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2459/17の「さわやか自然百景」と「小さな旅」前川整洋 9/18-08:59

9/10の「さわやか自然百景」の早池峰山は、「小さな旅」での放映の間
違いでした。失礼致しました。その番組では山のことだけではなく、麓の村
人の風習などの紹介もありました。登山口の村にはかって多くの民宿があり
ましたが、現在は営業していません。泊まった宿坊で、どうしてか尋ねた
ら、高齢化で営業できなくなったとのことでした。

昨日(9/17)は、NHKで次の山についての放映がありました。
7:45 さわやか自然百景 「剣岳」
8:00 小さな旅 「会津駒ケ岳」

剣岳は学生のときの10月中旬に登っていますが、初冬で焦って登って下っ
たので、登路などについてほとんど覚えていません。蟹の縦ばい、横ばいが
危険な箇所であるわけですが、どんな急峻な箇所だったか分かりませんでし
た。やはり、学生のとき歩いた槍穂高縦走路の方が、危険な箇所は鮮明に覚
えています。槍穂高はトラバースぎみに進む危険な箇所があって、恐怖感か
大きかったようです。番組では、能登半島まで見渡せる眺望の映像があり、
興味深く見ました。

会津駒ケ岳は先月のお盆休みに登っているので、懐かしく見ました。小さな
画面からは、そのときの雄大な景観、立体感、色彩の温かみなどまでは伝わ
ってこないので、少し妙な感じでした。駒ケ岳から中門岳まで続く稜線、馬
の背のようにゆったりとした頂稜、山小屋の管理人が再生したという白山小
桜の群落など会津駒ケ岳ならではの映像もありました。また、登ったときは
雲に隠されていた燧岳や越後駒ケ岳の映像があり、嬉しくなりました。

休日の山の映像には、くつろいだ気分になれます。

2449/10の「さわやか自然百景」前川整洋 9/10-16:47

今日のNHKの「さわやか自然百景」では、早池峰山が放映されました。
 私が登ったときは8月で、天気は曇りであまり展望はありませんでした。
山岳景観は平凡ですが、樹林帯を抜けたあとの高山植物は、途切れなくいち
面のメルヘン景観といえました。霧に包まれた山頂は、遊園地のように登山
者でいっぱいでした。
 番組での日本のエーデルワイス・早池峰薄雪草はいまいちでしたが、私の
見たのも時季はずれで大きさは番組のものよりビッグでしたが、ほこりぽい
ものでした。峰薄雪草は凄い群落でした。奇抜な高山植物の山といえます。
 宮沢賢治が登った山としても有名ですが、花巻から登山口までバスで2時
間半くらいあり、賢治は馬車を使ったのか、徒歩であったのか気になりまし
た。
 曇りで人も多かったりであまりよい句はできなかったようです。
   麓まで岩と花野の早池峰山

243「戦争」俳句について前川整洋 9/10-16:44

登山は自然が相手で、戦争という人と人との対決の行為とは、正反対の行為
ということになります。他方、平和でなけらば山に登れないのも現状です。
9/7の横浜文学学校で拙筆「いろいりな俳句について」の合評がありまし
た。
そこでの社会俳句の章で次の句を挙げ、簡単な句評も書きました。
   機関銃蘇州河ヲ切リ刻ム         三鬼
   黄土の闇銃弾一箇行きて還る       〃
 これから先に何が起るか分からない、不気味さを感じさせられる句であ
る。
 合評でこれは誤読である、との指摘がありました。実際に機関銃が撃たれ
ている、戦場の恐怖を言っている、とのことでした。そこで掲句の出典とそ
こでの説明があるのか調べました。出典は、「鷹羽狩行編:俳句実作入門2 
新しい素材と発想、角川書店、一九九六」で、説明には、西東三鬼は出征体
験をもたないが、内地にいて前線を思い描いた戦火想望俳句を熱心に作っ
た、とだけありました。三鬼は太平洋戦争前の昭和15年の京大俳句事件で
検挙され執筆禁止となっています。
 昭和12年から日支事変での句なのですが、日支事変は宣戦布告なき戦争
として知られていて、どんな戦争であったかは、歴史の闇にあるといえま
す。要塞の攻防とか、大隊規模での野戦はなかったように思われます。国内
では、戦線拡大を狙う軍部と拡大を抑えようとする政党との綱引きも行われ
ていました。俳句では兵士としての戦場体験にもとづく作品は極めて少ない
ようです。そのよなことからも、掲句が戦場のどういった場面を伝えている
のかは、分かりずらいようです。一句目については、機関銃がバリバリ撃た
れている場面とした方が正しいかもしれませんが、作者が兵士として現場に
いたわけではないことや日支事変の実情から、これから切り刻まれるであろ
う、との予想にもとれるようです。

