返信ページです♪ネパール乗馬クラブ ご報告 


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お名前: よしこ    URL
ご無沙汰です。
せっかく日本にいたのですが、予定がいっぱいで各地の乗馬クラブ訪問は果たせませんでした。
ネパールに戻ってきてからのことをご報告します(ごめんなさい。悲しいこともはいっています)。

雨季も終わって、ようやく乗馬シーズンとなりましたが、お客様いなくて、さびしい限り。
サポートしてくれていた外国人たちが次々と帰国して、会員は減る一方。

先週は、ネパール最大のダサイン祭りがあって(お正月のようなもの)、
スタッフも里帰りなどで長期不在。馬も運動不足で荒れています。
市場も休みだし、青草を刈って届けてくれる人もいない。

私のHPも夏以降、更新できていない…

でも、10月に入って、退役軍人の○○○少佐という方が登場し、
一条の光がさしたように思えました…。

初めて会ったときから、大好きになりました。明るくて、楽しくて、厳しいけれど、やさしい。
カトマンズ近郊で山荘を経営しつつ、乗馬クラブを手伝ってくれることになったのです。

いろんなアイデアを出してくれました。外乗やピクニックや、刈り取った後の田んぼを走ろうとか、
教材やビデオ室の整備、グループレッスンや、カリキュラムの編成など。
とても自信にあふれていて、馬の扱いも愛情が感じられた。乗り方も教え方も、ほれぼれしました。
私のインストラクターKも、彼について習ったそうで、(Kのお父さんが、○○○少佐と旧友)
「ネパールで一番の乗り手」とのことでした。めぐり合えてラッキーと思ったのもつかの間…

○○○少佐は、マオイスト闘争に巻き込まれて、5日前に山荘で殺害されてしまった。
Kのお父さんは、ショックのあまり失神してしまうし、
私もまだ、打撃からたちなおれません。すばらしい人だったのに。
なぜ、こんなむごいことに? 
すぐに奥さんと家族のいるカトマンズの自宅へ弔問に行き、とてもつらかった。

実は、この祭日中、彼と奥さんは、私を山荘に招待してくれていたのです。
でも、私は、市内の別のネパール人家庭で過ごすことになっていたので、
今回はお断りし、ダサイン祭が終わってから必ず行くわ、と答えました。
またすぐ乗馬クラブで会えることを楽しみにしていたのに、
彼は戻ってこられなかった。

奥さんは、私に、「よかった…あなた、来なくて」と言いました。
彼女は危うく助かったけれど、どれほどの痛みと悲しみを残したままか。
「本当に馬を愛した人でした」と、つぶやく彼女は、○○○にふさわしい
勇気あるすばらしい人。

わずかな間の出会いだったけれど、旧友を亡くした気持ちです。
これからどうしていこう、とぼんやりしています。
きのうは、○○○少佐に祈りをささげるつもりで、私1人の馬場で、
一心に彼のことを考え馬に乗りました。
たった一回、私にレッスンをしてくれた内容を何度も思い出しながら。

「乗るたびにいつも何か新しいことを馬が教えてくれるよ」
「馬をコントロールするのは、99%脚なんだよ。手綱の役割はほんの少し」
「踵をしっかり押し下げて」

たった15分で、彼は私の乗り方をすっかり変えて、自信をつけてくれたように思う。
彼に教わってから、体がラクになり、楽しく乗れるようになっていることに気がついた。

9.11.以来ずっと平和について考え、
ネパールでピースキャンプを開催したりしてきたけれど、
こんな形で大好きな人を失うなんて、
考えているだけではどうしようもない現実がある。

この数年間、ネパール国内でマオイスト闘争による何千人もの犠牲者は、
ほとんどが、死ななくていい死に方をしている。
こんなばかげたことはもうやめて、と訴えたいが、
長いあいだの政治の混乱が終始のつかない泥沼を招いている。
どうすれば、この糸はほぐれるのか。
話しあいの席につかせることさえ意見が分かれて、いつも交渉決裂してしまう。
マオイストをテロリストと定義して、アメリカの軍事援助がこの国に入りつつある。
これはもっと怖いことかもしれない。

ネパールの小さな乗馬クラブも世界情勢の中で翻弄されています。

気を取り直して、がんばります。

お元気で。
[2002/10/23 21:36:41]

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