DJ A-ICHI INTERVIEW

                                 インタビュアー:こん太

 ゲイのお楽しみといえば、やっぱりナイト・クラビングでしょう(かなり強引?)。今では多くのゲイの生活の一部ともなっているゲイ・ナイトですが、それが関西でどのように始まったか知っていますか?今回のKONTABLOIDでは、毎回非常に盛り上がりをみせたあのソウル・ファクトリーやベイサイド・ジェニーのイベント・マングローブ(MANGLOBE)等のゲイ・ナイトでお馴染みのDJ・A-ichiさんのインタビューをお送りします。いつも素晴らしい音楽とスペースを我々に届けてくれるA-ichiさんですが、ここでは、この20年間のゲイ・ディスコ・シーンを振り返ったりしながら、いろんな貴重なお話を聞かせてくださいました。(*なお、このインタビューは1996年10月に収録されたのものですので、情報的に少し古い部分があることをご了承ください。)

■16歳の時、気がついたら…

K : まずA-ichiさんご本人についてお尋ねしたいのですが、簡単な自己紹介をお願いします。
A : 年齢は37歳(1996年現在)で、2人兄弟で兄貴がひとりいます。出身は九州なんやけど、ちっちゃい時に出てきているからほとんど憶えてないくらい。だから大阪出身みたいなもんやと自分では思ってるんやけど。カミングアウトは仕事関係はほとんど。カムアウトしてないのはお袋中心の親類縁者だけみたいな。あとはもうほとんど知ってますね。
K : DJをされる時は、聞かれたらカムアウトしてるって感じですか?それとも、もうみんな知ってるのかな?
A : 特に隠す事でもないけど、自分から言う事でもないと思ってるから。そのうち分かって当然やし、わりとそういうの全面に打ち出してるというか、隠そうという気がまるっきりないから。
K : ゲイとしてのセクシュアリティの目覚めはどんな感じだったんですか?
A : 初体験があってからやね。男の初体験が16歳の時やったんやけど、それまでは漠然と自分がゲイかなというのは、自覚まではないんだけど、後から考えたら、そうやったんやなあと思うだけで。その初体験をキッカケにゲイなんだなと自覚したみたいな。
K : 初体験をいきなりしてしまってからというのは、珍しいですね。
A : 自分の中ではある程度そうなんだなというのは、もちろんあって、初体験があってより明確に。
K : その初体験について、どういうふうだったかちょっとだけ話していただけたら…。
A : 高一の時に、兄貴が大学で、お正月に飲みに連れて行ってやろうということで連れて行ってもらった所で引っかけられたんですよ。ストレートのバーでね。外人やったんですけど。
K : でも、お兄さんそこに一緒にいらっしゃったんでしょう?
A : そこが兄貴の行きつけの店で、兄貴は店の人とばっかり話してるから、こっちは話し相手もおらんみたいなところに話しかけてきはった。日本語のすごい堪能な外人やったんで、どうのこうので、「自分の知ってる店が他にもあるから行くか」みたいなこと言われて、兄貴に「こんなこと言ってはるんやけど行っていいやろか」って言ったら、「ここにいるから行っといで」みたいな感じで。お酒もあんまり飲めないような時期に…。
K : そうですよね。16歳やったんやから、まだ…(笑)。
A : それで飲んで気づいたら、その人のホテルの部屋やったみたいな感じで。とりあえず朝、家に帰ったら兄貴に「お前何してたんや」って言われて、「酔っ払ってしまって、その人の部屋に泊めてもらったみたい」っていうふうに言ったら、兄貴は「そうか」みたいな…。
K : まあ、別に“何かがあった”とは思わないでしょうね…(笑)。特にそういう外国の人が好きというのはあるのですか?
A : 特にないですけど、日本語さえしゃべれればナニ人でもOKです。

■堂山のゲイ・ディスコ生き字引みたいな(笑)

