大物女性に愛された男 

ポール・ジャバラ

こん太

 ここ数年1970年代終わりのディスコ全盛期を舞台や背景にした映画が数多く公開(もしくは日本未公開のものはビデオ化)されてきた。「ブギーナイツ」(1997)、「54 フィフティー・フォー」(1998)、「ラスト・デイズ・オブ・ディスコ」(1998)などなど…、でも残念なことに、どれも結構冷ややかで当時のディスコ熱が画面から伝わってこないように感じられた。個人的にはスパイク・リーの「サマー・オブ・サム」(1999)が一番その頃の熱い雰囲気をとらえていたように思うのだが…。ディスコ映画といえばジョン・トラボルタをスターにした「サタデー・ナイト・フィーバー」(1977)が誰でも知ってる代表格だが、当時そのヒット作の2匹目のドジョウを狙って“土曜の夜”ならぬ“金曜の夜”を舞台にした「イッツ・フライデー/THANK GOD IT'S FRIDAY」(1978)という映画が作られた。“土曜の次は金曜だ!”というそのままのコピーがついていたが、このイージーでチープなB級っぽさが魅力?の映画だった。

ディスコ映画「イッツ・フライデー」

 この映画、当時大受けだったディスコ・レコード・レーベルのカサブランカと、モータウンの2大レーベルが共同制作したもので、ストーリーは金曜の夜のディスコで行なわれるダンス・コンテストに集まる人々の人間模様をコメディ・タッチで描いた他愛ないものなのだが、20年以上経た今見直すと、当時の時代色以外にも、その出演者たちが結構興味を惹くのではないだろうか。モータウン・レーベルからコモドアーズが、そのディスコにゲスト出演する彼ら自身として登場し、カサブランカ・レーベルからは、その後「エイズは神がゲイに降した天罰よ!」発言で、彼女のファンの大部分を占めていたゲイから総スカンを食らった“ディスコ・クイーン”ドナ・サマー(DONNA SUMMER)が、押しの強い歌手志望の女ニコール役で出演。その他「ザ・フライ」「ジュラシック・パーク」のジェフ・ゴールドブラムが女好きのディスコのオーナー、「愛と青春の旅立ち」「シェルタリング・スカイ」のデブラ・ウィンガーが友人とボーイ・ハントに来た男運のまったくない女を、又その後映画「トップ・ガン」の主題歌<愛は吐息のように>で大ヒットを飛ばしたグループ、ベルリンのリード・シンガー、テリー・ナンが友人とディスコにもぐり込もうとする女子高校生役で出演しているといったぐあい。
 そしてもう一人、この映画に関わった最重要人物で、今回のこの文の主役であるポール・ジャバラ(PAUL JABARA)が、階段に閉じ込められてしまう、近眼でお間抜けな大学生を演じているのである。俳優で作詞・作曲家でもあったポール・ジャバラは1992年9月29日、エイズのため惜しくも亡くなってしまったが、彼がこの映画「イッツ・フライデー」のために書き、ドナ・サマーの歌で大ヒットした主題歌<LAST DANCE>は1978年のアカデミー主題歌賞をはじめ、ゴールデン・グローブ賞、グラミー賞の3つの賞をこの映画と彼自身にもたらせたのであった。では、そのポール・ジャバラとはどういう人物だったのか、彼の関わった作品を中心に振り返っていこうと思う。

ポール・ジャバラ・舞台俳優

 ポールは1948年1月3日ニューヨーク・ブルックリン生まれ。彼のキャリアはまず俳優としてスタート。1968年の春にミュージカル「ヘアー/HAIR」のオリジナル・キャストとして、ダイアン・キートンや、その後も彼の仲の良い友人であり続けた、歌手でミュージカル女優のリータ・ギャロウェイ(LEATA GALLOWAY)らと共に舞台に立った。現在発売されているこのミュージカルのオリジナル・キャスト盤でも(当時は未発表だった)彼がリードで歌うナンバーが聞くことができる。その他、「ジーザス・クライスト・スーパースター」のロンドン・キャスト、「ロッキー・ホラー・ショー」のL.A.キャストとして舞台に立ち、また1974年には「Rachael Lily Rosenbloom」というお芝居を、ベット・ミドラーをヒロインに想定して書いた。これはバーブラ・ストライサンドのようなスターになることを夢見る女の子のお話だったらしいが、初日の前日につぶれ、実現しなかったという。ちなにみバーブラはポールの10代の頃からのアイドルだったそうだ。その後、彼自身が、憧れのバーブラと一緒に仕事をすることができるようになるとは、この頃は思いもしなかったことであろう。

