255 | 時雨どき | 前川整洋 | 12/3-20:09 |
時雨は初冬の雨で、芭蕉の次の名句が浮かびます。 初時雨猿も小蓑を欲しげなり 今年も12月に入り冬の雨の時季となりました。北国では雪となっていま す。冬の雨と時雨の句を作りました。 冬の雨円空仏にうす灯かり 時雨てもなお木喰の像笑ふ |
254 | 「仏像 一木にこめられた祈り」展の再考 | 前川整洋 | 11/25-20:42 |
横浜文学学校のKさんからの宮原昭夫小説集オリジナル年賀状発売の連絡メー ルに、「仏像 一木にこめられた祈り」展の私の書き込みに対し、「一木彫 の展示なので、木像全般や仏像全般の話とはそのままでは結びつかないので は?」とのコメントがありました。 そう言われると、私の書き込みは、「仏像 一木にこめられた祈り」展で の感想であって、木像全般を言ったものではなく、少々思慮には欠けていま した。 半年前の 「最澄と天台の国宝展」では、感銘を受けた木像が幾つかあり ました。その中に、天台大師像(愛知・瀧山寺)、伝教大師像(滋賀・観音 寺)や聖観音菩薩像(滋賀・延暦寺)がありました。木の素地が出ているも のは、人の姿かそれに近いものがイメージに陶酔できるようです。聖観音菩 薩像も、観音像としては最も人間に近い姿をしています。ビーナスが彷彿し てくるような像です。 木像であっても彩色や漆箔されていれば、金銅仏と容易には見分けられま せん。如来像や千手観音像は金色や金属的黒光りしていた方が、宗教上の説 得力は大きいようです。 「仏像 一木にこめられた祈り」展では円空と木喰の仏像が、期待通りの 素晴らしさでした。仏教というより木のアニミズムともいえそうです。 |
253 | 地球の詩祭2006 | 前川整洋 | 11/19-21:27 |
11月18日(土)、さいたま新都心・ラフレさいたまで開催された地球社 主催の「地球の詩祭2006」に参加しました。次の催しがありました。 第1部 第31回地球賞贈呈式 選考経過報告 受賞作は倉橋健一氏の詩集『化身』 (1)尾花仙朔氏の選考感想 『化身』は次のことで優れていた。 ・ スケールの大きさー多角的 ・ 技巧―寓話性 ・ 品格―男性のロマン 麻生直子氏の『足形のレリーフ』については、素材の把握が明確になされて いて、透徹した文明観が示されていた。 (2)長谷川龍生氏の「倉橋健一の詩の世界」 終末観を見すえている。日常から非日常、そこから日常への回帰がなされて いる。非日常の壁を打ち破り、日常へと戻ってくる。21世紀にも生きてい ける詩の言葉である。 第2部 日本の詩はどう歩んできたかー20世紀から21世紀へー 石原武氏の司会で進行する。 伊藤桂一氏 :昭和10年頃から詩を書きはじめる。現代詩を読んでくれる 層が少ない。生きる意味の伝達性が重要である。 新川和江氏 :七五調だと軍国調になるので、五七調で書いた詩を西条八十 先生に見ていただいた。はじめは恋愛詩を書いていたが、「地球」同人とな ってから作風が変わった。木原孝一さんには恋愛詩でも宇宙に通じるもの を、と言われた。 秋谷豊氏 :新川さんが地球誌に登場したのは、1953年の12号からだ った。モダニズムの時代で、心の奥底のものを見失っている時代だった。詩 は愛と冒険。詩がストーリーとなっていて、もっと内部に直線的になってい なければならない。 第3部 秩父の歌 鈴木登志男氏、秋山公哉氏、小林登茂子氏の詩朗読 |
252 | 「二十四の瞳」と小豆島 | 前川整洋 | 11/17-10:10 |