242「さわやか自然百景」と「小さな旅」前川整洋 9/3-13:25

今日(9/3)のNHKの番組で、次の山について放映されました。
7:45 さわやか自然百景 「秩父山地・甲武信ケ岳」
8:00 小さな旅 「山の歌(1)山形・朝日連峰」

甲武信ケ岳は3回登っている懐かしい山です。東沢の滑床も出てきましたが、行ってみたいと場所ですが、まだ行っていません。ザイルを必要とする箇所はないとのことですが、ルートではない支流に迷い込む危険があるそうです。番組では薄暗い米栂の森と苔生した山道も出てきていました。
 11月に甲武信ケ岳に登ったときの山麓での句です。
 甲武信岳岩をむき出し冬近し

 山形の朝日岳は1度登っているだけですが、稜線から山腹にわたる緑色は、絶品の美しさでした。テレビの画面からもそれがうかがえました。白神山地にはまだ行ってことがありませんが、朝日岳でのブナが、今まで出会ったなかで最もスケールの大きなブナでした。しかも、幹が真白なのに呆れましたたが、この真白な幹は、今読んでいる本に日本海側のブナの特徴と書いてありました。
 2年前の7月に朝日岳に登ったときの山頂での句です。
 夏草の稜線うねる朝日岳

241ブナの森前川整洋 8/27-21:30

白山、荒島岳、会津駒ヶ岳、会津磐梯山と登って、どの山もブナが多いのに
不可解になりました。そこでブナの特性を調べてみました。
 豪雪地帯では針葉樹の生育が抑えられ、ブナが優勢になるということで
す。ブナは雪に強いという単純明解な理由がありました。確かに奥多摩、奥
秩父ではブナは見かけません。奥秩父の国師岳から金峰山では、えんえんと
白檜曽の森が続き、それより東に行くにつれて米栂、樅と移っていきます。
昨年の光岳〜聖岳縦走での中腹山域でもあまりブナは見かけなかったようで
す。寒くて乾燥した気候は針葉樹に適していて、太平洋側は針葉樹が優勢で
あるということです。

240夏山の天気模様前川整洋 8/19-20:17

梅雨明けが遅れ、梅雨明け後は台風の連発で、晴れていても山に雲がかか
り、展望は荒島岳山頂で10分くらいの雲の切れ間に白山が眺められただけ
でした。
 今年登った夏山は、次のような状況でした。
7/27・28 白山 27日は雨、28日は曇
7/29    荒島岳 登りはじまたところとで雨、登山中止、福井県は
大雨となる
7/30    荒島岳 晴れていたが、展望なし、山頂でがっかりしてい
たら一時、白山が見えた
8/14    会津駒ヶ岳 晴れながら周囲の山には雲がかかっていて、
隣の燧岳も見えず
8/15    会津磐梯山 曇りで山頂からの展望なし
8/16    会津磐梯山 晴れていたので再び登るつもりで出たした
が、磐梯山にぶ厚く雲がかかっていたので登山中止

 九州、四国エリアの台風でも、本州北部上空の気流も乱れているようで、
山からは雲が湧いている状況でした。これも地球の温暖化の影響なのかもし
れません。
   山肌に夏雲かかる磐梯山