ポール・ジャバラ・映画俳優

 ポールは舞台だけではなく、映画にもそれほど大きな役ではないが出演している。スタローン出演の「ブルックリンの青春/THE LORDS OF FLATBUSH」(1974)、レッドフォード主演の「夜霧のマンハッタン/LEGAL EAGLES」(1986)(タクシーの運転手役。2秒ほどです…)、ジェームズ・アイボリー監督の「ニューヨークの奴隷たち/SLAVES OF NEW YORK」(1989)(クレジットにはあるが役が小さすぎて?見直しても何処に出ているか不明…)、ポール・シュレーダー監督作「ライト・スリーパー/LIGHT SLEEPER」(1991)などがその作品だが、やっぱり重要な役となると、「イッツ・フライデー」ともうひとつ「イナゴの日/THE DAY OF THE LOCUST」(1974)の2本だろうか。後者の「イナゴの日」ではナイトクラブのドラァグ・エンターテイナーを演じ、得意の女装姿で<HOT VOODOO>を歌い踊るというなかなかの見せ場がある。この映画を監督したのはやはりゲイのジョン・シュレシンジャーだが、彼とポールはかなり親しかったようで、ポールは同監督の「真夜中のカーボーイ/MIDNIGHT COWBOY」(1969)にも出演(パーティの客役らしい…)している他「フロリダ・ハチャメチャ・ハイウェイ/HONKY TONK FREEWAY」(1981)というシュレシンジャーの日本未公開映画(ビデオあり)ではサントラに曲を提供しているのだった。

ポール・ジャバラ・ソングライター

 ポールは俳優を続けるかたわら、1975年頃から自作の曲をレコード会社に売り込み始め、まずA&Mレーベルから3枚のシングルを発表(追記2参照)。これがカサブランカ・レコードに認められ、その後同レーベルに移籍し、そこで「SHUT OUT」(1977)、「KEEPING TIME」(1978)、「THE THIRD ALBUM」(1979)3枚のアルバムを発表する。この時代に彼は、先に述べたように映画「イッツ・フライデー」に出演し、またそのサントラに、自ら歌った<DISCO QUEEN>、<TRAPPED IN A STAIRWAY>とドナ・サマーのために書いた<LAST DANCE>の3曲を提供し、この<LAST DANCE>が78年の夏に全米第3位の大ヒットとなり、俳優としてよりも作詞・作曲家として注目されるようになったのである。

ゲイ時代?のトラボルタがスロー・ナンバーを…

 カサブランカといえば、ドナ・サマー、ヴィレッジ・ピープルに代表されるようにディスコ・レーベルのイメージが強く、実際ポールが書いた曲の中で、多くの人々に知られているのは、後で紹介するようなダンス・ナンバーなのであるが、彼の作った歌の魅力はそれだけではない。彼はまた、大変美しくセンシティヴなバラードをも書くことができる優れたソングライターで、スローな名曲も残している。ファースト・アルバムに収められた<SUN IN YOUR SMILE>や<IT ALL COMES BACK TO YOU>、<SLOW DANCING>、セカンド・アルバムの<SOMETHING'S MISSING IN MY LIFE>、サード・アルバムに収録のフュージョン・タッチの<JUST YOU AND ME>等々…。彼自身のレコードは現在全て廃盤になっており、CDでも再発されていないので、簡単に入手できないのは残念ではあるが、是非多くの人に聴いてもらいたい名曲の数々だ。
 実は僕が中学生の時買ったジョン・トラボルタ(JOHN TRAVOLTA)のセカンド・アルバム「CAN'T LET YOU GO」(1977)の一曲目にポールの書いた<SLOW DANCING>のカバー・ヴァージョンが収められていたのだが、当時、とてもソフトに歌うこのジョンの歌が大好きだったことを、告白してしまおう(このトラボルタのアルバムは全曲ホントにすごくいいのだよ)。トラボルタのヴァージョンは現在、廉価盤CDで結構簡単に入手でき、またポールが書いたもう一つの名曲<SOMETHING'S MISSING IN MY LIFE>はデニ・ハインズのお母さんのマーシャ・ハインズ(MARCIA HINES)もレコード化していて、こちらもCDで発売されているので、彼の曲に興味を持たれた方には、是非チェックしていただきたい。