先日の草津白根山で今年の登山は一段落です。小説を読むことはない私で すが、古書店で目についた「二十四の瞳」を買い、読んでみました。この小 説への興味というより、一度旅行で行ったことのある小豆島の風光に魅かれ ていたためです。ロケ用オープンセットを改築した「二十四の瞳映画村」 は、そのときは訪れませんでした。 田舎の分校での女教師と学童との抒情詩的な素朴な心の交流のストーリー と思っていましたが、意外にも反戦をテーマにした社会小説であることに驚 きました。とともに、小豆島の、街から離れた岬という舞台設定の絶妙さ に、イメージが書き立てられ、不滅の名作であると感動しました。素朴な学 童の行動と成長が、小豆島の風土と一体化していて、素朴であることの意義 が謳いあげられている、といえます。人間性の風土への依存性も感じられま した。 時代は昭和3年頃から終戦直後までです。12人の学童の5人が男で、その うち3人は戦死します。国家間の利害や世界情勢とは無関係な村も、戦争の 泥沼に呑み込まれます。 過疎化か観光地化、あるいはベットタウン化の時流です。時代はどんどん流 れ変貌していることが、この小説からも感じられました。 「二十四の瞳」読み了え神無月 |
251 | 草津白根山に登りました | 前川整洋 | 11/11-11:27 |
平成18年 11月4日〜5日 草津白根山(2171m)は、草津温泉にある山ですが、白根山、逢ノ 峰、本(もと)白根山などの峰からなる山です。 飛び石連休の土曜日だったことや、紅葉シーズンも終わっていたりで、登 山者は少数でした。見所は湯釜、弓池、鏡池の火山湖(湯釜以外の規模は 池)と中央火口でした。駒草畑もありましたが、高山植物のシーズンであれ ば見ごたえある群落のようでした。晴れてはいましたが、雲が多くてあまり 展望はありませんでしたが、志賀高原と万座の山々は見渡せました。 本白根山は火山有毒ガスのため登山禁止で登山路もありませんでした。山 頂一帯を周遊するといったプロムナード的な登山でした。 コース: 長野原草津口 = 草津温泉 = 白根火山 〜 逢ノ峰 〜 白根火山 ロープウエイ駅 〜 中央火口 〜 遊歩道最高地点 〜 展望台 〜 鏡 池 〜 白根火山ロープウエイ駅 〜 中央火口 〜 湯釜 = 草津 温泉(泊:翌日も草津白根山に登った) JR吾妻線の長野原草津駅で下車し、11時発の白根火山行の乗る。30分ほどで草津温泉に着き3分の1ほどの乗客が降りる。バスが草津白根山に登るにつれて、阿蘇山を思わすような雄大でゆったりした草原が拡がる。11時50分、白根火山バスターミナルに着く。広場の人出の多さは阿蘇山以上で、驚く。湯釜への展望台への坂道の舗装路を行列で観光客が登っている。 途切れなく車が通る観光道路を渡って、逢ノ峰に登る。四阿(あずまや)のある山頂だった。白根火山バスターミナルと弓池が見下ろせるとともに、白根山や志賀高原の山々が見渡せた。 白根火山ロープウェイ山頂駅に下ってから、針葉樹の森を緩やかに登る。活火山とは思えないほどの木々が繁っている。 濃緑の針葉樹林小春かな 平坦となって中央火口の火口壁にでる。火口壁伝いに進み、分岐に至る。万座方向へ進み、「コマクサ畑」を横ぎってから稜線伝いを登り、遊歩道最高地点に着く。志賀高原と万座温泉の山々が近くに見えている。本白根山がどこにあるのか見渡す。火口壁に一段高い峰があり、それが本白根山だった。 神無月「コマクサ畑」と立て札に 分岐まで戻り、火口壁の展望台に登り、鏡池経由で14時50分、白根火山バスターミナルに戻る。 |
250 | 「仏像 一木にこめられた祈り」展 | 前川整洋 | 10/28-20:17 |
