413 | 「白露7月号」の山の俳句 | 前川整洋 | 7/6-07:42 |
梅雨真っ盛りで、連日のように雨ですが、歩行距離の長い通勤を気合をいれて歩い ています。他方、夏山登山の訓練にもなると思うと、自ずから力がはいります。温 暖化の影響もあるのか、一昨年、昨年と、夏山では天候に恵まれました。 月山を真向かひにして斑雪 日野 廣瀬悦哉 周知のように月山は独立峰なので、「真向かひ」で鮮明にイメージが湧く。この表 現には、霊山の趣きも含まれているのであろう。 浮きさうな嶺の連なり遅桜 山梨 長田群青 「浮きさうな嶺」と抑えた表現が、むしろ横雲がかかっている、南アルプスであろ う連峰を浮かび上がらせている。遅桜が景観を和らいだものにしている。 しづくして落葉松の芽のひとつひとつ 東京 柳田洋美 北原白秋の「落葉松林」での哀愁をおびた世界が想起されてくる。白秋の詩が大景 であるのに対して、繊細な一こまといえよう。 |
412 | 明治神宮の菖蒲園 | 前川整洋 | 7/6-07:30 |
6月20日に明治神宮の菖蒲園に行ってきました。ほとんど毎年、俳句を作るため に来ていますが、天候の違いもあり、来るごとに違いが感じられます。今年は睡蓮 がまったくなく、池は殺風景で、どうしたのかと思ったら、門を出るとき、全部枯 死したとはり紙がありました。 おもむろに光をはらい白菖蒲 紫と白の落ち着き菖蒲園 |
411 | お久しぶりです | 前川整洋 | 7/5-20:42 |
記事番号410へのコメント 近藤さん、お久しぶりです。近藤さんの蕨狩りのミステリー小説を文藝学校 で合評したことを覚えています。横浜文学学校のリンクは、新サイトのアド レスに書き換えさせていただきます。 |
410 | 横浜文学学校のリンクについて | 近藤 E-mail | 7/3-01:36 |
横浜文学学校の新しいホームページ担当の近藤と申します。 現在公式ホームページの移転作業中なのですが、新しいサイトへ移行するに 当たって、リンクを整理するために生徒個人のサイトやブログは掲載しな い、と運営委員会で決まりました。 ですのでお手数ですが、こちらからのリンクもはずしていただけるようにお 願いします。(ご好意でリンクを続けていただけるのはもちろんかまいませ ん) 現在作業中の新サイトのアドレスは以下になります。 http://www016.upp.so-net.ne.jp/index/ もしよろしければまたお暇な時にでもよこぶんにいらしてください。(ちな みに、前川さんとはまだ東中野にあった時の文芸学校でお会いしたことがあ ります。坊主頭だったやつです) それではよろしくお願いします。 |
409 | 「白露6月号」の山の俳句 | 前川整洋 | 6/14-09:19 |
6月中旬から梅雨入りとなりますが、その前頃から山は靄にかすむことが多 くなります。靄も霞も気象現象としては同じですが、霞の方が冷ややかな感 じがします。 定住の山の分厚し初つばめ 関 清水青風 「分厚し」は、住んでいる地域の山への愛着があっての表現であろう。「初 つばめ」にはまんねり化した気分への気合のようなことが感じられる。 屈強の山々に雪涅槃像 甲府 井上康明 周知のことであるが、「涅槃」は仏陀の入滅のこと。涅槃像には安らぎが感 じられるが、「屈強の」と言い出している。残雪の山々なのであろう、残雪 の山のまろやかさである。 白椿山ことごとく靄がくれ 神奈川 真知田真由美 靄で空があるだけのところに白椿。凛とした姿がイメージできる。「靄がく れ」と擬人法を用いているが、山は春の眠気にあるのでろう。 |
408 | 天城山 | 前川整洋 | 5/6-11:03 |
平成21年 4月30〜5月1日 天城山というと小説『伊豆の踊り子』がイメージされるますが、伊豆半島を 東西に44キロにわたる山脈の総称で、天城峠から天城高原までの17キロ が天城縦走路です。 高校のとき一度ここを歩いていますが、曇天だったので展望は知りません でした。今回は旧天城トンネルからではなく、踊り子文学碑から歩きまし た。晴天でしたが、このコースはほとんど展望はなかったのは意外でした。 しかしながら、ブナ、ヒメシャラ、アセビなどの明るい森は満喫できまし た。 コース: 修繕寺 = 浄蓮の滝 = 昭和の森会館〜 滑沢渓谷 = 天城トンネ ル 〜 旧天城トンネル 〜 二階滝 = 水垂 〜 河津七滝 〜 七 滝温泉(泊)= 水生地下 = 踊り子文学碑 〜 八丁池 〜 戸塚峠 〜 小峰 〜 万三郎岳 〜 万二郎岳 〜 天城高原ゴルフ場 = 伊東 前日は浄蓮の滝に立ち寄ったり、河津七滝巡りをした。