K : DJになられたということで、音楽がすごくお好きだったと思うのですが音楽的な目覚めはどういうものだったのですか?
A : 中学の時に、兄貴が聴いている音楽の中で自分に一番インパクトがあったのがダイアナ・ロス(DIANA ROSS)やったんですよね。ダイアナ・ロスがシュープリームス(THE SUPREMES)から抜けてソロになりたての頃で。70年代初めぐらいのね。中学の時は<AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH>とか、ああいうのを聴いて「いいなあ」と思ってたのが目覚めで。
K : 僕もそうで、ダイアナ・ロスだったんですけど。なんとなく似てるというか…(笑)。(*右の写真は1978年6月18日第7回東京音楽祭で歌うダイアナ)最近特にDJという職業が脚光を浴びて、なりたいという人もすごく多いと思うのですが、A-ichiさんがなられたのはいつぐらいなのですか?
A : 20歳ぐらいの時かな、だから…。
K : もう17年前ぐらい。その頃って、特にDJになろうと思ってやっている人って今のように多くなかったんじゃないですか?
A : ストレートのディスコなんかではね、その店専属のDJってのがみんなあったでしょ。そこに弟子入りしてって感じで、普通はそういうルートだったんですけど。僕の場合は、昔、堂山(*大阪北区の、ゲイ・バー等が多く集まっている街)にあったパイプラインっていうゲイ・ディスコ、そこは僕が19歳の時にオープンやったと思うから、もう20年近く前、そこでアルバイトしたんですよね。それがキッカケと言えばキッカケかな。そこでターン・テーブルとミキサーさわることを覚えて、それが面白くてみたいなかたちで。さわっているうちに、なんか、出来るようになった。
K : A-ichiさんがDJを始められた当時からレコードの曲をつなげていくというのはあったんですか?
A : 僕がDJ始めた頃っていうのは、しゃべりながらやるDJから、ノン・トークのつなげていくDJへの過渡期やったんですね。だから、みんな技術がまだ分からんまま、つないでるような時期で。僕もそのつなぐことが面白くて始めたDJやったから、基本的にしゃべるのがあんまり上手なDJではないと。しゃべれって言われればしゃべれるけど、最低限のことぐらいはね。あんまりしゃべりたくない、DJの時は。
K : その頃、主にどういうディスコで回されてたんですか?
A : ストレートのディスコでクロスっていう店があってね、そことマギーっていうのがあって、大っきな店やったんやけど。そこぐらいかな。僕が今ゲイ・ナイトでいつも一緒にDJやってるヤスってのが、その頃クロスってところでDJやってて僕に「オーディションがあるから受けてみたら?」ってことで、受けてみたら通った。
K : そのヤスさんはストレートですよね?
A : いえいえ、大ガマ(笑)。僕の仕事の上でもプライヴェートでも、いい意味でのパートナーというか。
K : さきほど20歳ぐらいの頃から、パイプラインでDJやっていらっしゃったというお話しでしたけど、ゲイの街、堂山があるってことはどういう風にして知ったのですが?その若さで…。
A : あのね、初体験の直後ぐらいにね、ゲイ雑誌の文通欄見たらね、同じ市内の同い年の子が出していたんですよね。それに、隠れホモやったその頃はね(笑)、僕友達欲しかったから手紙出したんですよ「友達になりましょう」って。その子と友達になって、その友達とパイプラインの前にウォーム・ガン(WARM GUN)っていうね、ちっちゃいけど、ほんとに大阪のゲイ・ディスコ草分けみたいな店があって、そこに遊びに行った。
K : 20年前の堂山のゲイ・シーンって、どんな感じだったんですか?
A : その頃だからね、もっと店の数は今の3分の1ぐらい。でもそのウォーム・ガンって店はね、ものすごいおしゃれな店だった。お客さんもね、三宅一生が来たりとか。それこそ今野雄二が来たりっていう店で。それとかね、その、誰か分からない、僕すごくインパクトがある光景があってね、真冬やったんやけど、毛皮のすごいロシア産のセーブルかなんかの、すごいロングコートを着て入ってきはってね、サングラスでオールバックで、ものすごいかっこいいんですよ、背が高くて。それでぱっとコートを脱いだら、下よれよれのTシャツ、よれよれのGパンで。それで、そのダンスフロアをコートを引きずりながら横切っていきはったんですよ。すんごいかっこよくてね。それもう、僕らが18か19やったからね。ものすごい強烈な印象で残っててね。すごい人がおるなあって。そんなこんなで、そのウォーム・ガンって店にハマって、で、そこに遊びに行ってて、で、ウォーム・ガンもちょっと手伝った、最後の方ね。アルバイトがなんかないかなって探してたんで、ちょうど「働いてみない?」、みたいな形で。そこでバイトしてて、その後パイプラインがオープンした時に、パイプラインに移ったって感じかな。だから、堂山のゲイ・ディスコ生き字引みたいな(笑)。ウォーム・ガンなんてのを知ってる人、ほとんどいないんじゃないかな(笑)。
K : ここでしか聞けない話かもしれませんね(笑)。やっぱり衝撃的なものってありました?初めてゲイ・ディスコに行ったっていうので…。
A : 入る時に、友達とだから、ドアの前で「お前が開けろ」「お前が開けろ」みたいな。お前が開けろじゃない、「あんたが開けなさいよ!」みたいな感じだったけどね(笑)。「あんたが開けなさいっ!」(笑)。
K : そのパイプラインっていうディスコは何年かしてなくなってしまったんですか?
A : そうですね、5年ぐらいかな。パイプラインができて、クリストファーができて、パイプラインがなくなってという形で、で、クリストファーだけが残って。

