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タイトル: 詩集『瞼を彩りて消えず』
投稿者 : 前川整洋Locked!

URL   : 未登録
登録時間:2006年7月13日20時24分
本文:
現代詩創作集団「地球」同人の浪本琢夫氏から詩集『瞼(まなうら)を彩り
て消えず』(能楽書林、2006年)をお送り頂きました。浪本さんは詩誌
『地球』にいつも能をテーマにした詩を掲載されています。今回の詩集も能
をテーマにした詩が8割くらいを占めているようです。
 能については、私もそうなのですが、知らない方が多いと思われるので、
簡単に書いておきます。
 能の物語の最も一般的なパターンは、死者が甦ってきて現世での苦しみを
語る、語る相手は旅僧が多いようです。創作劇はほとんどなく、『源氏物
語』、『平家物語』、『伊勢物語』を典拠としています。
浪本さんは趣味として能に凝っている方と思っていましたが、詩集の略歴
に、観世流能楽師範とありました。神楽は民衆芸能ですが、能の高度な技と
なるとプロに限られたことと思っていましたが、そうではないようで、驚き
ました。私は能については少し本を読んで知っている程度です。
 『瞼を彩りて消えず』から2篇紹介します。

     弱法師(よろぼうし)

《満目青山心にあり》
寂び寂びと父親(わき)は登場した
難波の天王寺
如月、梅が咲き匂う

盲目の少年弱法師、杖を突いて揚幕に寄りかかる
夜昼の区別つかぬ
三ノ松に立ち尽くして
見えぬ目に春の海を見
音を聞く
石の鳥居まで橋懸は長い
杖を左に突き 右に叩き行く
木に花匂う天王寺に、杖でさぐり着き
袖を広げて散る花びらを集めた

鐘の響きに面を俯け
扇で空を切り
さし回して須磨・明石を眺め
扇を胸に当て満目青山を籠めた
長柄の橋を行き交い
貴賎にぶつかり
転(まろ)び
よろよろとつまずき
またも歩み行く


平等院の秋

池の水は澱んで
秋空を沈めている
源融(とおる)の
昔語りも沈んで
岸に沿って歩く私の足先から
小石が少しずつ
ずり落ちてゆく
京の河原の院の汐汲(しおくみ)には
うす暗い檜の舞台を
からころと転がる釣瓶の音が走り

夢さめて 風を聞(か)げば
目の前は昼の秋
歴史の鵄尾(しび)は空高く瓦を踏み
紅葉の秋をばら撒きつつ瓦の波を空に押し返した


 簡単に詩評を述べておきます。
 作者が能に精通しているからと思われるが、能についての詩は、ストーリ
ーの一場面をオーソドックスに表現している詩が多いようい思えた。能自体
が詩的表現形式をとっていて、それをさらに詩で著していることになる。能
以外の詩のほうが、詩的飛躍に溢れているようだった。日常の見慣れたよう
な風景を、詩の場面へと変転させている。
弱法師は少年の法師で、親との再会のドラマである。目は見えないものを、
気配や辺りの様子で、景色を感じたりイメージしたりして歩いている。弱法
師の「弱」は、見かけのことで、内面はしっかりしているということなので
あろう。
 「平等院の秋」にある汐汲は、能の「松風」を題材とした歌舞伎舞踊と辞
書には書いてあった。平等院に能舞台があるのか、イメージで出てきている
のか。どちらにしても能と平等院とは、その重厚な妙趣が重なり合ってい
る。最終連は巧みな表現で、歴史の重さを浮き彫りにしている。

「弱法師」を拝読して一句思いつきました。

   梅雨空によろけ倒れず弱法師


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