ドナ・サマー、そしてバーブラ

 ドナ・サマーが歌った<LAST DANCE>の成功のあと、ポールはバーブラ・ストライサンド(BARBRA STREISAND)に映画「メーン・イベント/THE MAIN EVENT」の主題歌を依頼される。この依頼を受けた時、彼は天にも昇る心地で、バーブラの家へ向かう段になっても、信じられないような気持ちだったという。そして、OUTなゲイのブルース・ロバーツ(BRUCE ROBERTS)と共作したそのアップ・テンポな主題歌<THE MAIN EVENT/FIGHT>は、バーブラの歌でこれもまた1979年の夏に大ヒット。この成功を受けて、ポールとブルースのゲイ・コンビはさらにその年10月に、超話題ドナとバーブラのデュエット作<NO MORE TEARS/ENOUGH IS ENOUGH>を発表することになるのだった。今でこそ、どんな大物アーティスト同士が音楽のジャンルを超えてデュエットしても全然“特別”とは感じられず、いかにも“陳腐”で“金儲け”的に思われるのだが、79年当時のこのドナとバーブラの組合わせは本当に音楽界と世界中のファンに衝撃を与えたものである。僕自身この二人のデュエット・レコードが発表されると雑誌で読んだ時の興奮は今でも忘れられない。すぐにレコード会社に電話をかけ、発売日を問い合わせ、予約して、発売日には自転車(!)を飛ばしてレコード屋さんに駆け込んだ。今でもその時もらったドナとバーブラの特大ポスターは大切に保管してあるくらいである(今思えば、この頃からゲイ丸出しの好みだった…)。そして、このデュエット曲は当然のことながら、同年11〜12月にかけて全米1位となる大ヒットを記録したのである。

ダイアナ!“ロス様とお呼び!”

 ドナ、バーブラに引き続き、ポールは1981年には今度はダイアナ・ロス(DIANA ROSS)と組み、当時ブームを巻き起こしていたワークアウト向けの曲<WORK THAT BODY>を発表。この曲はアメリカではシングル・ヒットにこそならなかったが、僕自身この曲を収録したミス・ロスのアルバム「WHY DO FOOLS FALL IN LOVE」の中で一番好きな曲である。ダイアナの呼びかけとコーラスの応答がなんとも気持ちよく、躍動感が溢れる、ピカピカの作品に仕上がっている。ダイアナとポールの共作はもう一曲<LADIES HOT LINE>があり、こちらはその後発売されることになるポールの4枚目のアルバムに収録された(注:写真は、スタジオ54ではしゃぐオーナーのSTEVE RUBELLとMISS ROSS)。さて、ドナ、バーブラ、ダイアナという3人の超大物女性たちとの仕事も大成功をおさめたポールの次なる仕事は、(別の意味で)更なる“大物”のおふた方であった。