■関西のゲイ・ナイトはこうして始まった

K : 最近はゲイ・ナイトっていうのが盛んに行なわれるようになりましたが、80年代の終わりぐらいまでなら、そのクリストファーがゲイ・ディスコ1つだけで、大体皆そこへ行ってたと思うんですが…。その後関西でゲイ・ナイトというのがどういう風にして始まったのですか?
A : そもそもゲイ・ナイトというイベントみたいな形で大きな店を借りてやるというのは80年代の終わり、88年ぐらいのゲネシス(GENESIS)が一番最初なんちゃうかな。その頃僕はゲネシスのメインDJやったんですよ。その時に東京の昔ゴールドでやってはったゲイ・ナイトをそのまま大阪に持ってきてって感じでやってたんですけどね。ゴールドで先にやって、そこで上手くいったから大阪でもやろうということでゲネシスでやったのが多分、一番大々的にやった初めてちゃうかな。
K : ではゲネシスで始めたものが広がって、今どこのディスコでも大体ゲイ・ナイトがあるっていう状況になってきたのですね。最近ゲイ・ナイトも頻繁に行なわれるようになって、毎月ひとつやふたつっていうのは必ずあるんですけども、そういうのを見ていて、まずゲネシスでゲイ・ナイトを関西で始められたA-ichiさんとしては、どのようにお感じになられますか?
A : 僕は大歓迎だと思いますね。もともと‘自分が楽しめるイベントをしたい’っていうのでゲイ・ナイトを始めたんで、楽しいイベントがたくさんあればあるほど、ゲイ・シーン自体の活性化にもなるやろうし、僕は大歓迎ですね。
K : そういうゲイ・ナイトに行く方からすると、“ここのゲイ・ナイトは盛り上がってすごくいいから”っていう口コミなんかでね、評判のいいところに皆が集まっていくというのがあって、淘汰されていくっていうのでしょうか、やっぱりいいものが残っていくという感じに、数が多いのでなってきてるのではないかと思うのですが。実際、客がすごく少ないゲイ・ナイトもありますよね。
A : ありますね。ちょっとそれは、さびしい気がする。
K : 数が多いと皆、全部に行けるわけではないので、やっぱり選んでって感じは出てきてると思うのですが。
A : 行って、すごく活気があるとか、すごくお客さんがたくさんいるというのは不可欠でしょうね、やっぱり。そうでないと行っても楽しくないし、例えばお客さんが少なかったら、それこそ本当に‘出会いの場’であるわけじゃないですか、ああいう所は。そういう可能性も低くなってしまうから。少ない中でもすごく大金星のイケるタイプがいて、その人とうまくカップルになれたら、それはそれで楽しいパーティになっちゃうんだろうけど、そうでもない限りね。いつもいつもそうとは限らないだろうから。やっぱり人がたくさんいて、活気があるっていうのが前提にあって、プラス出会いがあるっていうね、そういうパーティがやっぱりいいでしょうね。

