遊歩俳句(北海道〜鹿児島県)

俳誌「俳句界9月増刊号・遊歩俳句大会作品集」の掲載句から、各県ごとの目に付いた
数句を紹介します。一言の句評も書き加えました。

北海道

先見ゆるごとひたすらに蝸牛……..石坂寿凰
ゆっくとまっすぐ進んでいる。悟りを拓いている雰囲気である。

雪道に人それぞれの過去があり……..鹿又勉
人けはなく、一面真っ白。辛かった道に希望も点滅している。

羊蹄山を誇りに歩み卒業す……..湊元子
羊蹄山を仰ぎながら登校した日々。卒業後も何かにつけて、この山の姿が心の中に浮か
ぶことであろう。

青森県

奥入瀬の阿修羅ノ流れ涼を呼び……….平野好
段差から落下し白濁しながら流れ、淀みでは透明な水となる。混沌としていて清冽な情
景である。

岩手県

白靴の熔岩流を歩きけり……….高家卓範
岩手県の熔岩流といえば、岩手山焼走熔岩流である。真っ黒なコークス状の火山礫の帯
が中腹から裾野まで続いている。白靴とのコントラストが不気味だ。

夏霧を分けて比えいの山門に……….遠藤真沙子
「分けて」の措辞に、比叡山延暦寺の奥深さが窺がえる。

宮城県

雨池の山椒魚の歩むかな……….小林義明
雨池からは森に中の幽玄とした雰囲気が浮かぶ。そこをゆくりと、雰囲気に重なるよう
に山椒魚が歩いている。

秋田県

滝音に誘われ急ぐ紅葉道……….青澤直子
滝音には、どんな滝であろうと想像に掻き立てられる。紅葉となると一段と神々しさが
増しているはずだ。

山形県

恋愛論語りてあるく花の夜……….島田高志
普段は恋愛について語るような人ではないかもしれない。夜桜の幻想に誘われ、恋愛の
甘さ辛さを語りはじめたのであろう。
読みたい本が絶版になってしまっているのには参ります。次は何を読むべきかと迷って
います。

茨城県

夕凪や昭和の匂ふ路地歩く……….伊藤端則
路地というと簡素な昭和の風情がイメージされる。漬物か味噌汁の匂いがしてきそうで
ある。夕凪によりセピア色がイメージされる。

地下足袋の大地をしかっと祭かな……….小川照子
地下足袋ということに、古くからこの地は踏みしめられてきたことが感じられる。御輿
が目の前を、押し合いながら通り過ぎるところなのであろう。

栃木県

三日月の尖る寒さをつれ歩く………市川亮一
三日月からは荒涼とした寒さが連想される。しかし、つれ歩くとなると寒さに親しみが
感じられる。寒さに慣れた人なのであろう。

群馬県

新緑に身を染めたくて歩きけり………吉田三郎
森林浴という言葉がはやったことがある。今は珍しい言葉ではなくなった。そこであえ
て森林浴について述べたのかもしれない。

地図を手に社寺訪う京の街薄暑………小野三郎
薄暑は少し暑くなってきた初夏の頃である。このような時季に、京都の古風な町並みを
見学しながら歩きたいものである。

埼玉県

歩いても歩いても春の長崎坂ばかり………五郎丸直彦
春の長崎だから、坂道のしんどさも心地よいものになっているのであろう。

枯葉降る道なき道を歩みけり………浅川晴也
散る枯葉に瞑想へと誘われる。人生のあるべき道を探っているのかもしれない。

千葉県

夕凪に素足で歩く九十九里………前原貴正
自然のやわらかさとか、弾力をじかに味わっていることが分かります。九十九里浜の雄
大な景色や波音が、一層味わいを深くいしているのである。

出湯街歩く旅びと下駄の音………内山邦雄
温泉地というと下駄といえる。温泉地だから、下駄の音が聞こえる。温泉地だから、下
駄の音に耳を傾けるのである。

ななかまどにふれて月山行者径………高橋日出夫
七竈は高山帯では、這松とともに最も見掛ける潅木である。月山で七竈の径を歩いてい
るとき、行者の幻が見えたきた。「ふれて」により、現実味が出ている。七竈の少し繊
細な外見に、幽玄さが帯びてくる。