 日本の山の妙味は森にあるともいえるので、ブナ、白樺、ミズナラ、大シ
ラビソなどを眺めつつ、マイナスイオンを浴びつつ歩いたことに満足すべき
ところのようです。それにしてもどの山も、ブナが多いのには、なぜだの思
いです。ブナは材質が柔らかく、木材に適さないので原生林が残されたと聞
いていますが、他にも理由がありそうです。
 会津駒ヶ岳では、隣の中門岳まで湿原が続いて、意外性をともなった妙趣
といえました。木道から出て記念のスナップ写真を撮ってもらっている登山
者がいましたが、植物と道の保護に木道が敷かれていることを知らない登山
者がいることに慌てました。
   夢舞台つづく湿原夏惜しむ

239「詩人を通しての自然」前川整洋 8/12-19:17

「詩人を通しての自然」でコスモス文学新人奨励賞(評論部門)を受賞しま
した。
http://www.cosmos-s.jp/index.html
 山を登ってきたなかで身につけてきた自然の捉え方にもとづき、過去の代
表的な詩人の自然観を紹介するとともに論考しています。横浜文学学校で合
評・講評頂いた「立原道造の詩を通しての自然」、「中原中也の詩を通して
の自然」、「三好達治の詩を通しての自然」の3篇をひとつにまとめたもの
です。合評・講評のときもひとつにまとめるべきの指摘はありましたが、そ
れぞれの詩人ごとに特徴のある自然観をまとめる難しさはありました。他
方、応募要項に原稿用紙20枚以上とあり、各編は約10枚だったことか
ら、ひとまとめにしなけらば応募できませんでした。
 自然観は世界観ともオーバーラップする人類にとって重大な思想といえま
す。受賞にはそれなりの意義があったといえそうです。結論は次のようにま
とめてあります。

 自然になんとなく佇むのではなく、詩人が顕わそうとした自然をも知り、
積極的に自然に入り込み交感する。このようなことが、なぜ必要なのか。自
然とともに生きることに、人生の機微や醍醐味までも見出せるに違いないか
らである。

238加賀の霊山・白山に登りました前川整洋 8/6-20:06

平成18年 7月26日〜月28日
踵の痛みも癒えたようで、白山に登ることができました。白山は、深田久弥
の「百名山」にも書いてあるように、富士山、立山とともに三名山とされて
います。三名山というより三霊山という意味合いです。古来より登拝されて
きた山々です。男体山(2486m)、石鎚山(1982m)より高い山で
す。白山は、御前峰、剣ヶ峰、大汝峰からなりますが、最高峰は御前峰の2
702mです。
 もっともポピュラーな別当出合から登りましたが、急な登りはほとんどな
く登りやすい山といえます。しかし、麓からの日帰り登山は無理のようで
す。残雪もあり、お花畑も多く変化に富んだ山でましたが、まだ、梅雨が明
けていなくて、展望はありませんでした。
 山頂直下(御前峰までは40分)の室堂センター小屋は、収容人数750
人の国内最大級の山小屋で設備もトップクラスでした。この山小屋の前には
大きな神社もありました。
 御前峰からのお池めぐりは、道か不明瞭で残雪も多いので、室堂センター
のスタッフに、この天候では行かないように言われましたが、行ってみて無
理そうなら止めるつもりで、行ってみました。確かにコースサインがなく、
分かりずらい道でしたが、ガスっていなければ大丈夫なようです。コースか
ら外れると高山植物を荒らすことになるので、そのことからも十分注意する
必要があります。大汝峰の岩塊地も道が分かりずらくて参りました。