ウェザー・ガールズ登場

 1982年、ポールは、ゲイのシンガー、シルヴェスター(SYLVESTER)のバック・ボーカルを担当していたアイゾラ・アームステッド(IZORA ARMSTEAD)とマーサ・ウォッシュ(MARTHA WASH)の二人をウェザー・ガールズ(THE WEATHER GIRLS)と改名し、彼女たちの歌で<IT'S RAINING MEN/ハレルヤ・ハリケーン>を発表した。この曲と当時来日もした彼女たちのルックスとキャラは(ある年齢以上の人には)もう説明が不要なほど、日本でも有名であろう。“今夜、男の雨が降る〜”と歌われるこの歌詞にあるように、ダンス・ナンバーそして美しいバラードをも得意とするポールの、歌作りのもうひとつの大きな特徴は、そのユーモアのセンスであることが、ここから感じ取っていただけるであろうか。彼は3枚目のアルバムで、片面全部を使って“結婚式をあげたカップルが新婚旅行に出かけて、その旅行中に喧嘩して離婚するまで”のお話を14分のディスコ・メドレーにして歌っているのであるが、なんとポールはそのメドレーに登場する、新郎新婦をはじめ5人のキャラクターを、全部一人で演じ分けてしまっているのである。またこのレコードのジャケットとその中には、ポールが新郎新婦の二役に扮した写真が使われていて、黒のスーツの花婿姿だけでなく、純白のウェディング・ドレスに身を包んだ彼の、‘人生で最も輝かしい日の喜びに打ち震える美しい花嫁姿?’がおさめられているのである!ポールはまた同じアルバムに<NEVER LOSE YOUR SENSE OF HUMOR>という曲を収録し、ドナ・サマーと共に歌ってもいるが、この曲のタイトルがまさしく彼の信条をあらわしているように思えるのだ。

ホイットニー・ヒューストン発見!

 そしてディスコ・チャートでNo.1ヒットとなったこの<ハレルヤ・ハリケーン>を収めた、彼の4枚目のアルバムは「PAUL JABARA AND FRIENDS」というタイトルで米コロンビアから1983年に発売された。その中では、これまでのアルバムと違い、ポール自身は1曲を歌っているのみで、その他の6曲は彼のお友達たちのボーカルをフィーチャーしていた。ウェザー・ガールズが3曲、ポールの「ヘアー」時代からの仲間リータ・ギャロウェイが2曲、そして残りの1曲を担当したのが、何を隠そう当時まだ自分のアルバムを発表していなかったデビュー前のホイットニー・ヒューストン(WHITNEY HOUSTON)その人なのであった。このバラード<ETERNAL LOVE>を、彼女はデニース・ウィリアムス(DENIECE WILLIAMS)やパティ・オースティン(PATTI AUSTIN)の素敵なコーラスをバックに歌っているが、これがまた大変美しく仕上がっている。大スターになる前のホイットニーの伸び伸びしたフレッシュなボーカルが聞くことができ、ポールのスター発掘の先見の明もさることながら、ホイットニーとポールがこういった形でレコードを残す事ができたという偶然(ホイットニーの登場がぎりぎり間に合ってよかった!)に、彼の‘常に大物女性がまわりにいる’という運の強さを感じざるをえない。この名曲はその後ステファニー・ミルズ(STEPHANIE MILLS)にも採り上げられ、さらに多くの人に知られるようになった。

ついにバーブラをプロデュース

 1984年、ポールはロブ・ロウ(いまやお笑い系トホホ俳優…)主演映画「オックスフォード・ブルース」の主題歌<OXFORD BLUES>を書いた。そして翌1985年は彼にとって、嬉しい再会の年となった。バーブラが同年に発表することになる、彼女の最高傑作の一枚と言われるアルバム「THE BROADWAY ALBUM」において彼に再び仕事を依頼してきたのである。このアルバムにはミュージカル「王様と私」の3曲の素敵なメドレーが収録されていたが、このメドレーのプロデュースをポールが担当したのだ。今回は彼自身が作った曲ではなくプロデュースのみであった為、この仕事はそれほど人々に知られていないものではあるが、音楽業界に入って10年にして、彼自身の昔からのアイドルをとうとうプロデュースするまでになったのである。そしてこのバーブラのアルバムは全米No.1に輝きトリプル・プラチナムを記録する大ヒットに…。