霧に揺れ言葉に揺れて歩きけり………時田眞作子
開けた稜線であろうか、または、針葉樹の森を歩いているときであろうか。霧が流れて
きて、その霧の流れは揺らめいている。話声もそれに呼応して、揺らめいてきた。霧の
流れに、ある種の気配を捉えている。

東京都

大股で歩くふるさと麦の秋………堤亜由美
故郷に帰った開放感からか、自然に包まれた安らぎからか、自ずと大股になっている。
周囲は一面、麦畑、所々には林がある。大股により心の弾みを表現している。

ひろがりて海べを歩く遍路かな………岸嘉一
遍路路というと、田園の道や山道が浮かぶ。海辺に出たとなると、これまでとは違う広
いスペースを、思い思いに歩きはじめる。遍路も旅であり、旅の自在さがそこにある。

一燈もなき道を行く近松忌………柴田幸子
近松門左衛門の浄瑠璃は、心中の悲恋ストーリーである。まさに一燈もなき道であり、
それでも歩かなくてはならない。

木の根道鞍馬の山の紅葉踏み………栗山さよ子
鞍馬山の木漏れ日の続く山径。紅葉を踏むことに義経の悲劇が、伝わってくるのであ
る。「の」の連続したリズムに、悲劇だけではなく、義経伝説の奇想天外な明るさも伝
わってくる。

団体に譲る木道夏の尾瀬………栗山雅子
団体に道を譲っている光景が、広々とした尾瀬ヶ原なので遠くからも見えている。

雨降らば雨また楽し青葉径………斉藤破風
苔生している森の道などでは、雨ならではのしっとりとした煌きがある。

神奈川県

この道でよしと決めたる青林檎………北嶋正子
林檎畑の道に迷ったわけではない。これからどうやっていこうか、といったことで決断
したとき、その自信や雑念からの開放が青林檎で象徴されている。

歩まねば果てぬ一日青葉木菟………山田知沙
一日歩いた夜、青葉木菟がホーホーと啼き出す。一日歩いたという単純なことに、充実
感が湧いてくる。

歩くこと芭蕉に負けず冬景色………樋口孝
歩くことだけではなく、人生の探求を目指すといった心構えと取れる。そんな心意気
が、冬景色を凛としたものにしている。

枯山路あとから来しはイラン人………前川整洋
奥秩父の金峰山から甲武信岳への縦走路は、針葉樹林の中をえんえんと歩く。11月、
一人だけの縦走路で、後ろから誰かが足早にやって来た。追いついてきた外人青年は、
イランからと言っていた。

追記:ここまでの歩くテーマの俳句を振り返って
 ここまでの歩く俳句全般にいえることは、写生句ではなく、思想句といったものが多
く見受けられました。思想的決意と季語の取り合わせの妙味が、句に存在感を与えてい
ます。思想句のような抽象的な句を最初から狙うと、作為的であったり、観念的であっ
たり、独善的であったり、に陥ることになります。思想句であっても、写生の延長であ
るのが俳句の正統法といえます。
 歩くテーマと表裏一体である写生句については、歩いているから、歩いていたからこ
そ捉えられる風景、光景が多く詠まれていました。

新潟県

歩くだけ向こうに延びて天の川………七沢実雄
歩いても歩いても天の川は先へ先へと続いている。当たり前のことを言っている。しか
しながら、夜の山で天の川を見上げることはしばしばあるが、見上げながら歩くことは
まず無い。川原であろうか、なかなか体験できない一場面である。

富山県

人生に道草もあり葱坊主………林武司
モーレツ社員という言葉が流行した時代もあった。そのときは葱坊主には、誰も振り向
かなかった。

石川県

歩くほど広がる世界雲の峰………山形紗和代
「広がる世界」は少々オーバーであるが、それも詩ならではの世界なのである。一歩一
歩雲の峰に近づいている。作者も大きくなっているように感じているのだ。雲の峰でな
くとも、表銀座や裏銀座縦走路で槍ヶ岳に近づいているとき、あるいは大雪山縦走路で
トムラウシ山に近づいているときも、そんな気分を味わうことになる。