■自己投影して気持ちいい女帝?たち

K : A-ichiさんが個人的に好きな音楽ってどういうのですか?先ほどダイアナ・ロスっておっしゃってましたけど…。
A : 他のゲイ・テイストの音楽っていうのと割と一致するんじゃないかなあと思うんだけど、女性ヴォーカルの派手なというか、ゴージャスな豪華な感じのものとか、例えば昔のアバ(ABBA)みたいなきらびやかなポップ・ナンバーみたいな感じはもちろん大好きですね。あとそれ以外にも、例えばジャジーなやつとか、ほんとに本格的なヴォーカルのバーブラ・ストライサンド(BARBRA STREISAND)であるとか…。でもやっぱり女性ヴォーカルみたいなのが共通しているかなって感じがしますよね。パティ・ラベル(PATTI LABELLE)も大好きですね。ああいうシャウトする系みたいな。都はるみ、ちあきなおみも好きですよ。ユーミンも大好きですね。やっぱりみんな女性ですね。
(*左下の写真は1977年3月7日映画「スター誕生」のプロモーションの為来日した時のバーブラ)
K : 僕も女性ヴォーカルがすごく好きでA-ichiさんと好みが合うところも多いと思います。ゲイ・テイストっていう場合に、やっぱりそういうダイアナ・ロスやバーブラ・ストライサンド、ユーミンなんかがゲイにすごく人気があると言われてますよね。彼女達を好きなゲイも実際は一部の人だけなのかもしれないですけど。例えば“ユーミンはすごい大スターで、ストレートのファンも多いのだから、それと同じ割合でゲイの中にもファンが多いのは当然のことだ”という考え方がありますが、ユーミンと同じくらいキャリアがあるアーティストで、例えば矢沢永吉、長渕剛、チャゲ&飛鳥、サザン・オールスターズなんかは、一般的にすごく人気があるし、長年トップで活躍されてますし、アルバムが出る度にすごく売れると思うのですが、これは僕の周りだけなのかも知れませんが、ゲイのサークルで集まった場合などでも、そういったアーティストが好きという人はほとんどいなくて、ユーミンならすごく多いんですよ。それはユーミンにやっぱり‘一部のゲイを惹きつける要素’みたいなものがあるのかな、と思ったりもしますし、それとも、ただ単にそういうゲイ・サークルの独特の雰囲気の中で「実は矢沢が好きなんだけど、言えない!」というのがあるのかなとも思ったりするんですが、その辺は、ゲイ・テイストということに関してA-ichiさんはどのように思われますか?
A : いろいろ捉え方ってあると思うけど、ダイアナ・ロスとかユーミンにしても同じだけど、やっぱりものすごいステイタスを持ってはる人で、自分がああなりたいな、自己投影して気持ちいいみたいなアーティストっていうのが、やっぱり、マドンナ(MADONNA)にしてもそうでしょ、そういうのがまず一番にあるんじゃないかな。ユーミンなんかは、ストレートのファンっていってもほとんど女の子でしょ。
K : そうですね。ストレートの男でファンというのはあんまり聞かないですよね。
A : 女の子かゲイって感じでしょ。ユーミンの場合はそうなっちゃうのかもしれないけれど。例えばね、ダイアナ・ロスもマドンナも、ホイットニー・ヒューストン(WHITNEY HOUSTON)、マライア・キャリー(MARIAH CAREY)、あの辺は全部すごいステイタスで、歌が上手くて、なんか‘全てを持ってる’みたいな、そういうあこがれ、そういうものにゲイっていうのがね…。
K : すごく華やかさがあって、圧倒されるというか‘何か’ありますよね。
A : うん、そういうのが必要やと思う。
K : それと特にユーミンの場合なら、心情っていうか、なんか‘切ない感情’がすごく出てるでしょう?
A : ユーミンの場合は歌詞がね、すごくありますよね。でも、ただ単に暗いだけじゃなくて、どことなくプライドも、ひとつ筋が通ってるような強いところがある。そういう歌詞が妙にね…。
K : あと、ダイアナ・ロスなら、今年(1996年)のレズビアン&ゲイ・フィルム・フェスティバルで上映された「トレヴァー/TREVOR」っていう短編映画(*13歳のダイアナ・ロス・マニアの少年トレヴァーが同級生の男の子に恋をして、それがクラスメイトにバレたことから…というお話。ダイアナの曲が5曲フィーチャーされている)とか、パティ・ラベルも映画「パリ、夜は眠らない/PARIS IS BURNING」で<OVER THE RAINBOW>が使われたり、「STONEWALL」というストーンウォールの叛乱を映画化した日本未公開の映画でもサントラに彼女の歌収録されてますし、少し前に公開された映画「3人のエンジェル/TO WONG FOO」でもサントラに<OVER THE RAINBOW>が入っていたり、ゲイのシンガー、シルヴェスター(SYLVESTER)ともすごく仲がよかったっていいますし、やっぱりゲイ・アイコンというか、そういう風な目で見られているところ、すごくあると思うんですけどね。


A : <OVER THE RAINBOW>に関しては、ジュディ・ガーランド(JUDY GARLAND)っていう、ものすごい、ストーンウォールのきっかけになった人が歌ってた曲を、パティ・ラベルがあんな風に歌ってみたいなところもあるやろうしね。
K : やっぱり女優でもね、例えばグレース・ケリーや、イングリット・バーグマンみたいな人はあんまりゲイ・テイストっていわれないと思うんですよ。パターンとして決まってしまっていて、ゲイの中でも、反論というか、「私(俺?)はそんなのは聞かない!」という人もすごく多いとは思うんですけどもね。
A : でも、ドラァグ・クイーンなんかがよくリップシンク(LIP-SYNCH、口パク)なんかするのは、ダイアナ・ロスであったり、そういう人達になってしまうものね。
K : そうですね。どちらかといえば、清楚や素朴な感じではなくて、どこか‘いびつな華やかさ’というか、そういうのがあるんでしょうか?
A : ゲイの好きなアーティストっていった場合、やっぱり、女性ヴォーカルが多くなってしまうのは、絶対確かやと思いますけどね。

■いろんなゲイがいる…?

