文=厚木十三 『GON! 2000年10月号』(ミリオン出版)掲載原稿に加筆。

どんなお子さんだったんですか?
 「そうですね〜、やっぱり落書きが好きな子供だったような気がします」。

漫画の原体験って、何でした? 貸本とかですか?
 「あれも読みましたけど、ちょっと肌に合わなかったですね。やっぱり手塚治虫
 先生の『W(ワンダー)3』とか、『冒険放送局』、『ボンゴ』。あと横山光輝
 先生の作品も好きでした」。

じゃあ、ご自分で描き始めたのは
 「中学の時に同人誌で描いたのが、最初ですかね。これは高校卒業まで描いてま
 した。よせばいいのに、連載100ページとか(笑)」。

当時だと、コピーとかもないですよね。
 「そうです。肉筆の1部のものを、回し読みしてました。神奈川県の人が中心に
 なって、愛知、大阪、徳島、なんかの人達による、結構広範囲のネットワークの
 ものでしたね」。

高校には漫研とかは、なかったんですか?
 「その頃はなかったですね。だから東京の大学に進学した時に、漫研があって感
 動しましたもの」。

で、上京してからは、どんなカンジだったんですか?
 「2年生までは学校に行ってたんですが、ダイナミックプロ(以下Dプロ)のア
 シスタント募集の広告を見たら“20歳まで”となってましたんで、エーイやめて
 しまえと」。

じゃあもう、その時点で、職業としての漫画家を選択されたんですね。
 「そうですね」。

で、Dプロでアシスタントをなさるわけですが、結局、どの位いらっしゃった
んですか?
 
「通算で、契約社員の時も合わせると5〜6年ですかね。今思うと、
 僕がサブチーフだった頃が、一番Dプロの統制がとれなかったような気がします
 (笑)。今も昔も、人を使うのって苦手ですね」。

アシスタントをされた作品には、どんなのが?
 「当時のは、ほとんどですよ。『イヤハヤ南友』、『へんちんポコイダー』、
 『けっこう仮面』、『迷惑探偵!! イボ痔小五郎』、『シャーヤッコホーム
 ズ』、『若バカさま』、『デビルマン』も一部やってたかな」。

確か、幻六郎(げん・ろくろう)名義の『花の天誅組』というのも。
 「ありましたね。永井豪先生、石川賢先生、桜多吾作先生、真樹村正さん・秋本
 シゲルさん・団龍彦さんなんかと、その名前で、みんなで書いてました。“蒲口
 もだ恵”というキャラクターが、僕の担当でした」。

何かエピソードとかあります?
 「全員で、都内の旅館で合宿して描くんですけど、みんなでゲラゲラ笑いながら
 アイデアを考えて、“これは面白いに違いない”なんて思って完成してみると、
 全然笑えないんですよ(笑)、これが」。

で、当時『ばくてりあ』という同人誌を作られてたんですよね。
 「どういう話の流れでそうなったかは覚えてないですけど。確かDプロのアシス
 タントの技術向上と、プロデビューへのステップとして、永井先生に“同人誌や
 ってみれば”って言われたんだと思いますね」。

じゃあ編集長という立場だったんですか?
 「そうです。表紙なんかも描いてましたね。2号まで出して、各号100部ぐらい
 でしたかね。会社の経費で本が出せるってんで、はりきってやってたんですけ
 ど、3号目の原稿が集まらなくなりまして。じゃあってんで、3号用に描いた原
 稿をサンデーの編集部へ持ち込んだんです」。

それがデビュー作の
 「『熱い国から来た少女』ですね。で、それからDプロでアシスタントをやりな
 がら『おじゃまユーレイくん』のネームを書いて、またサンデーに持ち込んだん
 です」。

じゃあ『おじゃまユーレイくん』って、最初は少年誌用の作品だったんですか。
 「そうです。だから1話の扉の絵の霊くんは、学生服着てたんですよ」。

ナルホド〜。それで、あんなにH度が高かったわけですか。でも、それがなん
でコロコロに?

 「サンデーに預けたら、一年ぐらいそのままになって(笑)。で、いきなりコロ
 コロの人から“ウチでやりませんか?”と。その頃『天国からきたチャンピオ
 ン』という映画がヒットしてまして、設定が似てたもんで、いけるのではないか
 と思われたみたいですね」。

一番ノッて描いてたのって、いつ頃ですか?
 「1巻の終わりから、2巻の始めぐらいですかね。つまるのはしょっちゅうでし
 たけど。。毎回、Hシーンをだせと言われてて、う〜ん、と」。

Hシーンに必然があるのがいいですよね。それが出てくる理由がちゃんとあっ
て、投げやりになってないという。

 「あんまりストレートなのは苦手なんです。そういえば当時、ああいう漫画を書
 いていたから好きだと思われたんでしょうね。ムリヤリ編集の人に、ストリップ
 に連れていかれた事がありました。気持ち悪くなって、2日ぐらいは立ち直れな
 かったですね(笑)」。

霊くんが他のキャラに憑依してる時、表情からそれが分かるのが、スゴイなぁ
と。意識されて書き分けてたんですか?