福井県

万葉の牡丹の名札見て歩く………一島保子
万葉に因んだ名とは、おおらかでしっとりしたものであろう。その名からも、その花を
よりよく知ろうとしているのである。何気ない行為を一句に留めている。

山梨県

杜の道だずねそこかし蝶の舞………清水保夫
杜は神社の森である。森の中で、たくさんの蝶に出会ったとはフィクションじみてい
る。が、神社の森だらら、蝶の舞が見られると思いたい。

静岡県

青田風歩るく速さにて流る………山田幸次郎
「歩く速さ」の風とは、追風でしかもそよ風であろう。吹いているかいないかの風は、
青田のわずかな揺れではっきりと認識できる。

愛知県

初つばめ歩く先々転回す………伊井松美
幾度となく燕が、鋭角をなし方向を変えている。その躍動感は春の表れであり、心が弾
んでくるのである。

木漏日の斑背負い歩く登山道………榊原幸江
先を行く登山者が、木漏日を浴びながら歩いている。メルヘンの中へと入り込んで行
く。

岐阜県

桜まで桜くぐって坂の道………奥田智弘
坂道の桜は、上にも下にも花が見渡せ、平地の桜より豪華なはずだ。

三重県

蜻蛉の後先となる野辺歩き………三澤かずみ
宙を切るように飛ぶ、鋭い蜻蛉の飛行が目に見えてくるように描かれている。

伊勢参り「夢」という名の友つれて………山本猫参
祈願することがあっての伊勢参りだったかもしれない。由緒ある有名な神社であること
だけでなく、その風光に触れて、「夢」を抱いていることへの高揚があったのであろ
う。

滋賀県

銀河濃し賢治を歩きたくなって………村井安雄
天の川は出ていなかったかもしれない。童話『銀河鉄道の夜』からも窺えるように、宮
沢賢治の思想は宇宙、さらには四次元世界を背景としている。そんな賢治の思いに引き
込まれているのである。

京都府

竹林の隙間に沈む陽は涼し………小南和也
冬であれば「竹林の隙間」により淋しさが強調されることになる。夏だから優雅で涼し
い景をなしている。

大阪府

ギター弾き歩く男や巴里祭………三木蒼生
パリの通り、ギターを弾きながら男が歩いている。当たり前の景であるともいえるが、
パリの雅でドラマチックな風情が、ギターの男で浮かんでくる。

論じ合う哲学の道朧月………岩崎いち子
哲学は論じるほどに結論はぼやけてくるものだ。そこに朧月に通じる哲学の味わいがあ
る。

衣更えして釈迦堂の行き戻り………中田達男
願いことがあって釈迦堂に行ったのではないと思われる。気分転換とか、いつもの習慣
での軽い気持ちからの釈迦堂参りである。青葉の雑木が点在する一角にあるのであろ
う。

兵庫県

南朝の悲史を背負って花の道………船辺隆雄
吉野の桜の名所としてとりわけ有名である。が、ここは南朝の御所があった場所であ
る。散る桜の哀れさに、歴史的のことも重なってくるのである。

家の灯を映しにぎわう夜の水田………田中那都子
田園の夜は淋しいものである。田圃に住宅が迫っているのであろうか、水田に家々の灯
かりが映っている。ほのぼのとしたメルヘンチックな賑わいである。

殴る雪蹴散らすように売る駅伝………たまじゅういち
商をしている人々の心意気が伝わってくる一句である。「殴る」と「蹴散らす」の対比
に妙味がある。

奈良県

東大寺裏を歩いて春の星………栗原加実
東大寺は大仏殿の他にも、多くの伽藍がある。東大寺裏手も伽藍と伽藍に挟まれた小道
であったよに記憶している。そんな道から仰ぐ春星は、優雅であり趣深い。

和歌山県

大阪駅枝つき蜜柑持ち歩く………矢田利治
大阪は人情味が厚いといわれている。そんは情緒が伝わってくる一場面である。

鳥取県

風薫る蛙賛歌の田植えかな………国野暢鬼
季重なりであるが、「田植え」が季語である。蛙の合唱は、田植え作業を応援している
かのよに響いている。

島根県

わらび取りひたすら歩くリュックかな………富田良治
蕨が採れずに山道をひたすら歩いている。虚しさの後に、澄きった秋の日差しの中を一
日歩いた満足感が湧いてきているのである。