なぜかラクェル・ウェルチまで…

 翌1986年、彼の5枚目のアルバムとなる「DE LA NOCHE : THE TRUE STORY」がワーナーより発表された。これはサブタイトルに「A POPERETTA」(ポップ + オペレッタ=軽ポップ喜歌劇)とあるように、一人の女性と彼女の盗まれた8つ子(全て女の子)の話が一枚のアルバムを通してユーモラスに語られるといった意欲作で、以前のアルバムのような勢いは感じられないものの、リータ・ギャロウェイやドナ・サマーをはじめ、女優のベヴァリー・ダンジェロ(BEVERLY D'ANGELO)、スプリームス(THE SUPREMES)のオリジナル・メンバーのメアリー・ウィルソン(MARY WILSON)等豪華なゲスト参加が注目された。また、このアルバムに収められた<THIS GIRL'S BACK IN TOWN>は翌87年に、女優のラクェル・ウェルチ(RAQUEL WELCH)に採り上げられ、彼女が歌った12インチ・シングルが発売されるという嬉しいおまけまでついた。やっぱり大物女性に愛されるポール・ジャバラである。しかし、この5枚目のアルバムが、残念なことに彼の最後のアルバムとなった。このアルバムのクレジットの片隅には、レコードの収益の一部がAMFAR(the American Foundation for AIDS Research)へ寄付される旨が記載されていたが、その数年後には彼自身もエイズにより亡くなってしまったのである。

ポール・ジャバラが幸せだった頃

 彼の1978年発表のセカンド・アルバムに<PLEASURE ISLAND>という歌が収められていたが、これはニューヨークの近くのゲイ・リゾート、ファイヤー・アイランドのことを歌ったものであり、波音とポールの悩ましげなため息(あえぎ声?)を効果的に使ったトロピカルなそのサウンドが、70年代終わりの快楽主義的世界を一点の曇りもなく美しく描き出していて、聴く者を夢心地にさせる…。ちょうど偶然、同じ時代のファイヤー・アイランドのことが描写されているクリストファー・デイヴィスの小説「ぼくと彼が幸せだった頃」(早川書房)を、少し前に古本屋で見つけ読んだのだが、その物語自体は僕の好みではなかったとはいえ、当時のファイヤー・アイランドの様子などはとても興味深かった。この小説の登場人物たちもエイズで亡くなってしまうのだが、今このポールの<PLEASURE ISLAND>を聴くと、僕にはその小説の中の情景がダブってくるように思えるのだ。

環境にやさしいディスコ・クラシックス

 さて、この文を締めくくる前に今は亡きポール・ジャバラの曲が、その後も愛され続けていることを書いておきたいと思う。1980年に入った時「ディスコは死んだ!」と盛んに言われたものだが、今に思えば全く間違いだった。それどころか、ディスコ・クラシックと呼ばれる音楽ほど頻繁にリサイクルされているものもないのではないかと思える(やっぱゲイがいる限りディスコは不滅か?)。ポールが書いた<NO MORE TEARS/ENOUGH IS ENOUGH>は、1993年にはk.d.ラング(k.d.lang)とイレイジャーのアンディ・ベル(ANDY BELL)のクィア・コンビが、1994年にはキム・メイゼル(KYM MAZELLE)とジョセリン・ブラウン(JOCELYN BROWN)がそれぞれデュエットで発表しているし、<WORK THAT BODY>は1986の映画「タフガイ」ではフィリス・セント・ジェイムズ(PHYLLIS ST. JAMES)の歌で使われ、また96年にはあのル・ポール(RUPAUL)が彼自身の2枚目のアルバムでカバー(出来はイマイチだったけど)。ル・ポールはこの他にも97年には<IT'S RAINING MEN>を、オリジナルを歌った元ウェザー・ガールズのマーサ・ウォッシュと共にレコーディングし大きな話題となった。ライザ・ミネリ(LIZA MINNELLI)は92年のラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのライブ・アルバムで<IT'S RAINING MEN>と<NO MORE TEARS/ENOUGH IS ENOUGH>の2曲を<MEN'S MEDLEY>の中で歌っているし…。一番新しいところでは、元スパイス・ガールズのジェリ・ハリウェル(GERI HALLIWELL)が今年(2001年)<IT'S RAINING MEN>をとりあげ、これがヒット映画「ブリジット・ジョーンズの日記」の喧嘩のシーンに使われた。この映画を観て、お馴染みのメロディに気づかれた方も多いのではないだろうか?そのヴァージョンは彼女のアルバムの他、同映画のサントラにも収録されている。ざっとメジャーなものを紹介しただけでも、こんなにあるのだ。

