日本は無条件降伏だったのか

○教科書にみる不統一

○ポツダム宣言について

○バーンズ回答〜

○研究者の姿勢

○考えることの意味

 



〜教科書にみるこの不統一〜
戦後五十年がたち、新世紀を迎えたというのに、歴史認識の混乱は深まるばかりである。その原因の一つが、教科書にあることはいうまでもないであろう。それは一般に考えられている以上に大きな影響力をもっている。
早い話が、三重県以外では、天照大神がどういう存在なのか、多くの高校生は知らない。神功皇后となれば、三重の高校生でもほとんど分からない。しかし日本書紀が神功皇后に当てはめている卑弥呼のことを知らぬ高校生、いや六十歳以下の日本人は少ないだろう。
しかし、祖父母の世代ではまったく逆になる。もちろんマスメディアの影響力も大きいが、なんといっても学校の授業であろう。そしてそのもとは教科書である。
この度取り上げるのは、教科書においてポツダム宣言の受諾、すなわち日本の降伏がどのように記述されているか、という問題である。
不思議なことに、このような重要な問題が、教科書によって異なるのである。
三省堂『明解日本史A』、同『詳解日本史B』、清水書院『新日本史A』、同『要解日本史B』、実教出版『高校日本史B新訂版』、さらに東京書籍『新編日本史B』、同『現代社会』などでは「日本が無条件降伏した」とある。
一方、「無条件降伏」と記さないものもある。山川出版『現代の日本史A』、第一学習『改訂版新日本史B』、国書刊行会『最新日本史B』、および多くの『現代社会』の教科書では単に「日本が降伏した」とある。
また無条件降伏をしたのは「日本国軍隊である」と正確に記すものに、山川出版『日本史A』、同『新日本史B』、清水書院『詳解日本史B』、実教出版『日本史B』などがある。
しかしポツダム宣言を、日本が天皇の統治権維持(国体の護持)を条件もしくは了解の下に受諾したとするものは筆者の知る範囲では、わずかに桐原書店『新日本史A』、同『新日本史B』、第一学習『日本史B』だけである。
これらを総体として見れば、教科書の記述の混乱としか言いようがないと思うが、文部省は手をこまねいているばかりである。


〜ポツダム宣言について〜
ポツダム宣言がそれまでのアメリカの無条件降伏の方針を転換したものであることは、よく知られている。
元駐日大使グルーの国務次官への返り咲き、無条件降伏の主唱者ルーズベルト大統領の死去、硫黄島、沖縄などにおける日本軍の決死的抵抗などが原因であった。このまま本土決戦に突入すれば、米兵百万が死傷すると見積もられていたのである。
無条件降伏の方針が転換された経緯は、昭和三十一年内閣に設けられた憲法調査会の報告書でも詳しく記されていたが、五百旗頭真『米国の日本占領政策』(中央公論社)が新資料を使い、綿密に論証している。
それらには、グルーと知日派のスティムソン陸軍長官との連携が功を奏した様が詳しく紹介されているが、ポツダム宣言を熟読するだけでも、それが日本に無条件降伏を強いたものでないことは理解できる。
ポツダム宣言は、まず第一条に「日本に戦争を終結する機会を与える」として、「降伏」という語さえ用心深く避けている。そして五条以下に、「我らの条件」として軍国主義勢力の除去、領土の縮小、基本的人権の確立などを挙げている。またそれらと並んで、産業の維持、原料の入手、貿易への参加など、連合国側の義務ともいうべき条項も含まれているのである。
「降伏」という言葉が出てくるのは、末尾の十三条で「日本国政府は全日本軍隊の無条件降伏を宣言」という文言中のみであり、そこに明らかなように、降伏の形は「無条件」であるが、降伏するのはあくまで軍隊である。この条文はいわゆる休戦条約的条件であるといえよう。
以上明らかなように、ポツダム宣言はアメリカ国内向けには、無条件降伏という用語を残し、日本には受け入れ可能な条件を提示したものである。実に周到に練られた案文というべきであろう。