10月21日、東京国立博物館の仏像展に行ってきました。仏像のうちの木 像についての展示会です。 ブロンズの方が、迫力があるものの、木像には木のもつ柔らかさや温もりが あります。虫喰いの目立つ木像もありました。木像は「わび・さび」の世界 と表裏一体のところがあります。しかし、仏教の境地は、「わび・さび」と は別の煌びやかも含んでいるようです。木像だけの展示には、今ひとつ乗り きれなかった感があります。 なめらかに仏像彫られ秋澄めり 秋灯のともる館内木像展 虫喰いの木彫りの仏秋深し |
249 | 「山と渓谷社」の今後 | 前川整洋 | 10/22-13:20 |
「山と渓谷社」の社名は、山岳図書不動のブランドなので株主、経営者が交 代しても、この社名は残るはずです。新刊本の種類や内容は、大幅に変わる かもしれません。 中高年登山がブームを越えて、大衆化している現況ですが、山の本はそれ ほど読まれいない。IT時代ということで、本で読むことが、時代遅れ感覚な のかもしれません。 |
248 | 山岳図書出版社大手の「山と渓谷社」経営譲渡となる | 前川整洋 | 10/21-09:50 |
山の本といえば、先ず「山と渓谷社」ですが、経営が次ぎのように変わりま した。出版業界は氷河期にあるといわれていますが、山岳図書も厳しいよう です。 IT(情報技術)関連出版などを手がけるインプレスホールディングスは 11日、老舗の専門出版社「山と渓谷社」の全株式を取得し、完全子会社化 することで基本合意したと発表した。取得額は4500万円としている。山 と渓谷社は、1940年設立。月刊誌「山と渓谷」など登山、旅行などに関 する雑誌・書籍の出版、販売を手がけている。 (2006年10月12日 読売新聞) 私が出している『秘境の縦走路』、『大雪山とトムラウシ山』は、その山 の登った人が思い出に購入するケースが多いようです。ガイドブックとして の購入もあるようです。 本で読み、いろいろイメージをふくらまし、画像とは別にその山を捉える ことも楽しいと思うのですが。 |
247 | 巻機山に登りました | 前川整洋 | 10/15-15:30 |
平成18年 10月9日〜月10日 越後と上州の国境に座す巻機山(1967m)は、谷川岳と越後駒ケ岳に 挟まれているといったほうが、分かりやすいといえます。 登山地図では登り6時間かかりますが、民宿では桜坂駐車場から4時間で 登れる言われました。登ってみると、4時間半はかかりました。民宿から桜 坂駐車場までは、30分なので、登り5時間ということになります。夏に登 った会津駒ケ岳よりきつい登りでした。 山頂に拡がる湿原の草紅葉は、紅葉半ばでした。谷川岳と越後駒ケ岳に挟 まれているだけあって、眺望はかなりの迫力でした。 コース: 六日町 = 清水(泊) 〜 桜坂駐車場 〜 五合目 〜 ニセ巻機 〜 巻機山 〜 牛ケ岳 〜 巻機山 〜 割引(わりめき)岳 〜 巻 機山 〜 ニセ巻機 〜 五合目 〜 桜坂駐車場 = 塩沢(下山で 出会った登山者に塩沢駅まで同乗させて頂いた) 4時40分、民宿を出だす。ヘッドランプを灯し林道を少し行ってから近 道の山道に入る。檜林のなかで真っ暗、道も不鮮明だ。一旦林道に出から桜 坂駐車場に着く。 山道を登りだす。半合ごとに標柱が立っている。2合5勺から3合5勺は なだらかであったが、そこから急坂となり5合目に着く。ニセ巻機が近くに 迫っている。初紅葉は白らじんだ夜空に紛れている。ここから6合目までは なだらかであったが、7合目へは急坂が続く。岩屑地に出てすぐに7合目に 着く。谷川連峰が近くに迫る大展望だ。谷川岳の左には富士山が空に紛れな がらも見えていた。谷川連峰中では仙ノ倉岳が最も尖っているのは意外だっ た。北アルプスも薄らと見えている。 尖る山多き上越国境の秋 急登からニセ巻機に着く。目前に大きく巻機山が聳えていた。紅葉しはじ めた草原の緑が活き活きとしている。 あでやかに残る緑や草紅葉 ひと下りで避難小屋に着く。草原を登り、9時20分、巻機山に着いた。 すでに多くの登山者が休憩していた。八海山、越後駒ケ岳、燧岳、至仏山、 日光白根山、皇海山、赤城山、武尊山、谷川岳、苗場山と見渡せる大満足の 展望である。 草紅葉の湿原を、牛ケ岳に向かう。 |
