“クトゥルフ・コンパニオン”付属のサイズ比較表より。
(グラーキって意外と小さいんですね)
以下はアメリカ合州国の政府機関「デルタグリーン」への報告書(/rf_1191.html)からの引用です。
概要:稀少な陰秘学の文書、「グラーキの黙示録」第12巻の盗難に関する捜索
…………「グラーキの黙示録」の第1巻から第9巻にかけては、過去に組織員達によって詳細に研究されてきている。
しかし第10,11,12巻の内容については、未だ謎のままである。
最初に挙げた第9巻までは、「グラーキ」として言及されている神性を崇拝するカルトについて概説している。
米国議会図書館における初期の調査は、次の事実を明らかにした。グラーキという名前が最初に言及されているは、シュメールの古文書における二級の神性としてである。
生贄となった犠牲者達は、尖らせた木の杭に生きたまま串刺しにされて、この神に捧げられた。
この形式においては、しばしば犠牲者が死ぬのに時間がかかった。
犠牲者達は常にそれを望んでいなかったというわけではない。
真なる崇拝者達も同じように、この神の祭日に自らを串刺しにしていた。
彼らの信仰は、この串刺しが彼らに不死性をもたらすであろうと信じさせていた。
紀元前3002年のウルクにおいては、大勢の人間による恐るべき串刺しが起こった。
その時は、たった一日で300人以上の人間が串刺しにされた。その後、この名前は後期フェニキア、アッシリア及びエジプト文明において現れた。
各々の時代において、この神性は唯一受容され得る生贄の形態としての串刺しと共に、死と再生を表象していた。キリスト教の誕生後、グラーキは魔精・魔神・悪魔として分類され、一般的にルシファーあるいはサタンの悪意に満ちた僕として記録されている。
多くの書物が、グラーキを召喚・招来し、術者の意図を遂行させる事が出来ると主張した。
これらのような文書においてさえもグラーキは不死性と関連しており、時には串刺しという形態を取る著しい自傷行為が伴っていた。その名前が次に現れるのは、16世紀における魔神や黒魔術に関する文書「黒き雌鳥」"Black Pullet"の中である。
グラーキは強大な悪魔公アシュタロスの第二使徒として挙げられている。
この書物はいくつか、この魔神と接触する事が出来る複雑かつ異なる方法を提示している。
書物に説明されているこれらの秘儀は、この神性を崇拝していた一人のエジプト人の船乗りから著者へと伝えられた。最後に1865年、著者不明の記述の集合である数巻の英語の著作がグラーキとそのカルトについての真実の物語を語ると主張している。
…………
「グラーキの黙示録」と呼ばれるその著作については、全部で10巻までが報告されている。
しかしながら、盗難の多発によってただ6組のみが個人の収集品の中に存在を確認されている。
もし「キャンベル神話分体系」等というものがあるのなら、グラーキはその中でクトゥルフと同じ様な位置にある存在だと考えられます。ちなみにこの神話体系の最終回が「妖星グロス(仮)」です。
しかし「所在地がイギリスの内陸部」しかも「崇拝のほとんどは自由に動けない存在の従者によってなされている、土着性のものである」という点がクトゥルフと異なり、それ故特に日本と関係させづらい神性であるとも思われます。そこでシナリオに新境地を拓くべく悩めるキーパーの皆様に茶々を入れるためにとって何かの足しになるかもしれないと思い、私もまた想いつくままを書き連ねてみる事にしました。
発想(妄想)のキーワードとしては「湖」「夢」「棘」「屍生人の従者」「グラーキの黙示録」等が考えられますが、この中の「湖」を使って以前に、「間違った水神信仰として日本に伝えられている」というものをイメージした事があります。
「招来」の呪文ではないのですが(グラーキについては「接触」呪文しかありません)、グラーキの潜む「湖」と似たような地形の盆地の縁である儀式を行うとその場が「湖」と空間を越えて重なり合い、盆地が水で満たされて一時的に湖になりグラーキが姿を見せる環境が整う、という仕掛けがあり、この時盆地だった湖から流れ出る水で山間部の田畑を潤す事が出来るようになります。しかしこの時、盆地の縁で儀式を行った人間は必ず姿を消し、それ故これは大干魃の際にやむを得ず行われる「御禁水」の儀式として伝えられている、という設定です(倶羅明神宮とかなんとかいう名前で……「ぐら・みょうじん」と読みを間違えたりして)。
