旧掲示板(本掲示板は書込み不可です。新掲示板をご利用下さい。)

[記事表示に戻る]

◇-西上州・角落山の俳句-前川整洋(11/15-17:15)No.103


トップに戻る
103西上州・角落山の俳句前川整洋 E-mail 11/15-17:15

YAHOO掲示板>スポーツ>アウトドア>ウォーキング、トレッキング>山ハイ
http://messages.yahoo.co.jp/
fukuさんこと福澤さんのYAHOO掲示板投句と「遊歩俳句大会」作品埼玉県の
句の類句説を紹介します。

@氏子等の清掃山行神の留守 ………… 福山人
A尾根径に雨具の列や初時雨 ………… 福山人
Bさくさくと落葉絨毯女坂 ……………… 福山人
Cしほりにと拾いて挿む紅葉の葉 …… 福山人
D舞ひ落葉徳利持込む露天風呂 ……… 福山人

先日、西上州の角落山から帰って来て作りました。
@ は“陰暦神無月”と“鬼の角”とに掛けて作りました。
A この処の雨を引っ掛けて作りました。
B は角落山の女坂を通ったので作りました。でも女坂とは云え、大小の石と
落葉絨毯では、これに雪が積もると決して安心なコースとは思えませんでし
た。
“さくさくと”と云う形容表現にに一寸主観表現?の疑問が残ってます。
C はありきたり過ぎて、重み?が無い句だと自ら思ってます。ひねりが足り
ない?
D は湯と酒の好きな人を思い出して作りました。現に湯殿の入り口で酒を売
っている湯宿も有りますね。

Shikinoyama(私のハンドル名)さん、いつもご指導有難う御座います。
ご披露頂いている「遊歩俳句大会作品集」ですが、埼玉の
歩いても歩いても春の長崎坂ばかり ……… 五郎丸直彦
山頭火の“わけいってもわけいっても……”が頭から抜けません。
類句みたいに感じちゃいました。
上5が10文字なのでやはり自由律となるのでしょうか?
ビギナーには、やはり有季定型の方が馴染めますね。

fukuさんの掲句は、いい感じでできていると思いました。しかし、3句目以
外はもう一息です。
1句目の神の留守は、直接的すぎます。神無月は一般的な季語ですが、こち
らの方が無難です。山行は字余りなので、登山にしました。
2句目の雨の列だけで登山者も描くのは少々無理なようで、また動きが感じ
られず、貼り絵のようでもあります。
3句目は佳句になっていますが、落葉と絨毯が切れないようにしました。
「さくさくと」は共感が得られるので、主観客観の問題はないと思います。
4句目は類句が多いので、もう少し具体的にしました。
5句目の「持ち込む」は「酌む」と具体的にしました。

@氏子等の清掃登山神無月
A登山者の雨具の列や初時雨
Bさくさくと落葉の絨毯女坂
C栞にと真っ赤な紅葉拾いけり
D 徳利で酌む露天風呂落葉舞ふ

歩いても歩いても春の長崎坂ばかり ……… 五郎丸直彦
分け入っても分け入っても青い山………….  山頭火

fukuさんの鋭い指摘のように、とりわけリズムから訴えてくるものは同じと
もとれます。山頭火の句は、長谷川龍生先生の句評によると、「一般的には
自然の大きさを言っていると思われているが、植林の山が続き、人間社会か
ら逃れられないことを言っている」と、いうことです。この解釈に照らす
と、「歩いても歩いても」坂から逃れられないことになります。その点同じ
と考えられます。しかし、「分け入って」は新境地を切り拓こうという意思
があり、「歩いて」は街を見学し、何かを得ようとしている、ととれます。
大枠は同じで、中身にはずれがあります。五七五の解釈は、読者のスタンス
からも違ってくるようです。


[記事検索] [カスタマイズ] [記事管理] [過去の記事] [トップへ]