246 | 現代詩創作集団「地球」研究会9月30日 | 前川整洋 | 10/1-11:15 |
10月はじめは山に行く予定でいましたが、天気もよくなさそうで、「地 球」研究会に参加しました。天気が良くても、研究会の方に参加していた と思われます。現代詩創作集団「地球」研究会が9月30日、北浦和労働会 館で開かれました。 秋谷豊代表の挨拶の後、石原武氏による詩展望の次の談話がありました。 『地球 142号』の特集は当初、「詩と音楽」であったが、秋谷さんの 提案で「詩と音楽の美的体験」となった。これで詩が音楽的になった。シュ リアリズムの優勢からイメージ偏向となったが、音楽性をとり戻すことで、 絵画的から知的になった。音楽性は抒情にもつながり、音楽性により現代詩 を再生させることができる。 『地球 142号』掲載詩に対する諸先輩の講評がありました。印象に残 った指摘として、次のことを挙げておきます。 ・ 普段は常識の世界に生きている―詩を書くときはそういう意識の先まで掘 り下げる。 ・ 描写力はあるが、さらに異質な一行で波風を立ててほしい。 ・ 時間の経過がわかりにくい詩があったが、時の流れを上手く使っている詩 もあった。 ・ 昔の映画館でフィルムが切れて、騒ぎとなり、それで周囲と人たちに親し みが湧いたとあるが、その現象の奥まで探り、人間の実相にまで迫ってほし かった。 ・ 作者の肉声が入っていて良かった。 ・ 「地球」の詩は、実が重いものが多い。実とは、見聞、体験、感想であ り、虚は、詠う、比喩、非日常である。虚は、遊ぶ、壊すといったことでも ある。実と虚がぶつかり合うことが必要であろう。 ・ 詩らしくしようとすると、よけいなことが多くなる。自分のもっている浅 さが出てしまうこともある。 ・ 作者が言葉に酔ってしまうと、逆に読者には伝わらない。 ・ 連が進むに従って、連が長くなっている。まとめきれないと長くなること がある。 ・ 詩「伝言板」、題名から詩的である、形而上学的に、ドラマ的にも。 ・ さらっとしている分だけ、強さ、デッサン力があった。しかし、中身はそ れほどでもなかった。 ・ 詩はインスピレーションに付け加えをしていかなくてはならない。付け足 しすぎることもある。 ・ 望遠レンズで見ると思わぬアクセントがつき、良い画像ができることがあ る。 私の詩「紅葉とは」については斉藤正敏氏の講評がありました。簡単に書 いておきます。 講評の前に最近感じたこととして次のコメントがありました。 ある詩誌の編集後記に、同人の詩に標準以下のものもあった、とあった。 それでは、標準ならいいのかと思った。詩に標準の物差しを当てるのどんな ものか、そうではないのではないか。 私の詩についての講評は。 紅葉の美意識を語っている。4連の「西陣織りの方が/艶やかで趣向がこ らされている」と、それまでと違う意見がでてくるが、常套的である。ま た、最終行、「紅葉の広がりは芸術の根源」は、詩の言葉として一般的であ り。陳腐ともいえる。しかしながら、標準以下の詩ではない。(会場からド ット笑い) なかなか厳しい指摘で、私としては頭をかかえてしまいそうでしたが、帰 りの電車で、最終行は次の一行へ推敲することを思いつきました。 紅葉は生命讃歌の美の劇場 |