K : そうですよね。やっぱり、ブルース・スプリングスティーンやローリング・ストーンズを聴くゲイってあんまりいないような気がするんですよ。これは僕の勝手な思い込みで…。例えば、映画「フィラデルフィア/PHILADELPHIA」に使われたスプリングスティーンの曲は、一般的に‘名曲’と言われてますけど、自分からわざわざ聴こうという気にはならないんですよ…。やっぱりゲイの中にも、スプリングスティーンのファンはいるのかもしれないんですが…。
A : まあね、ブルース・スプリングスティーンやったら、‘外見がイケるから好き’っていう人もいるかもしれないけどね(笑)。
K : 男の人でもね、ゲイのアーティストっていうのは、すごく僕達が入りやすいっていうか、聴きやすいっていうか(歌にアイデンティファイ・自己同一化しやすい)。だけど、ストレートの男性アーティストの音楽は、なんか自分が拒否、否定されてるように感じるんですよ、僕はね。
A : そうなんかもしれないね。‘違う世界’みたいなのがあるのかもしれない。だからその、どうなんだろうね、さっきも言ったけど、自分がこうなりたいっていう象徴としてのダイアナ・ロスとかマドンナとか、そういうものが、スプリングスティーンであるとか、ミック・ジャガーとかいう人達にはなりえない何かがあるんだろうね、きっとね。
K : ゲイの中でも“ゲイはみんなユーミンが好き”と言われると反発を感じるってあるでしょう。それと同じで、松田聖子や槙原敬之はゲイに人気があるってよく聞くんですけど、あれに関してはね、僕は???って感じなんですよ。それはだから(‘ゲイ・テイスト’っていうのは実際には存在しなくて)ただ単に個人的な趣味でしかないんでしょうかね。
A : 槙原君とか松田聖子とか、確かに人気あると思いますけどね。個人的には僕、槙原敬之は好きじゃないんですよね。歌詞がなんかもう…。
K : 僕もね、好きじゃないんですよ。松田聖子も。松田聖子はどうですか?
A : 松田聖子は結構好きなんだけどね。松田聖子の<あなたに逢いたくて>、あの曲をそのまま使ったダンス・ヴァージョンみたいなやつが海賊盤でね、あるんですけど。それとか結構好きやったりするからね。松田聖子は一回コンサート見に行ってみたいなと思ってるぐらい、僕は好きなんですけどね。松田聖子本人も、スキャンダルにまみれてるけど、それを上手く糧にしてるみたいな、‘スキャンダルなんか全然平気’どころか、‘ウェルカム!スキャンダル’みたいな感じで、ものすごくしたたかじゃないですか、すごいビッチで。そういうところがなんか“もっとやれ!”みたいな感じですごく好きなんです。ただその松田聖子も、やっぱり、今女の子とゲイに人気が多分…。
K : あるって言われてますよね。‘ゲイ・テイスト’っていう括りに反感を持っているゲイも多いと思うんですが、そういう人はやっぱり、自分は例えば“エリック・クラプトンや長渕剛が好きだ”っていうのを主張していったら面白いんじゃないかと思うんですけどね。今のところあんまり出てないって感じだから…。いろんなゲイがおるってことをね。
A : 僕もそう思う。主張すれば、長渕剛のこの部分がキュンとくんねんとか(笑)。
K : ここがゲイ・テイストとか(笑)。
A : そいうのがあれば、ああそうかって、もしかしたら目から鱗が落ちるかもしれない。
K : そうですね。そういうのを是非、皆から言ってもらえたらいいかなって思います。

■‘これはもうノンケ用’っていう曲はあります

K : A-ichiさんはストレートのクラブでもDJされてますが、レコードをかける場合に、クラブに来ている人がゲイである場合とストレートである場合とでは、やっぱり違いはあるのですか?
A : もちろん営業的に考えた時には多少ありますけど、僕自身の個性としてはゲイ・テイストっていうのはものすごくいつも全面に出してるんで、ベースになるものは変わらないようにしてますね。でもディテールっていうのかな、細かい部分で、これはかけとかなければいけないっていう曲は、やっぱりストレートのクラブの場合はあって…。
K : 今ヒットしている曲ですか?それとも、定番でディスコ・クラシックスみたいな?
A : そういうのでも、ゲイ向けとストレート向けではちょっと違ってくる。大体、でも、ベースになるものは、ゲイ・ナイトとほとんど変わらないようにはやってるんですけどね。細かい部分で、‘これはもうノンケ用’っていう曲は何曲かありますね。やっぱり、ゲイ・ナイトではかけない、かけたくないってのが。
K : A-ichiさんがかけた場合、ゲイとストレートの反応って違いますか?
A : 全然違います。曲によって、ゲイ・ナイトではこんなに受けるのに、ストレートの時は全然とかね。そういう曲はもういっぱいありますね。最近のでも、昔からずっと、やっぱり全然違う。昔、それこそ20年ぐらい前は、ゲイ・ディスコからヒットして、ヒット・チャートを駆け登るみたいな曲もたくさんあったんですけどね。最近そういうのが日本ではあんまりないから、悲しいなあと、さびしいなあと思ってるんだけど。
K : 日本独自でヒットしていたというか?向こうのヒット曲が日本でも同じように売れるんじゃなくて、独自のものが?
A : イギリスなんかではBOYS TOWN CHARTって、要するにゲイ・ディスコのチャートっていうのがあって、そこからTOP 100に移ったようなこともあったからね。日本でも欧米でも、そういうBOYS TOWN CHARTみたいなのが、けっこうシンクロしてたりしたね。だからゲイ・シーンっていうのは普通のコマーシャルな部分とは一線を画した部分で独自なものがあった。

