山岳俳句史
 和歌では古来、山について詠われてきた。一方、俳句が今日の形式と表現内容、すなわち自然
を対象にするようになったのは、松尾芭蕉からである。元禄2年の夏、「奥の細道」の途次、出
羽三山の最高峰月山に登り、次ぎの句を残している。
   涼しさやほの三日月の羽黒山   芭蕉
   雲の峯幾つ崩れて月の山     芭蕉
 蕪村が高山に登ったという伝承はないが、遠望しての句は詠んでいる。
   雲呑んで花を吐くなる吉野山   蕪村
   行春やむらさきさむる筑波山   蕪村
 芭蕉の句が哲学的であるのに対し、蕪村の句は絵画的といえる。山の句にもその特徴が表われ
ている。
 日本アルプス登山の黎明期に、俳人・河東碧梧桐は明治42年7月、立山に登っている。
   雪を渡りて又薫風の草花踏む   碧梧桐
 立山山頂での句である。さらに彼は、大正4年7月には長谷川如是閑、一戸 直蔵と針ノ木岳
から槍ヶ岳まで縦走した。このときはほとんど句を作っていないが、「蓮華嶽南尾根を下る」の
前書きでの次ぎの句がある。
   駒草に石なだれ山匂ひ立つ   碧梧桐
 しかし碧梧桐は山を俳句の特別な対象として、取り組むことはなかった。対照的に大正から昭
和にかけて、山を俳句の題材として意欲的に取り組み本格的な山岳俳句を残したのが前田普羅で
ある。昭和11年11月末、 普羅は甲府から八ヶ岳の裾野を廻って信州佐久へ出た。そのときの
連作五句は「甲斐の山々」と称して、普羅の山岳俳句の絶唱ともいわれている。
     茅枯れてみづがき山は蒼天にいる   普羅
     霜つよし蓮華とひらく八ヶ嶽        
     駒ケ嶽凍てヽ巌を落としけり        
     茅ヶ嶽霜どけ径を糸のごと         
     奥白根かの世の雪をかヾやかす     
そのほか次の句などが広く知られている。
   春尽きて山みな甲斐に走るけり   普羅
   乗鞍のかなた春星かぎりなし    普羅
 高浜虚子には、代表作の中に次の山の名句がある。
     遠山に日の当たりたる枯野かな   虚子
 また、太平洋戦争が激化した頃、小諸に疎開していたことから、このときに多くの山の句を詠
んでいる。
     山国の蝶を荒しと思はずや     虚子
     冬山路俄かにぬくきところあり    
 高浜虚子の四Sと呼ばれる高弟の一人である水原愁櫻子は、新しい抒情俳句をきり拓いた俳人
でもある。大正末期から昭和のはじめにかけて関東周辺の山や高原に吟行をこころみはじめ、後
に日本アルプスなどの高山にも登り、多くの山岳俳句を残した。
   啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々  愁櫻子
   天騒ぎ摩利支天岳に雷おこる   愁櫻子
 愁櫻子の弟子の石橋辰之助は、山岳俳句として最も有名な次の一句を詠んでいる。
   朝明の雲海尾根を溢れ落つ   辰之助
 掲句は辰之助が23歳のときの句である。辰之助は20代からの10年間で山岳俳句と訣別し
ている。生涯に渡って山の句を詠み続けていなければ、山岳俳人とはいいがたい。
 山岳俳句を生涯のテーマとして、主に戦後期から活躍したのが福田蓼汀である。
   秋風やいただき割れし燧岳    蓼汀
   岳更けて銀河激流となりにけり  蓼汀
 蓼汀の後をついで俳句会「山火」主宰となり、山岳俳句の一時代を築き現在も第一線にいるの
が岡田日郎である。
   万華鏡廻すごとくに囀れり    日郎
   豪雨止み山の裏まで星月夜   日郎
 日郎主宰の「山火」では、山についての俳句を中心に詠んでいる優れた俳人が輩出している。
   エベレスト見し夜ねむれず星月夜   大原雪山
   大花野雲影ところどころ濃く     中川忠治
   斑鳩まず鳴き叡山の夜明けかな    雨宮美智子
   水湛ふ池塘のへりに雛桜       石原栄子
 高浜虚子の弟子であった飯田蛇笏は山梨県出身で、この地に住み句作を続けた。山国であるの
で、多くの山の秀句も残している。     芋の露連山影をただしうす     蛇笏
蛇笏の主宰した「雲母」は子息の飯田龍太が継承した。龍太も多くの山の秀句を詠んでいる。
     雪山に春の夕焼滝をなす      龍太
「雲母」は終刊となり、「白露」の名で引き継がれている。現在の主宰者は、広瀬直人である。
直人も山梨の風土に根差した優れた山の句を残している。
     しんかんと山閃々竹落葉       直人
 私は「山火」に5年間所属し、写生に徹する作句姿勢や正確な描写しついて学んだ。作風の変
化を求めて、昨年、「山火」を去り、俳句会「白露」に入会した。「白露」では主観を交えた表
現も盛んに行われている。
 21世紀を向かえ新たな視点による写生と抒情の道が、山岳ルートのように新たな高みに向か
ってきり拓かれていかなくてはならない。


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