大逆転 その2




私が自分自身を大切にしてやろうと 意識した事は


私自身の為に生きて行きたい と強く心に思った事は


裏を返せば


「人でなし」 に聞こえる事なのかもしれないね。


建前だけで 「罪を償え」「お前のせいで彼は死んだんだ」 そういう人は山といる。



罪を償うとは どういうことだ?


私は一生 自分を責めて暮らせよ と?



そういうあなたは何者だ?


あなたは 実際それをこなして来た人なのか?



しかし残念な事にね


私を裁ける人間は私しかいなかったんだよ・・・。



私はその事をとことん 教えられた。


痛いほどに教えられた。




周りの優しい人々が


「あなたのせいじゃないんだよ」と言ってくれても


「幸せになってもいいんだよ」と言ってくれても





私は私を許せなかった。




世界中の人間が 「あんたは絶対悪くない」 と言ってくれたとしても


私は知っている。



私にも大きな責任はあったんだという事を。


そして私が私を許す事など出来ないという事を。








私を許せるたった一人の人間は


他ならぬ自分自身だったんだよ。



他でもない 私自身だったんだ・・・。













たとえ あなたが 私の事を「人でなし!」と 罵ってもね、


私は知っている。





自身に大した責任も持たない人間は 何でも言えるモノなのだと。




あなたの言葉は自己満足でしかないのだと。


自分を肯定するための 手段でしかない事を。





私を徹底的に踏みつけたのは 他ならない私だったんだよ。




あなたの言葉は その補助作業でしかなかったんだよ。



だけどね 苛め続けた当の私が 自分を許そうと言っているんだ。


私が私を許すと決めたのだ。



部外者のあなたに何が言える?







簡単に許せたわけじゃないんだよ。



そうさ 


私は 私の中にある 全ての自分をひっくるめて


それらを抱え それらを引きずり それでも生きていくことを選んだんだ。


それだけの荷物を抱えて尚 生きていくことを選んだんだ。


そして その事を自分に許したんだよ・・・。




あなたが 人でなし と言おうが


罪を償え と言おうが

影で何か言っているとしてもね



それらの言葉も行動も 最終的にはあなたが自分を肯定する作業でしかないんだよ。


私はその事に気づいたときにね



なんだか 急にほっとした。



一見正当な言葉の羅列も


よくよく聞けば 


私を責める事ではじき出される「自分は正しい」にたどり着くための遠吠えだったんだねと。



それから 少し悲しくなった。



あなたも寂しいんだね・・・と。





ま正面から受け止めて


真っ直ぐに傷ついていた私は もういない。



自分の存在理由が解らなくなって



ただ おろおろと「ごめんなさい」を繰り返し 


面白いほどに傷つき易かった私はもういない。




人の心の裏側も


建前論でごまかせる非難の言葉の裏側も



なんだか急に 解ってしまったとき・



人間の欲望や 混沌や 怒りや 苦しみ



それらの感情が一点に向かって 走り出した気がしたよ。



「寂しさ」に向かって走り出した・・・そんな気がする。




人の心の奥底に


ちゃんとした言葉でなくても 存在しているマイナスの感情の根源って


案外「寂しさ」じゃないのかな・・・って。



寂しさを埋めるため


寂しさを忘れる為



求める何かがあるのかな




そんな事を思ったよ。