■マッチョ系のゲイには脱いでもらってます(笑)

K : A-ichiさんが、ずっとゲイ・ナイトをやっていらっしゃるソウル・ファクトリーありますよね。あそこでお客さん見てたら、なんとなく特徴があると思うのですが。割と(肉体的に)マッチョ系のゲイが多いように見えるのですが、どうでしょうか?
A : あのね、ソウル・ファクトリーの場合はそれをすごく意識してるんですよ。お客さんを集める、というか来て欲しいお客さんにアピールする時にね。ニューヨークのゲイ・ナイトってのがやっぱりそういう感じじゃないですか。マッチョな人が多くて、けっこう30代がメインだったりするでしょ。で、すごく頑張ってるし、若い子がそれに負けずに頑張ってるみたいな、相乗効果、そういうのがすごく欲しかったんですよね、ファクトリーには。だからまず元気な中年と若いパワーと、みたいなのを考えたんで。日本の場合は、中年とかマッチョなああいう人ってなかなかああいうちゃらちゃらしたところに来たがらないでしょ。けっこう手っ取り早いハッテン場みたいな方にぱっと行ってしまったりとかね、そういう感じなんで。もっとこう昔の、僕が初めてバイトしたパイプラインって店がそうだったんですよ。もう若い子からマッチョ、短髪兄貴まで、いろんな幅広い人が来てたんで、その頃の人達に、もう一回頑張って遊んで、みたいな感じですごいプロモーションしたんですよね。だから、マッチョな感じが多いっていうのはそのせいかもしれないですね。若い人でも身体鍛えてる人、今、多いでしょ。ティップネスとかで。そういう人達には率先して脱いでもらってますね(笑)。

■A-ICHIさんのお気に入りは?

K : A-ichiさんが個人的に好きな音楽で、‘自分の中での古典’というか、特にお勧めのアーティストやアルバムがあれば、紹介していただきたいのですが。
A : 僕、けっこうアルバムを通して一枚全部聴くってことがあんまりないんですよね。でも、アナログも2枚持ってて、こないだCDが出たんでCDも買ったっていうやつがあるんですけど、古いやつで。そういうのアルバムでは珍しいんですよね、だから。それをまあひとつ言っておこうかな。リビー・タイタス(LIBBY TITUS)の「LIBBY TITUS」というアルバム…。
K : あー、あの白黒のジャケットの、<LOVE HAS NO PRIDE>っていう名曲が入ってる?あれいいですよね!
A : あれがものすごい好きでね。あれは僕の中でもクラシック。だから何かの時にけっこう流してて、もうアナログ盤も2枚潰しちゃったっていう感じで。
K : 僕もね、個人的なことになるんですけど、あのアルバムすごく好きなんですよ。もうジャケットからしてきれいでしょ、紫と黒の。僕、カーリー・サイモン(CARLY SIMON)が大好きなんですけど、彼女がプロデュースもしてて、あとポール・サイモンとか、参加ミュージシャンも豪華で。なんか品というか、独特の雰囲気があっていいですよねー。
A : 大人っぽくてね。もうすぐCDが廃盤になると思うから、今のうちに買って!
K : <KANSAS CITY>っていう古いヒット曲のカバーやコール・ポーターの<MISS OTIS REGRETS>、<YELLOW BEACH UMBRELLA>っていうベット・ミドラー(BETTE MIDLER)も歌ってる曲とか、いろんな曲が入ってて、ほんとにいいアルバムですよね。では、A-ichiさんは仕事柄、いわゆるダンス・ミュージックを中心に聴いていらっしゃるのかなと思っていたんですが、そうでもないんですね。
A : そうですね。家ではほとんど聴かないです。長くやってるDJになればなるほどそうだと思うんだけど、家ではね、やっぱり聴かないですね。特に今のダンス・ミュージック、ハウスとかになると、それなりのサウンド・システムがちゃんとある所でないとエンターテイメントにならないんですよね。ただ聴いてるだけの音楽じゃない、やっぱり身体で感じて踊る音楽やから、そんなん家のステレオで聴いても…。だから仕事でかける音楽はほとんど聴かないですよ。

