れるかと云うことが、僕にはすごく重要なことでね。この方法論にしてから、もう大いに広がったよね。何かいろんな意味で。だから、もし聴いて、それ以降とそれ以前とで違うとすると、僕はそこから創り方を変えたんだよ。(1985年1月25日のインタビュー MANTA LAND 機関紙 第9号掲載)


特別ふろく
ジャネット、おどきっ!
真利子のオッパイ・ポロリ事件
 デビュー曲<シ・ナ・リ・オ>をテレビで歌う時、真利子さんはピアノの弾き語りで歌い始め、間奏の途中でピアノを離れ、着ていた素敵なマントをぱっと脱いで歌い続けるというかなり大層な(笑)演出になっていました。そんな時に、Oh! アクシデント…。
 では、その‘恐怖のオッパイ事件’の詳細は、ユーミンと真利子さんの1981年頃の対談からどうぞ!

ユーミン:そうそ、あの“オッパイ事件”なんかスゴイね。
真利子:わっ!テレビでユーミンが作った<シ・ナ・リ・オ>を初めて歌ったあの日、朝から緊張しまくってたんです。それでね、衣装がタフタでね、ちょうどユーミンが象に乗った時に着たのと同じようなので肩ヒモがなくて。
ユーミン:ヒモがないのは危険なんだよね。
真利子:それでカーとか歌ってね、パーとやったら落ちちゃったんですよ、それが。
ユーミン:でも本人はね、そういう事があった日って眠れなかったりするわけなのよね。
真利子:そういう時に限って人が見てるの。ちょうど「ロミオとジュリエット」のけいこ中で、行ったらみんなの視線が私を見ているような気がして。演出家にまで「見たよ」っていわれてガクッときて。
ユーミン:でもすごくストレートな感じでいいね。
真利子:そんなことないんですけど、ただ私がクヨクヨしないでエヘヘという感じでね。
ユーミン:だけどこれがやっぱりシロウトのOLさんとかだったら気が狂っちゃうようなことよね。
真利子:でも直後のことは覚えているけど、その夜ってのは覚えてないんですよね。
ユーミン:そういうことがね、ある節々で起こるってことがね、絶対女優さんとしてすごいと思っちゃうの。第三者的に女優さん見ててさ、何でもこう、スキャンダラスなことが起こらないとね。
真利子:あった方がいいですか。
ユーミン:うん、だって“オッパイの藤真利子”とかいうとそれはトピックスとして残るじゃない、いいと思うのね。
真利子:演出だと思われたのヨ。
ユーミン:私なんかもね、発言なんか、しゃべってる時は普通なんだけど活字になったりするときつーいイメージでとらえられるのね。だからオッパイが出ちゃうのと問題あること言っちゃったことって、同じような気がするのね。