秋晴れの三連休の初日。輝のご両親と一緒にやっと「大和ミュージアム」に行ってきました。
山陽道・西条ICまでは100km以内なので、ETCの割引を使って走り、そこからは一般道でのんびり呉を目指す。
詳しいことは分かっていませんが、広島経由で走った方が道も時間も良い気がするが、1日かけて観光すればよいので、急がず・・・。
途中、道を間違えてしまって余計に時間がかかりましたが、峠から見下ろす呉の景色は美しいと思いました。
念願の大和ミュージアム!
親父さんは何度か来たことがあるらしいが、今回は家族と一緒ということで気分も違うようです。
やはり見所は入館してすぐに目に入ってくる1/20スケールの大和!
細部まで再現された大和は360°じっくり眺めてきました。
海軍の歴史や呉で建造された軍艦艇その他特殊兵器の紹介など、細かいところは端折りましたが、特に大和のブースでは、これほどまでも最先端技術(当時)が搭載されていたのかと思うと、単に世界最大サイズの軍艦というだけではなかったことが分かりました。
大和に搭載されていた技術が礎となり、今日の各分野の産業が発展していったということが驚きでした。(解説によれば、ですが。)
戦艦金剛の実物大のボイラーのレプリカから、回天や特殊潜行艇、零式戦闘機など展示品にはかなり力が入っていました。
大和ミュージアムに入館する前から目に入ってきて気になったのが「てつのくじら館」
”大和”から道をはさんだ反対側にでっかい”くじら”が見えている。(街中に突然こんなディーゼル潜がいたら驚くって!!)
こちらは入場無料。
ここから親父さまの、スタッフ顔負けの解説が始まります。
主に日本の掃海技術の高さを展示したブースでは、昔掃海艇に乗っていたガイドスタッフより詳しく記憶していて、他のお客さんが親父さんの話に聞き入るほどでした。(おいおい!)
大戦後の長い間、瀬戸内海は敷設された機雷によって航路が安全でなく、危険と隣り合わせの掃海により航路の安全が確保されたことや、朝鮮戦争後に主に日本海沿岸に機雷が漂着し被害を出したことなど、初めて知る事ばかりでした。
日本の掃海技術の高さが認められ、湾岸戦争後に日本の海上自衛隊の掃海部隊がペルシャ湾に派遣された理由がよく分かりました。(アメリカの尻ぬぐい(危険+地道)をさせられているのかと思っていた。)
現在でも瀬戸内海では不発弾や不発機雷がときどき漁の網にかかります。
ガイドさんが言うには、「爆発の恐れはないにしても、まだまだ眠っているかもしれない。」そうです・・・。
最近あまり写真を撮らないようになってきています。
仕事でも「こんな写真があれば、子供達もまとめが作れるだろう・・・。」と勝手に考えてしまっているし・・・。
反省・・・。