LIBBY TITUS (1977)
PRODUCED BY PHIL RAMONE
with PAUL SIMON, CARLY SIMON, ROBBIE ROBERTSON
(A)
01. FOOL THAT I AM (L. Titus, A. Kooper)
02. KANSAS CITY(a/k/a - K.C. LOVIN') (J. Leiber, M. Stoller, Adaptation-Paul Simon)
03. CAN THIS BE MY LOVE AFFAIR (L. Titus, C. Simon)
04. THE NIGHT YOU TOOK ME TO BARBADOS IN MY DREAMS (L. Titus, H. Martinez)
05. LOVE HAS NO PRIDE (L. Titus, E. Kaz)
(B)
01. YELLOW BEACH UMBRELLA (C. Doerge, J. Henske)
02. CAN'T BELIEVE YOU'RE MINE (C. Simon)
03. MISS OTIS REGRETS (C. Porter)
04. WISH I COULD (C. Simon)
05. DARKNESS 'TIL DAWN (C. Simon, J. Brackman)

■荒井由実のアルバムは全部好き

K : その他にも、お勧めはありますか?
A : あとはね、難しい…。フィリス・ハイマン(PHYLLIS HYMAN)の「LIVING ALL ALONE」とか。
K : <OLD FRIEND>が入ってるやつですよね。もう泣けますよね。
A : 初期の<LOVING YOU - LOSING YOU>もすごく好きなんだけど。
K : あのイントロがすごく長くて…。
A : 長いゴージャスなやつね。もうイントロだけで一回なんかイケるぞみたいな(笑)。あとダイアナ・ロスの「THE BOSS」のアルバムも大好きですね。
K : あのアルバムのダイアナは、もうすごく輝いてる!っていうか…。
A : ジャケットもカッコいいし。
K : なんかね、光ってる!って感じですよね、全曲。最近<THE BOSS>カバーが出てるでしょ?
A :ブラクストンズ(THE BRAXTONS)のやつね、昔風のアレンジで、今風じゃなくて、けっこう…。でも声がダイアナ・ロスじゃないからちょっと違うかな(笑)。
K : ユーミンのアルバムではどれがお好きですか?
A : ユーミンはねえ、とりあえず松任谷になる前の荒井由実の頃のアルバムは全部好きなんです。松任谷になってからだったら、何がいいだろう…。KONTAさんは何が好き?
K : 僕は「紅雀」が好きなんですよ。あれが出た時は“こんな渋いユーミンもあったんか”ってすごく感動してしまって…。全曲好きっていうか。あとはね、ユーミンはなんでも好きなんですけど。「Delight Slight light KISS」は、イマイチかなぁと思うんですよ。「昨晩お会いしましょう」もなんとなく、僕はあまりいいと思わなくって…。すごく個人的な好みになるんですけど…。
A : その辺はね、思い入れみたいなものもあるからね…。ユーミンの<翳りゆく部屋>、好きですね。パイプオルガンのイントロ、ゴージャスでしょ。その頃っていうのは、僕、中学生ぐらいでね、深夜放送でいつもかかってたんでね。すごいイメージがあるんですけど。最近のマライア・キャリーやセリーヌ・ディオン(CELINE DION)なんかもすごい好きですよ。売れ線狙ってるの、見え見えやけど、やっぱり歌けっこう上手いし、派手なアレンジやしね。

■シェールがお母さんなら…

K : 最近の音楽で、クラブでかけていらっしゃるので何かお勧めはありますか?
A : ダンス・ミュージック系でお勧めっていうと、そんなに新しくないけどシェール(CHER)の<ONE BY ONE>っていう曲がね、すごい好きですね。ゲイ・ナイトでもすごい受ける曲なんだけど。12インチ・ヴァージョンがかっこよくてね。
K : シェールの娘さんのチャスティティ・ボノ(CHASTITY BONO)が、レズビアンっていうことをカムアウトしてて、いろいろ活躍されてるんですけど。
A : あんなお母さん持ったら、なっても仕方ないって感じがする(笑)。


K : シェール自身も映画「シルクウッド/SILKWOOD」で、レズビアンを演じたりしてるんですけどね…。他には?
A : ゲイ・ナイトでよくかけるのはいくつかあるんですけどね。聴けないと意味がないので、手軽にCD探しにいって。ちょっとこれも古いんやけど、チャカ・カーン(CHAKA KHAN)の<THROUGH THE FIRE>って曲のダンス・カバーがあって、それは日本人のDJプロジェクトのGTSというグループが、外人の女性ヴォーカル(MELODIE SEXTON)をフィーチャーリングして作ったやつなんですけど、それはすごい派手でいまだに受けますね。これはCDシングルが出てるんで…。
K : いいですよね、あのチャカ・カーンの曲、すごく。
A : チャカ・カーンとはまた違う派手さがあって、踊ってて気持ちいい女性ヴォーカルのハウスって感じ。まあ、ゲイ・ナイトの時に受ける曲って最近ちょっとビートの速い、ハッピー系とかハンドバック系とかって言われてるジャンルの音楽なんですよね。だからそういうのになると、すごいテンポがよくてアッパーな感じなんやけどヴォーカルが無かったりとかして、レコード、ソフトなんかも探しにくいからね、難しいんやけど…。
K : まあ、A-ichiさんの回すクラブできいて…。
A : その時に訊いて下されば、僕いちいちちゃんと紙に書いてお教えいたしますので。

CHER
ONE BY ONE (Anthony Griffiths) (1996)
01. ONE BY ONE (With Melle Mel) 4:06
02. I WOULDN'T TREAT A DOG (THE WAY YOU TREATED ME) 3:35
03. ONE BY ONE (Junior Vasquez Club Vocal Mix) 8:45
04. ONE BY ONE (Junior Vasquez Club Dub) 7:22
05. ONE BY ONE (X Beat Mix) 7:36
06. ONE BY ONE (X Beat Dub) 7:36

■“ニットの貴公子”達?