 「特に考えてなかったです。描く時は、頭の中で演技してますから、自然にそう
 なるんです。これは、どの漫画家さんでもそうだと思います」。

途中から、主人公が旅にでるという意外な展開がありますが、あれは?
 「編集部の方から、こだまちゃんとのカラミが飽きられてきてるんじゃないかと
 言われまして」。

そうですか。最後の、あのオチは最初から考えてあったんですか?
 「全然。前の回の時に、終わりだと言われたんで、その場で考えました。本当
 は、違うオチがあったんですけど」。

エッ! というと?
 「最後に人類が滅亡して、全員が幽霊になるんです。でも人数が多すぎて、霊界
 からシャットアウトされて、みんなで手を繋いで宇宙へテレポートしていくとい
 う(笑)」。

でた〜皆殺しオチ(笑)。
 「で、さすがに“それはちょっと…”と言われまして」。

(笑)、ちなみに当時、『のび太の恐竜』が公開されたときのコロコロ(80
年10月号)に、よしかわ先生の「しずかちゃんが、とってもいいね。とくに、
シャワーや着せかえカメラのシーンがね!! ぐふふふふ…」っていう映画の感想
コメントが載っていたのが衝撃だったんですけど。

 「あれは編集の人が書いた文ですよ(笑)」。

SF的な設定の漫画をお描きになりますけど、好きなSF映画とかは?
 「『未知との遭遇』ですかね。『2001年宇宙の旅』とかも好きなんですが、やは
 り分かりやすくないと。僕自身、児童漫画を描く上で、常にそういう風に考えて
 ましたんで」。

そして、ユーレイくんと同時進行で、『ヒロインくん』が始まるんですよね。
 「そうです。コロコロの編集部にいたら、てれびくんの編集部の人に“〜日まで
 に、7ページ描いて”といきなり言われまして。えらい忙しくなりましたね」。

知り合いなんかに話を聞くと、ヒロインくんの方が印象が強いってヤツが多い
んですけど…

 「てれびくんの方が、対象年齢が低いですからね。そのせいじゃないですか」。

当時、性転換ネタで連載というのは
 「僕だけだったと思いますね。後の高橋留美子さんの『らんま1/2』を読んだ
 時は、うまいな〜と思いましたね。ああいう仕掛けでやれるのかと」。

漫画誌じゃないから、1回のページ数が少ないですよね。
 「そうですね。その分、のびのびと描けましたね。ワンアイデアでバーッといけ
 ましたから。“ユーレイくん”も愛着ありますけど、“ヒロインくん”もかなり
 好きな作品ですよ」。

この後、ちょっと間が空きますが
 「ちょっと漫画を書くのに疲れてまして。ヒマだったんで、なんとなくイラスト
 とかを書いて、本名で雑誌に投稿したりしてました(笑)。何度か載ったんです
 よ。『幻魔宇宙』(徳間書店)とかに。Dプロの頃から、投稿するのはイタズラ
 半分によくやってましたよ。ヒドイ時はキャラの作者本人に描かせて、ペン入れ
 だけやって投稿したりとか。でも、そういうのが載らなかったりするんですよね
 (笑)」

その後は、単発が続きますが
 「連載を試みたのもあるんですが、みんな途中で終わったりでしたね」。

一線を退かれるお気持ちになったのは、なぜなんですか?
 「数年前に親が死にまして。その頃、ちょうど作品も滞っていたりして、まぁ引
 き時なんじゃないかと。それで5年前に筆を置きました」。

漫画自体は、今でもお読みになってるんですか?
 「サンデーなんかは、たまに読みますね。『からくりサーカス』とか、『犬夜
 叉』とか」。

もう一切お書きになってないんですか? 描きたくなりません?
 「なんとなくそういう欲求はありますんで、落書きはしてますが、描いてはいな
 いです。まぁ墨汁とホワイト買ってくれば、始められるんですが」。

ユーレイくんがプレミア価格で売られてたり、今でも僕らみたいなファンがい
るとかって、ご存じでした。

 「いえ、全然」。

では最後にファンに一言。
 「そうですねぇ。覚えていてもらえたのは、奇跡的な事です。ありがとうござい
 ます。というのが、正直な気持ちですかね」。



※各作品へのコメント

マッチョくん

 「編集部の方で、タイトルを決めていただいたんですが、最初意味を知りません
 で、“マッチョって何ですか?”と聞いた覚えがあります。これのバッチも作り
 ましたね」。
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蛙少年ガマのたたり

 「恐怖ものをシリーズでと、頼まれて書きました。1回で終了したのは、“恐怖
 漫画を書くなら、離婚する”と妻に言われまして(笑)。あとを真樹村正(槙村
 ただし)さんに、引き継いでいただきました。ただ自分としても、肌には合わな
 かったですね」。
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愛どーるパンチ

締め切りに追われる漫画家として、ご自身が登場しますが?
 「まさしくあんなカンジでしたよ(笑)。青息吐息という」。
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ミラクルみるく

 「これは続編を書く予定だったんですが、サリーのコミカライズの仕事が入った
 ので、途中で終わったままですね」。
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