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◇-俳人・飯田龍太逝去-前川整洋(3/3-13:48)No.267


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267俳人・飯田龍太逝去前川整洋 3/3-13:48

現代俳句の第一人者、飯田龍太さんが死去(読売新聞HPより)
現代俳句の第一人者で、山村の風物を鋭敏な感覚でとらえた俳人の飯田龍太
(いいだ・りゅうた)さんが、25日午後8時35分、肺炎のため甲府市内
の病院で死去した。  
86歳だった。告別式は3月6日午後1時、同市南口町1の29アピオセレ
モニーホール天昇殿。自宅は山梨県笛吹市境川町小黒坂270。喪主は長
男、秀實(ひでみ)さん。
 俳人・飯田蛇笏(だこつ)の四男として同県旧境川村に生まれた。国学院
大学国文科に進み俳句を始め、戦後は蛇笏が主宰する俳誌「雲母(うん
も)」の編集に携わった。30歳の時の句「紺絣(こんがすり)春月重く出
でしかな」が称賛され、1954年に第1句集「百戸の谿(たに)」を刊
行、甲斐の自然に深く根ざした清潔、孤高の句風を確立した。代表句に「一
月の川一月の谷の中」。
62年、父の死去にともない「雲母」主宰を継承。92年、同誌を通算90
0号で終刊した後は、俳壇の第一線を退いた。57年、現代俳句協会賞。6
9年、句集「忘音」で読売文学賞。81年に日本芸術院賞恩賜賞。83年紫
綬褒章。84年から日本芸術院会員。句集に「童眸(どうぼう)」「麓(ふ
もと)の人」「山の木」「遲速」など。2005年に全10巻の全集が刊行
された。
(2007年2月27日21時43分 読売新聞)

飯田龍太先生の俳句会「雲母」を引き継いだのが、私が所属する俳句会「白
露」です。先生はNHK俳壇やNHK学園の講師もされていとことから、私もいろ
いろ勉強させて頂きました。登山はされなかったようですが、南アルプス山
麓に住まわれていて、山の名句も多く残されています。龍太俳句は、平明そ
うな表現に、象徴性が強く難解な句が多いという印象をもっています。代表
句に次の句があります。
山河はや冬かがやきて位につけり
一月の川一月の谷の中
雪山に春の夕焼け瀧をなす
雪の峰しづかに春ののぼりゆく
暑き餉や田に山脈の腕ひらく
夏川のみどりはしりて林檎の國
秋嶽ののび極まりてとどまれり

私も哀悼の句を作りました。
龍太逝く山の満作まだ散らず
音たてず来る春雪崩龍太逝く
                         合掌


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