俳句の基本T
山での感動を記録に残したい、誰かに伝えたいと思われたことはよく経験することであろう。
写真に撮ることは、最も手身じかであるけど、感動の大きさやどんな ことにどのように感じたか
また捉えたかは伝わりにくいようだ。こういうことは 言葉の方が、伝えることができるものである。
また作者のオリジナリティーもだし やすいといえる。言葉による場合、紀行文、詩、短歌、俳句
とさまざまな表現型式 がある。紀行文が一般的であるが、そのときの感動や自然の微妙な
様相を表現する には詩、短歌、俳句が優れていると考えられる。口語自由詩は現代詩とも
よばれて いるが、現代社会における不安感や社会の矛盾などがテーマとなることが多く、自然
や風景についてのものは少くなってきている。一方、俳句は自然を詠むことが基 調となっている
ことからも最も向いているといえる。芭蕉には次ぎのように述べている。乾坤の変は風雅のたね也
 乾坤は自然、変は変化、風雅は俳句、たねは素材のことで、自然の変化は俳句の 素材だと
言っている。自然を正確に客観写生できれば、感情的なものも伝えられる とされている。
単なる写実ではないということである。山についての俳句の場合は 、景観が描写できていることが
欠かせないが、主観的表現の秀句も多い。

夏山を統べて槍ヶ岳真青なり
水原愁櫻子

誇張した表現は主観的になることが多いが、それが実景をいい当てていれば、客観的にもとれる。
 俳句の素養がなくても、日本人は俳句を理解できる感性をもっているのである。 なぜなら、芭蕉の
名を知らない人でも、芭蕉の句の影響を受けていると考えられて いる。
芭蕉の句は民族の感覚を決定づけるくらいの働きがあったとされているので ある。
 次ぎに俳句特有な表現の仕方や技法を簡単にまとめておいた。これらを知ってい れば、
さらに深く俳句を理解し味わうことができ、また、これから俳句を作ってみようという気持も起こってくる
かもしれない。

俳句の基本

1.有季定型
俳句は五・七・五の17字からなり、季題(季語)を含むことと決められている。世界中で最も短い
短詩である。短いことにより連想の広がりや余韻が生じてくるのである。五・七・五の韻律によりしらべと
リズムが創り出されている。このことにより 音楽的表現効果をもっている。
 俳句は自然を詠う、または自然との係わりを詠う文芸として発展してきた。そこでの季語は17字
という短い言葉にもかかわらず、さまぞまな事柄を想い起さる 効果ももっている。さらに季語により
自然の趣や移ろいが、詩の内容に結びつけら れる。このことにより、内容に深みと広がりが生まれる。
俳句は「季を詠う文学」 とも言われ自然を詠うことが基本となっている。

2.写生
俳句表現の基本は写生であるとされている。この方法は正岡子規が唱え、高浜虚子により継承
された。古来、短歌は心情吐露に名句が多い。一方、より短い俳句は主観の感情を述べる には語数がたらず
いきおい客観の写生が中心となってくる。人の想像によるより 、実景にそくしての描写の方が真に迫るものである。

秋風やいただき割れし燧岳
福田蓼汀

燧岳の特徴の一つを写生することにより、燧岳全体が浮かび上がってきている。

3.切れ字
句の"切れ"いわゆる「切れ字」は俳句表現独特の用法で、発生は連歌にはじまり 、「や、かな、けり」が
代表的なものとされている。体言は切れ字とはいわないが 、切れ字の働きをもっている。切れ字には
大きく分けて二つの働きがある。一つは" 独立" "簡潔"をもたらす。もう一つは"暗示 "である。短い詩型
では読者の連想の 手助けを借りて句意を大きくふくらませなくてはならない。切れることにより読者 の連想
の間合いが入ってくることになる。

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々
水原愁櫻子

啄木鳥やで切れ、読者が森をイメージしてから次ぎの音節に入ることにより、荒 涼とし始めた森が
強く脳裡に描き出されてくる。

4.省略
俳句の技法の中心をなすのが、省略である。省略により焦点が絞り込まれ、強調 と余韻が生まれてくる。
省略とは複雑なことを、単純化することである。単純に表 わすのではなく、単純化することから、ものや
事柄の本質が現れてくるのである。

5.取合わせ
17字を無限に拡大してみせる方法の一つに、「取合わせ」がある。「取合わせ 」は芭蕉が唱えたもの
であるが、現代では「二物衝突」という言い方もされている 。二物を衝突させることによって、無限の
波及を生み出し、17字に無限の拡がり をもたせている。この取り合わせには、「や」の切れ字が主に
使われる。

古池や蛙飛びこむ水の音
松尾芭蕉

古池にでは単なる説明になってしまい、古池やで切ることにより水の音と響き合 い、宇宙的広がれりが
生まれている。

6.一物仕立て
 二つ、ときにはそれ以上の概念を一句の中に対置して作るのが「取合わせ」
であり、それに対し、単一の概念(ひとつの素材、事物、ことば)によって句切れなく 作るのが「一物仕立て」
である。芭蕉は許六に対しては、「発句は取合わせ物也。二つ取合わせて、よくとりはや すを上手と云う也」と
述べたことがあった。許六はこれを師説として主張したのに 対し、去来は芭蕉が酒堂に説いた「すらすらと謂くだし」た
「こがねを打ちのべたる」句作法を例証しつつ、一物仕立てもあるとし、なお意識的な取合わせは初学者には
有効としながら上達の上は、無作為の境地に進むものだと説いている。

雪嶺のひとたび暮れて顕はるる
森 澄雄

「雪嶺の暮れる様子だけを捉えている。」を「雪嶺の暮れる様子だけを捉えている。ひとたび暮れるのは
夕方ガスが降りてきて一旦山を隠すためであろう。ガスが下がりきると、再び澄んだ夕空、というより
薄明かり夜空が現れる。」

7.ものによる表現
俳句では形容詞、副詞は極力用いるべきでないとされている。形容詞、副詞は説 明的になる傾向があるから
である。言い換えると観念的になりやすいということで ある。動詞も一句一つまでが望ましいと言われている。
名詞で表わすことにより、 具体的となり迫力や臨場感が強まるのである。

一月の川一月の谷の中
飯田龍太

形容詞、副詞は使わず、冬の荒涼とした谷間を表わしている。細部を述べないこ とで、反って光景の淋しいが
迫ってきている。


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