道路から狭い舗装 路を下ったところに浄蓮の滝はあったが、一気に歌謡曲の世界に飛びこんだ ような雰囲気だった。 浄蓮の滝に一途さ春深かし 河津七滝は釜滝、蝦滝、蛇滝、初景滝、蟹滝、出合滝、大滝といろいろな パターンの滝を鑑賞できた。大滝の降り口にある天城荘に泊まった。 翌朝は6時にタクシーで出発、天城トンネルを抜け、水生地下から林道に 入り、踊り子文学碑で下車した。道に面した一画に川端康成のレリーフ入り の文学碑があった。小説の雰囲気に浸ってから歩き出す。林道のT字路を左 に行き、少し登ってから水生地下道の山道に入っった。杉林から登るにつれ て檜林に変わる。明るいブナの森となってから旧旧天城トンネルからの道と 合流する。8時21分、八丁池トイレ棟に着く。見晴台への道があり、2分 ほどで鉄骨製の見晴台に着く。八丁池や天城縦走路の稜線、河津それに反対 側の土肥方面の海、富士山などが見わたせた。トイレ棟に戻ってひと下りで 八丁池についた。 四阿があった。ここにかつて山小屋があった場所で、以前来たときはそこ に泊まったのであるが、環境保護のためであろう、いまはない。ここからの 八丁池には見覚えがあった。 山腹を捲く平坦な道を行く。辺りはブナ、ヒメシャラ、潅木の森。9時4 0分、白田峠で軽食をとる。さらに平坦な道を進み戸塚峠に着く。ここから は急坂を登り小峰に着く。さらにもうひと登りで、11時25分、万三郎岳 (1406m)に着いた。登山者でいっぱいであった。 潅木林の一箇所に切れ間があり、そこから駿河湾と富士山が見えた。昼食 をとってから山頂をあとにする。 上空に富士豆桜咲く山頂 急坂を下り石楠立(はなだて)に下り、そこから登り返す。平坦地になっ てから「アシビのトンネル」を抜ける。ほどよく明るく清楚な風趣がある。 下りとなって、潅木の切れ間から万二郎岳と熱川方面の海が見えた。登り返 して、12時25分、万二郎岳(1300m)に着く。潅木のなかの山頂だ った。のんびりしてから、12時52分、天城高原ゴルフ場へと山頂をあと にした。 万二郎万三郎岳立夏 |
407 | 「白露5月号」の山の俳句 | 前川整洋 | 5/4-16:31 |
ゴールデンウイークは4月30日から二泊で天城山縦走をしてきましたが、 連日晴天でした。とりわけ登山での晴天は、代えがたい恵みです。寒くも無 く、暑くも無く、登山日和でした。 鶯や渓へ分かるる小田の畦 富山 木田敦子 「分かるる」で絵画的なイメージが鮮明となり、鶯の鳴き声が加わり、まさ に春の味わいとなっている。 桑ほどくころか遠嶺のむらさきは 岡山 笹井愛 「遠嶺のむらさきは」は、空気の澄んだ秋にしばしば見る景であるが、掲句 からは寒さを感じる春の日もこのような遠嶺が見られる、ということであ る。 紅梅やこまやかに降る山の雨 金沢 山上薫 小雨のなかの梅は、メルヘンティックであるが、山であることでそのことが 強調されている。 春の雷島山の肩ゆるびたる 西宮 松野美津子 春の雷で山の稜線も強張って見えそうであるが、それが島となると掲句の趣 となるのであろう。 |
406 | 「明日の神話」 | 前川整洋 | 4/21-21:17 |
岡本太郎の「明日の神話」は、渋谷駅の地下鉄通路に展示されていると思っ ていましたが、4月19日(日)、地下通路の警備員に尋ねたら、地上の井 の頭線駅の通路のあるとのことでした。現場に着くと数組の人たちが眺めて いました。岡本太郎自身は、ピカソを超えたと言っていますが、なるほど作 品の規模は越えていました。構成美でも越えているともいえます。ピカソ的 な雰囲気も感じられました。これからもたびたび訪れるつもりです。 花すぎて「明日の神話」に佇めり |
405 | 研究所40年の歴史に幕 | 前川整洋 | 4/21-20:44 |
勤務していた研究所が経費節減のため解体となり、4月からもとの会社に戻 りました。勤務先が無くなるという悲哀の直撃を受けました。研究所のあっ た建物に残って同じ仕事をつづけていますが、原理から積み上げて新技術を 開発して行く機関の消滅は、思想哲学が失われた観があります。 研究所無くなることも桜散る |
404 | 桜の近況 | 前川整洋 | 3/29-08:24 |
暖冬だったのに春先は寒い日が多く、自宅近くの水路沿いの桜並木はまだ三 分咲きにもなっていません。俳句も作らなくてはと、句を考えました。 まだ蕾みだらけのそこに花の雨 小豆色の蕾にそつと花の雨 |