全然その本質とは関係無い要因でグラーキが崇拝されているわけですが、そこが神々をほとんど理解出来ない人間の仕業として相応しいのではないかと……。
導入として妄想したのは……。
より冷静な発想としては、「棘」による(偽りの)不老不死に引っかけて考える方が多いかも知れません。舞台がトランシルヴァニアなら、有名な「串刺し公」とからめて大規模なキャンペーンが作れそうです(笑)
今更ながら……“クトゥルフ・コンパニオン”のボックスアートを飾っていたのは、「グラーキの従者」達だったんですね。しかもクライマックスシーンではないですか。
グラーキの住処についての正確な情報をけえにひ様が"Encyclopedia Cthulhiana"及び"Call of Cthulhu 5.5 Ed."より訳出し、提供してくださいました。ありがとうございます。(2000/08/08 さらに情報を追加)
"Encyclopedia Cthulhiana"が“エンサイクロペディア・クトゥルフ”(新紀元社)として翻訳されたので、けえにひ様に提供していただいていたグラーキの住処についての記事はその役割を終えたと判断し、コンテンツから外させていただきました。
ただ、“エンサイクロペディア・クトゥルフ”102pの「グラーキ」の項に関して少々。グラーキと古代エジプトとの関係について、この項では次のように書かれています。
"Encyclopedia Cthulhiana" 120pの"GLAAKI"の項における該当部分は、次のような文です。グラーキの刺に似た合成ミイラが多数発見されているので、グラーキがもっとあとになってから、タグ・クラトゥアの逆角度を使用するエジプトの神官によって地球に招来されたと主張する者もいる。
Some insist that Glaaki had come to Earth before for a short time through the priests of Egypt's use of the Reversed Angles of Tagh Clatur, as a number of hybrid mummies have been discovered with spines like Glaaki's nearby.
私はこの原文を以下のように訳しました。
「グラーキは以前にも、エジプトの司祭達がタグ・クラトゥアの逆角度を使用した事により、短期間ながら地球へ到来した事があると主張する者達もいる。数多くの合成ミイラのすぐそばから、グラーキのものに似た刺が何本も発見されてきたからである。」
原文がおそらく“エンサイクロペディア・クトゥルフ”のものと異なっているため単純な比較は出来ませんが、けえにひ様による"Encyclopedia Cthulhiana"及び"Encyclopedia Cthulhiana 2nd Ed."の"GLAAKI"の項の訳では、グラーキと古代エジプトとの関係については以下のようになっていました。
"Encyclopedia Cthulhiana"より:
セベクとカルナックの司祭らの“タフ=クレイトゥールの逆角”を通り抜けることによってグラーキが以前にも地球に来訪したことがある、と主張する者もいる。流星衝突以前には、この旧支配者の我々の世界への影響は取るに足らなかったにもかかわらず、これら“異端者”たちはおびただしい数の合成ミイラの傍らでグラーキのそれに似た棘を見出した事を書き記している。
"Encyclopedia Cthulhiana 2nd Ed." (1998)より:
彼のもののこの世界への影響は、彗星落下以前には取るに足らなかったにも関わらず、エジプトの神官がタフ=クレイトゥールの逆角を用いていた事や、おびただしい数の合成ミイラがグラーキの棘に良く似たものの近くで発見された事などからグラーキはこれ以前にも地球を訪れた事があると主張する者もいる。
古代エジプトの合成ミイラは実は、つなぎ合わせた死体にグラーキの刺からエキスを注入するという方法で創造された、フランケンシュタインの怪物のような従者だった、という事なのかもしれません。