K : A-ichiさんが音楽以外で興味を持っていらっしゃることや、趣味っていうのは?例えば、暇な時にどう過ごされるとか?
A : 音楽以外の趣味…う〜ん、そうですね…。特に無いですけどね。けっこう編物が得意だったりするんですよ(笑)。
K : あ〜っ、そうなんですか!あのね、自分のこと言うの恥ずかしいんですけどね、僕もね、昔すごく好きだったんですよ。なぜかゲイに多いですよね。作家の橋本治さんが編物の本を出されてたり、なんかそういう手芸系というか、手先が器用で…(笑)。どういう物を作られるのですか?
A : 小物から、セーターから…。
K : へぇ〜。
A : でも、あんまり自分のものは作ったことがない。たいがい頼まれてとか。
K : それを、始められたのはいつぐらいなんですか?
A : 高校ぐらい。高校の時にね、どうしても欲しいセーターがあったんだけど高くて買えなかったんですよ。それじゃあ自分で編もうってことで、基本的な編み方をお袋に訊いて、毛糸買ってきて、で、それがキッカケかな。だから一番最初に編んだのがセーターだった。
K : でも、すごいですよね。うちも母親がね、僕が編物したり刺繍したりしてもね、否定的なこと何にも言わないんですよ。逆に「もっとやったら?」って勧めるっていうか、もっと「自分(母親)の友達に作ってあげて」って(笑)。そういう感じで、小さい頃からすごく好きだったんですけど。でもやっぱり高校ぐらいになったら、人目が気になってやらなくなってしまったんですけど…。
A : 最近、僕もちょっと編物はしてないけど。
K : どうですか、お母さんはちゃんと教えてくださいました?
A : うん、あの結構丁寧に教えてくれました。あんまり変な目もせずに…。バレてんのかな(笑)。
K : でも、また自分のこと言って申し訳ないんですけど、あのね、プラモデルなんかは作らなかったんですよ。A-ichiさんはどうですか?
A : プラモデルとかはあんまり作らなかったね。男の子っぽい遊びがやっぱり好きじゃなかったもんね。
K : 野球は?
A : 野球は嫌いやった。
K : なんかそういう人多いですよね、自分も含めて…(笑)。
A : 多いね、なんでやろね、ゲイの人ね。野球ダメ、バレーボール好き系統ね。そういうの多い(笑)。

■ゲイ・ナイトは「払った分とりかえす!」ぐらいの意識で

K : では最後に、これを読んでる人にメッセージなどありましたら…。
A : ゲイ・ナイトに関してね、もっと皆さん、大体そうなりつつあるんですけど、遊びに来たら積極的にね、遊ぼうという意識を持ってほしい。そうじゃないと、なかなか楽しめないで帰ってもらうのは僕等も心苦しいんでね。楽しませることができない僕等のせいや、スタッフのせいやって言われたらそこまでやけど。2500円とか3000円とか払うんだったら、その分絶対とりかえす、その分遊んで帰るぐらいの意識を持ってゲイ・ナイトとか遊びに来ていただけたら。
K : A-ichiさんが今(1996年現在)レギュラーで回されているクラブや、A-ichiさんに会いたいなって思う人がA-ichiさんに会える場所っていうのは?
A : 僕、今梅田のナイト・カフェQOOがメインなんだけど、曜日は決まってないんですよね。毎月毎月、ポンとスケジュール渡されて、この日とこの日とこの日っていう感じなんで、曜日が決まってればね、何曜日ですっていえるんだけど。週末、金土あたりはけっこう入ってるかもしれない。
K : 電話で問い合わせれば?
A : 問い合わせていただければ、教えてもらえると思います。
K : 今日はどうもありがとうございました。これからもご活躍、期待しています!


REACH OUT AND TOUCH SOMEBODY'S ...

(1996年10月26日 G-FRONT関西事務所にて収録)

★このインタビューの短縮版は、GAY-FRONT関西(現G-FRONT関西)の機関誌「ぽこあぽこ/Poco a Poco」8号(1997年4月1日発行)に掲載されました。

*A-ichiさんの写真は全てT.HORIGUCHI氏撮影によるものです。