TIMELESS ポール・ジャバラ

 “ちょっと古いが一番古い”とは上手く言ったもので、その時あまりにも使い古され、色褪せ、見捨てられたかに思えた音楽が、また長い歳月のあと新鮮に感じられ輝き出すというのはよくあることだ。バーブラは1999年の大晦日に行なった“TIMELESS”コンサートでポールの<THE MAIN EVENT/FIGHT>を1979年のレコーディング以来、おそらく初めてライブで歌った(そのライブ・アルバムにも収録)が、その時彼女が言ったように“everything old is new again”なのだ。きっとこの曲を歌うバーブラをその時ポールは空の上から見て微笑んでいたことだろう。それとも、アンソニー・ヘイデン=ゲスト著「54 ザ・ラスト・パーティ」(アーティストハウス刊、P.24)の中で、あるDJが“明け方の四時半に<LAST DANCE>(*もちろんポール・ジャバラ作!)をかけたとき、みんなは涙していた。泣いてたんだぜ! あれは快感だったよ。こう言ってもいいかい? 神様のような気分だったって。”と告白しているように、かつて<HEAVEN IS A DISCO>という曲を書いて歌ったポール自身も、バーブラの歌に天国のディスコで泣いてしまったのだろうか?そして今や彼自身がそこから“男の雨”を降らせているのかも知れない…。It's raining men, ハレルヤ!


SHUT OUT (1977)
PRODUCED BY ARTHUR G. WRIGHT & MARC PAUL SIMON, RON DANTE, STAN VINCENT
(A)
01. MEDLEY :
SHUT OUT (Paul Jabara, Bob Esty) Featuring
Donna Summer
HEAVEN IS A DISCO (Paul Jabara)
02. DANCE (Paul Jabara)
03. SLOW DANCING (Paul Jabara)
(B)
01. YANKEE DOODLE DANDY (George M. Cohan)
02. HUNGRY FOR LOVE (Paul Jabara)
03. SUN IN YOUR SMILE (Paul Jabara)
04. SMILE (Paul Jabara)
05. IT ALL COMES BACK TO YOU (Paul Jabara)
The Original Motion Picture Soundtrack of
THANK GOD IT'S FRIDAY (1978)
(A)
04. LAST DANCE (Paul Jabara)
Donna Summer
(B)
01. DISCO QUEEN (Paul Jabara) Paul Jabara
(D)
02. TRAPPED IN A STAIRWAY (Paul Jabara, Bob Esty) Paul Jabara
06. LAST DANCE(Reprise) (Paul Jabara)
Donna Summer
KEEPING TIME (1978)
PRODUCED BY BOB ESTY
(A)
01. DIDN'T THE TIME GO FAST (Paul Jabara, Bob Esty, Michele Aller)
02. SATURDAY MATINEE (Paul Jabara, Charles Irwin) Duet with
Carole Bayer Sager
03. TRAPPED IN A STAIRWAY (Paul Jabara, Bob Esty)
04. MEDLEY : Duet with
Patti Brooks
TAKE GOOD CARE OF MY BABY (Carole King, Gerry Goffin)
WHAT'S A GIRL TO DO (Paul Jabara)
05. DANCIN' (LIFTS YOUR SPIRITS HIGHER) (Paul Jabara, Bob Esty, Michele Aller)
(B)
01. LAST DANCE (Paul Jabara)
02. PLEASURE ISLAND (Paul Jabara, Bob Esty)
03. SOMETHING'S MISSING (IN MY LIFE) (Paul Jabara, Jay Asher)
THE THIRD ALBUM (1979)
PRODUCED BY PAUL JABARA
(A)
01. MEDLEY :
DISCO WEDDING (Paul Jabara)
HONEY MOON (IN PUERTO RICO) (Paul Jabara, Greg Mathieson)
DISCO DIVORCE (Paul Jabara, Jay Asher)
(B)
01. MEDLEY :
FOGGY DAY (Paul Jabara)
NEVER LOSE YOUR SENSE OF HUMOR (Paul Jabara, Donna Summer, Greg Mathieson) Featuring
Donna Summer
02. JUST YOU AND ME (Paul Jabara, Greg Mathieson)
PAUL JABARA AND FRIENDS (1983)
PRODUCED BY PAUL JABARA
(A)
01. BAD HABITS (Billy Fields, Tom Price) Paul Jabara
02. LADIES HOT LINE (Paul Jabara, Diana Ross)
The Weather Girls
03. HURRICANE JOE (Paul Jabara, Greg Mathieson)
Leata Galloway
04. IT'S RAINING MEN (Paul Jabara, Paul Shaffer)
The Weather Girls
(B)
01. ETERNAL LOVE (Paul Jabara, Jay Asher)
Whitney Houston
02. WHAT'S BECOME OF LOVE (Paul Jabara, Jay Asher)
Leata Galloway
03. HOPE (Paul Jabara, Bob Esty)
The Weather Girls
DE LA NOCHE : THE TRUE STORY A Poperetta (1986)
PRODUCED BY PAUL JABARA
(A)
01: PROLOGUE/INTRO :
DE LA NOCHE (WOMAN OF THE NIGHT) (Paul Jabara, Bob Esty)
OCHO RIOS (Paul Jabara, Paul Issa) Featuring
Pat Ast
02. ONE FROM YOUR HEART (Paul Jabara, David Wolfert) Featuring
Leata Galloway
03. DEENA'S DILEMMA / THE CRIME (Paul Jabara, Harold Wheeler) Featuring
Leata Galloway & Danielle Germano
(B)
01. ENTRACTE/ DE LA NOCHE (WOMAN OF THE NIGHT)(Reprise) (Paul Jabara, Bob Esty)
THE SEARCH (FIND THEM!) (Paul Jabara, Harold Wheeler)
02. THIS GIRL'S BACK IN TOWN (Paul Jabara, Bob Esty) Featuring
Patti Brooks, Beverly D'Angelo, Mary Wilson, Diva Gray, Myno Jackson, Donna Summer, Maggie Swank, Millie Whiteside
03. FINALE :
(MONTAGE) MAMA'S FEVER (Paul Jabara and Company)

