◇-詩集『カムイエト岬』より-前川整洋(12/23-21:03)No.169
169 | 詩集『カムイエト岬』より | 前川整洋 E-mail | 12/23-21:03 |
現代詩創作集団「地球」同人のささきひろし氏から詩集『カムイエト岬』 (柳桃社 2004年)をお送り頂きました。ささきさんは「地球」の大会 や研究会で幹事をされていて、「地球」の運営を担っています。 『カムイエト岬』から3篇紹介します。 烏賊(いか) 「キュッ キュッ」 烏賊が鳴く 釣り上げられた瞬間 故郷の海に跳ね返る 小さな生命の叫び 水晶のように透き通った肌 斑点はプリズムのように 光を屈折させ 虹色に輝き やがて赤味を帯びる 生きている宝石のようだ 鮮魚コーナーに並ぶ 乳白色の烏賊のパックを見ると 記憶の波間に 兄のイカ釣り漁船が浮かぶ 耳の奥に響く故郷の波の音 「キュッ キュッ」 今夏も烏賊は鳴いているだろうか 集魚灯の光に誘われ 擬餌針に釣り上げられた 産卵前の生命の叫びを ゆらめく漁火に軋ませて ふるさとの川 ふるさとの暑寒別川に 季節はずれの鮭が遡上する 暑寒別岳は すでに冠雪 ひゃこい水が流れ なつかしいその匂いに 鮭は勢いづく 急下降するセグロカモメの群れ 浅瀬の鮭の群れを襲う 本流を遡れない鮭は 岸辺のゆるやかな流れに 疲れ切った身をまかせる ハシブトカラスの群れが 傷だらけの鮭を狙っている おこぼれにあずかる雀たち やがて産卵も叶わず 力つきた鮭は まだらな白い腹を浮かべる 川原には散乱した鮭の骨が 竹ぐしのように 吹き晒しの川風に揺れている 上流にたどりついた鮭も ヒグマが待っているのだ だが ふるさとの 母なる川は 何ごともなかったように ゆったりと 流れつづける 駅 木枯らしの吹く横浜駅ホームに立ち 埼玉までの通勤電車を待つ間 鈍く光るレールの先をたどる 青函トンネルをくぐり 石狩平野を抜け 鉛色の日本海にでると 白波立つ海岸線がつづく 彼方にかすむ岬に向かって走ると 留萌本線終着駅 増毛(ましけ) そこが私のふるさとの駅だ かつて鰊漁で栄えた駅 ヤン衆や行商人で賑わい 鰊を運ぶ蒸気機関車が力強く 白い煙をたなびかせていた いつしか幻の魚と共に煙も消える 三十数年前の私の始発駅 磯の香りを胸いっぱいに吸い込み 見送りの父母の姿を心に刻むと 飛び交うカモメの鳴き声が 学生服姿の私の出立を急きたてた ―身体に気をつけ しっかり勉強するんだよ 今でも暗闇のレールの彼方から 心に響いてくる亡き母の声 こみ上げるふるさとへの思いを 胸に押し込め すべり込んで来た 重苦しい満員電車に ひとり 身を細める 簡単に詩評を述べておきます。 鮮明な描写とともに、作者の思想的感慨が表現されている。 「烏賊」では、釣り上げられた烏賊が、宝石の煌きを見せていることを克明 に描出している。マーケットに並ぶ烏賊のパックに、烏賊の煌きとともにさ まざまなことが想い出される。「キュッ キュッ」と鳴く烏賊と漁師との生 き残りの戦いは、果てしなく続く。 「ふるさとの川」では、ふるさとの暑寒川に鮭が遡上する様子が、具体的 に書かれている。そこは生命の闘争の場でもある。ゆったりと流れる川は、 自然の摂理とか原理のあり様を象徴しているのであろう。 「駅」は埼玉文学賞の受賞詩とのことである。この詩の書き出しの「鈍く 光るレール」に、辿ってきた人生の光と影が彷彿してくる。作者のふるさと は、北海道の日本海側にある増毛である。鰊漁とともに栄え衰退した町だ。 増毛駅で両親に見送られ、東京の生活へと旅立った。満員の通勤電車に乗っ たときの、都会生活のやるせな、味気なさが伝わってくる。 |