山口県

春風や子山羊跳ねたり走ったり………栗田正俊
動きをよく観察した一句である。子山羊の元気のよさが生き生きと描かれている。

徳島県

炎天を来て石室の闇にゐる………椎野千代子
炎天から石室へ入った瞬間、さぞひんやりとしたことか。それを闇と表現した。闇とは
一切を断ち切るといったことなのだ。

「渦の道」硝子直下に春の潮………片岡康雄
四国連絡橋の歩くコースに、海を覗けるガラス窓があるのを、テレビニュースで見たこ
とがある。渦が目の前であるかのように見えているのであろう。春の潮で、荒々しさよ
り渦のさまざまな変化の妙味が見られる。

香川県

どっかりと話し広ごる遍路宿………丸井幸子
「どっかりと」の措辞に、遍路で一日歩き了えた安堵感と充実感が表現されている。

愛媛県

葉桜を歩みて句碑あり千光寺………日和佐弥生
葉桜の哀愁を帯びた斑色、どこか俳句に通じている。千光寺はそう大きなお寺ではなさ
そうだ。

高知県

日傘児にさしかけ母といふ歩み………橋本昭和
父母、子供、孫といった語の句は、類型句が多い。しかしながら、この句は表現に新鮮
味がある。「母といふ歩み」から、子供に歩調を合わせて歩いている母が浮かんでく
る。

福岡県

時雨忌や言葉を貰うまで歩く………松本隆吉
時雨は初冬にしとしとと降る雨である。時雨忌は芭蕉の忌日である。句の素材に出会う
こともなく歩いている。芭蕉の境地を顧みつつ歩いている。

歩く日も駆ける日もあり樟若葉………吉原伯明
通学か通勤の場面である。年をとってくると、遅れそうでも走らなくなる。樟若葉に
若々しさ表わされている。

佐賀県

春の風あるく棚田や幾何模様………徳永潤子
幾何学模様というには、何らかの規則性ななくてはならない。畦の曲線と棚田の大小の
リズムが表現されている。

喫茶室常備の山の本は、写真集が大半とも思われますが、芥川賞について考えるのも有
意義と思われます。

長崎県

丁字路の多き城下の桜狩………石山敏郎
丁字路が独特な景を醸している。優雅な日本画を見ているようである。

大分県

山開き急ぎて歩く山の道………西山正之
山開きに私は参加しとことはない。大勢人がいると、われ先にで急ぐのか、お祭り気分
で急ぐのか、分からないが、山開き雰囲気が表現されている。

宮崎県

蛍狩少年宙を歩みをり………岩下悦子
飛行している蛍を追っている少年は、今にも一緒に飛びだしそうである。

熊本県

心字池温む二の橋三の橋………松下美奈子
「心字」から開けた所にある池と思う。橋を渡るたびに、春の到来が感じられたのだ。

鹿児島県

歩く度若葉の蔭や背を流れ………前山利英
歩くいていると、前方の人の背が絶えず視界に入る。背の木漏日は、模様を変えながら
映り続けている。

沖縄県

下馬の碑に歩む蛍となりにけり………間可采
下馬は、社寺の境内・貴人の門前などで敬意を表して馬から下りること、を意味してい
ることから、由緒ある建造物があった所なのであろう。「歩む蛍」とは、ゆっくり飛ん
でいる蛍を表わしている。意外な表現が、幻想感を一段と高かめている。

追記:全体を通しての感想
 歩くテーマの俳句について句評を綴ってきました。いろいろな経験が甦り、意外と行
き詰ることなく沖縄までやって来ました。句評するにあたり、過去の経験および蓄積し
た知識を、句の内容といかに照らし合わせるかということが鍵であるようでした。
 入選句の非常の少ない都道府県もあり、選句に苦労したこともありました。人口の多
い方の都道府県が、入選句が多く見えますが、一概にそう言えないようです。大都会の
ある地域の方が、人口の多いからということを超えた入選句の多さがありました。歩く
場所のない地域ほど、歩くことに生きがいを見出そうとする姿勢が強いのかもしれませ
ん。