 
〜バーンズ回答〜
前回述べたように、ポツダム宣言は無条件降伏を規定したものでない、とするならば、ではなぜ、その後、無条件降伏という認識が一般的になり、教科書にもそのように書かれてきたのか。
それを簡単に説明することは難しいが、その重要な鍵となるものが、バーンズ回答である。
ポツダム宣言を受理した日本政府は、ソ連の仲介に期待をかけて、しばらくそれを無視していたが、原爆投下、ソ連参戦の結果、周知のように昭和天皇の聖断を得てようやく受諾することに決した。その際日本政府は、天皇の統治権すなわち国体に変更がないとの了解の下に受諾すると回答し、確認を求めた。
その回答が新国務長官バーンズを中心に作成され、それには、「天皇および日本政府の権限は、降伏条項の実施のため必要な措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれる。日本国の政府の形態は、ポツダム宣言に従い日本国民の自由に表明する意思により決定される」とあった。
この回答をめぐって日本政府および軍の首脳は再び紛糾するが、天皇の再度の聖断により受諾が決定したのであった。
このバーンズ回答はポツダム宣言から大きく外れるものではなかったが、
天皇及び日本政府の権限は連合国最高司令官の制限の下に置かれるとされ、その文言が九月二日の「降伏文書」にそのまま記載されたことにより、「無条件降伏に等しいものになった」とする考えが生まれた。
 バーンズ新長官に率いられた米国務省がその解釈を押し通し、統合参謀本部がトルーマン大統領の承認を得て通達した連合国最高司令官の権限に関するメッセージには「連合国と日本との関係は契約的基礎の上にあるのではなく、日本は連合国に対して無条件降伏を行ったのである。マッカーサー元帥の権限は日本に対して至上のものであるからマッカーサー元帥の権威に対して日本人の質問を許してはならない」と述べられてあった。そしてその通りのことが日本政府、日本のマスメディアに対してなされたのであった。
 しかしこれは、ポツダム宣言および降伏文書に対する歪曲とすべきであろう。なぜなら、バーンズ回答は日本の申し入れを否定したものではなく、天皇および日本政府の存続を前提としているのであり、たしかに天皇および日本政府は連合国最高司令官に従属することになったのであるが、絶対的とか全面的ということではなく、「降伏条項実施のため必要と認める」範囲に限定されているからである。
 ところで教科書には、ポツダム宣言受諾をめぐる日本と連合国とのかけ引きがほとんど記されていない。「現代社会」という科目に書かれていないのは、やむをえないとしても、日本史の教科書でさえ、筆者がみた限りでは、このシリーズの@で紹介した桐原書店と第一学習社のものだけであった。


〜研究者の姿勢〜,/a>
この問題はかつて江藤淳と本多秋五との間で「無条件降伏論争」として注目を集めたが、これは、文学者どうしの論争であったため、歴史家からの発言はあまりなかった。
しかし、研究者の多くは「無条件降伏にあらず」としているのである。
日本現代史の大家藤原彰、西洋現代史の泰斗荒井信一などもそれぞれ岩波講座『日本歴史22』、『世界歴史29』で、日本は無条件降伏したのではない旨を説明している。
ところが、その後書かれた概説書や啓蒙書では論調が異なっている。藤原は『体系日本の歴史』(小学館)で「軍隊の無条件降伏、連合国軍による占領、最高司令官への絶対従属は、実質的に国家としての無条件降伏にほかならない」と述べている。これは、氏の歴史認識の深まり、あるいは占領政策の現実を反映しているというのかもしれないが、岩波『講座日本歴史』での「無条件降伏にあらず」とする論旨に較べてあまりに粗雑である。そして何より、時代の風潮に追随する姿勢こそ、江藤淳が抉ったところのものである。
荒井の場合はもっとひどい。岩波ブックレット『日本の敗戦』で無条件降伏であると結論づけているのであるが、史料として「国務省特別補佐官エドワード・ミラーの覚書」なるものを挙げ、「バーンズ回答が事実上意味しているのは、最高司令官が現存する日本政府に関して、解体し、あるいはその欲するその他の行動をとる権利をいかなる場合にも持っているということである。これ以上に完全な敗北ないし降伏の条件は存在しないであろうから、これこそまさに無条件降伏の場合に普遍的となるような状況である。」との記述を無批判に引用して、無条件降伏を主張しているのである。
バーンズ回答はそこまで述べていないし、ミラーの覚書などあくまでアメリカ側の考えを示す一つの資料に過ぎない。そんなものを持ち出して論断するのであるから、研究者としての姿勢を疑わざるをえないだろう。

〜考えることの意味〜
二十一世紀にもなって、敗戦の形態を論議しても仕方がない、という意見もあるかもしれない。
しかし実利的には、日本国の無条件降伏を是認するなら東京裁判を批判することはできないし、ソ連(ロシア)に対して北方領土返還を要求する権利も主張できないことになる。
それに何よりもこれは、日本人としての誇り、アイデンティティーにかかわる事柄であるし、国の根幹にかかわる問題である。
たしかにポツダム宣言の受諾により、日本は平和的かつ民主的政府を樹立する義務をもつことになったのであるが、それは直ちに憲法の改正を必須としたのかどうか。ましてそれが天皇の統治権(国体)を廃し、軍備の放棄まで規定する必要があったのか。そしてそれがポツダム宣言にも保証された「日本国民の自由に表明する意思」に従ったものといえるのかどうか。
昨年より国会に憲法調査会が設けられ、時代に即応した憲法の必要性が論じられている。たしかに新しい規定も必要であろう。しかしその一方で、憲法制定過程の問題も論議されている。新憲法制定以来五十年余、この問題を解決できなかったわけであるが、独立回復後五十年を迎えようとする新世紀に入った今こそ、タブーや先入観から解放されて今一度憲法制定過程を見直す必要があろう。
教科書の記述の見直し、検討ということも、国民教育の視点から当然重要なことである。
 教育に関係する者はもちろん、広く国民のみなさんにも関心をもって頂きたいと思います。