★この文章は、GAY-FRONT関西の機関誌「ぽこあぽこ/Poco a Poco」17号(2001年12月23日発行)に掲載されたものです(一部訂正・加筆しました)。

2002.5.8.追記1:この文を読んだ方からメールをいただきました。ランダル・リース著「バーブラ・ストライサンド2 シンデレラ・ストーリー」(音楽之友社) P.259に“(「THE BROADWAY ALBUM」)アルバムの収録が終了すると、バーブラはジャバラに製作者ロイヤリティを諦めてくれるよう頼んだらしい。だが当然ながら彼は断る。きちっと仕事をしたのだから利益の分け前を手にして当然だ、と彼は主張したのだ。それでも彼女は支払いを拒んだだけあって、彼は一度としてすんなりとロイヤリティの小切手を受け取れたためしがない。1992年、彼はリンパ癌のため、44歳でこの世を去っている。死の床にありながらも彼は、最後まで彼女と金の話でもめていたのだ。”とあり、実際のバーブラとポールの関係は必ずしも友好的なものだけではなかった?ようです。僕もこの本は発売当初に読んだのですが、この部分はメールをいただくまですっかり忘れていました。ということは、ポールが天国で流したのは悔し涙?“バーブラ、相手がいくらファンだからといっても、ロイヤリティぐらいちゃんと払いなさいよ!”

2002.6.28.追記2:珍しい?レコードを見つけました。
 ポール・ジャバラがA&Mレーベルで1975年に発表した初シングル・レコード<ONE MAN AIN'T ENOUGH>を見つけました。ちゃんと日本盤が1976年2月にリリースされていたのですね。日本タイトルが<ファンキー・ドライバー>というのはちょっと謎?アーティスト名として単に「ジャバラ」とだけ表記されています。プロデュースはロン・ダンテ(RON DANTE)、アレンジはその後もポールと<IT'S RAINING MEN>等を共作することになるPAUL SCHAEFFER(SHAFFER, SCHAFFER)が担当。ダンス図解入り解説によると「‘バス・ストップ’で踊るにはもってこいの曲」だとか…。B面ではポールの元気な歌声を聞くことができます。<ONE MAN AIN'T ENOUGH>というタイトルがいかにもポール・ジャバラらしいですね。
(A) ONE MAN AIN'T ENOUGH (Paul Jabara) (Instrumental) 3:36
(B) ONE MAN AIN'T ENOUGH (Paul Jabara) 3:32