"THE KEEPER'S COMPANION"における「グラーキの黙示録」の“クトゥルフの呼び声TRPG”用データをけえにひ様から提供していただき、翻訳しました。ありがとうございます。
Chaosium社の"Call of Cthulhu"サプリメント"Ramsey Campbell's Goatswood and Less Pleasant Places"に収録されている「グラーキの黙示録」のデータを、「グラーキの黙示録 from "Campbell's Goatswood"」にまとめてみました。
また、以下は同サプリメントに収録されているグラーキ教団の解説及びグラーキ関連の呪文データです。
グラーキ教団 (p18)
1790年頃、ゴーツウッドからやって来た人々の一団がブリチェスターの北にある深い湖に引き寄せられ、そこに六軒の家を建てました。トーマス・リーに率いられたそれらの人々は、グラーキを湖底におけるそのまどろみから目覚めさせましたが、その結果、グレート・オールド・ワンの不死の従者と化してしまいました。教団の初代の構成員達は、十九世紀の初期に「グラーキの黙示録」の最初の十一巻を書きました。およそ六十年の間、この小さな集団は活動し続けましたが、それも「緑の崩壊」の脅威によって日中の時間帯に身を隠す事を強いられるまでの事でした。グラーキ教団はその時以来、時折好奇心に駆られて、あるいはグラーキの「夢引き」によってこの廃墟の集落に引き寄せられた訪問者を仲間に引き入れる事はあるものの、ほとんど増大してはいません。
(シナリオのネタばれにつき後略)グラーキの招来/退散 (p33)
この呪文は夜間に、ブリチェスター湖の岸においてかけられなくてはなりません。成功した場合、グラーキが湖底から浮上し、湖岸に出現するでしょう。この呪文による正気度喪失は1D10ポイントです。
グラーキとの接触 (p33)
この呪文は他の《神性の生き物との接触》の呪文と同様に、グラーキが何らかの影響力を持っている領域においてかける事が出来ます。成功した場合、グラーキは術者のもとに1D6体の従者を送ってきます。
Chaosium社の"Call of Cthulhu"サプリメント"Ramsey Campbell's Goatswood and Less Pleasant Places"より、「グラーキの従者」に関する項を訳出してみました。
グラーキの従者
(前略)いくつかの例外を除いて、従者達は通常人間の姿をしています。従者と呼ばれるこれらの存在はゾンビを思い出させますが、ゾンビではありません。グラーキの制御下にはありますが、従者達は自身の知性を保持しており、キーパーはこれらを、そのINTの許す限りでずる賢く危険な存在として演じるべきでしょう。従者達とのコミュニケーションは可能ですが、その会話は通常、あたかも半ば眠っているかのように単調です。従者達の胸にはそれぞれ大きな青黒い斑点があり、そこから赤い筋が網状に広がっています。この斑点は、その従者がグラーキの棘の1本を突き刺された箇所です。これらの斑点から出血する事はありませんが、比較的新しいグラーキの従者は、ひんぱんにその箇所をさすったり、さらには衣服の下の斑点を指し示すようであったりするかもしれません。
もし殺されたり捕獲されたりして調査された場合、これらの従者達はほとんどの法医科学者を困惑させる事でしょう。最も明白なのはその身体中に、伸び広げられた静脈と動脈からなる網状組織による、第二の循環器が発達しているという事です。その中に流れているのは血液に似た物質ですが、それは金属を非常に高い濃度で含んでいる細胞から出来ています。新しい循環器はこの「血液」を肺や脳、そして、あまり効果を発揮してはいませんが――従者の低いDEX値はこのためです――腕や脚に供給しています。それら以外の、内臓等の残りの器官は既に活動を停止しているようであり、腐敗の徴候を見せ始めています。比較的新鮮な従者は古参の従者よりもより高いDEX値を持っている傾向があります。DEXは通常1週間に1〜2ポイントの割合で次第に減少し始め、値が2-4ポイントの範囲に達するまで続きます。