コース:
 金沢(泊) = 別当出合 〜 室堂センター 〜 御前峰 〜 お池め
ぐり 〜 大汝峰〜 室堂センター(泊) 〜 別当出合 = 金沢

 前日は金沢の泊まり、5時30分発のバスで登山口の別当出合に向かう。
7時50分、小雨のなかを歩きだし、すぐに大きな吊橋を渡る。ブナの混じ
る潅木林というより、低木林の登りからトイレ棟のある中飯場に着く。緩い
登りから、傾斜が多少きつくなり、また緩い傾斜となる。雪田を渡ってから
甚之助避難小屋に着く。なかで一休みである。雨降りのときの避難小屋は有
難い。3パーティほどが休憩していた。
 石段状となった箇所を3度登り、平坦な巻道となる。雄宝香、四葉塩竃、
白山千鳥、深山金鳳花などが咲き乱れている。
   白山の雨に白山千鳥濡れ
 「十二曲がり」と呼ばれる急坂から黒ボコ岩の広場に出る。ここで昼食を
とる。少しの登りで阿弥陀ヶ原に至る。笹の多い草原を横切り、ひと登り
で、12時22分、室堂センターに着く。室堂センターは、外見はログハウ
ス造りのホテルのようでもある。
   白山の阿弥陀ヶ原も梅雨明けず
 宿泊は室堂センター隣の山小屋であった。一休みしてから、御前峰に向か
う。登りだす前に神社に立ち寄り拝礼する。石畳の道から、砂礫地をのぼり
奥宮のある山頂に着く。雨は止んでいたが、展望はない。
 雨は止んでいて、ガスもあまり出ていなかったので、お池めぐりをしてか
ら大汝峰に登り、登路と反対側から下り、大汝峰を巻いて、室堂センターに
戻った。雪田とお花畑のコースではあったが、コースサインが少なく、雨が
降っていたり、ガスっていたら止めた方が無難である。

237詩集『瞼を彩りて消えず』前川整洋 7/13-20:24

現代詩創作集団「地球」同人の浪本琢夫氏から詩集『瞼(まなうら)を彩り
て消えず』(能楽書林、2006年)をお送り頂きました。浪本さんは詩誌
『地球』にいつも能をテーマにした詩を掲載されています。今回の詩集も能
をテーマにした詩が8割くらいを占めているようです。
 能については、私もそうなのですが、知らない方が多いと思われるので、
簡単に書いておきます。
 能の物語の最も一般的なパターンは、死者が甦ってきて現世での苦しみを
語る、語る相手は旅僧が多いようです。創作劇はほとんどなく、『源氏物
語』、『平家物語』、『伊勢物語』を典拠としています。
浪本さんは趣味として能に凝っている方と思っていましたが、詩集の略歴
に、観世流能楽師範とありました。神楽は民衆芸能ですが、能の高度な技と
なるとプロに限られたことと思っていましたが、そうではないようで、驚き
ました。私は能については少し本を読んで知っている程度です。
 『瞼を彩りて消えず』から2篇紹介します。

     弱法師(よろぼうし)

《満目青山心にあり》
寂び寂びと父親(わき)は登場した
難波の天王寺
如月、梅が咲き匂う

盲目の少年弱法師、杖を突いて揚幕に寄りかかる
夜昼の区別つかぬ
三ノ松に立ち尽くして
見えぬ目に春の海を見
音を聞く
石の鳥居まで橋懸は長い
杖を左に突き 右に叩き行く
木に花匂う天王寺に、杖でさぐり着き
袖を広げて散る花びらを集めた

鐘の響きに面を俯け
扇で空を切り
さし回して須磨・明石を眺め
扇を胸に当て満目青山を籠めた
長柄の橋を行き交い
貴賎にぶつかり
転(まろ)び
よろよろとつまずき
またも歩み行く


平等院の秋

池の水は澱んで
秋空を沈めている
源融(とおる)の
昔語りも沈んで
岸に沿って歩く私の足先から
小石が少しずつ
ずり落ちてゆく
京の河原の院の汐汲(しおくみ)には
うす暗い檜の舞台を
からころと転がる釣瓶の音が走り

夢さめて 風を聞(か)げば
目の前は昼の秋
歴史の鵄尾(しび)は空高く瓦を踏み
紅葉の秋をばら撒きつつ瓦の波を空に押し返した


 簡単に詩評を述べておきます。
 作者が能に精通しているからと思われるが、能についての詩は、ストーリ
ーの一場面をオーソドックスに表現している詩が多いようい思えた。能自体
が詩的表現形式をとっていて、それをさらに詩で著していることになる。能
以外の詩のほうが、詩的飛躍に溢れているようだった。日常の見慣れたよう
な風景を、詩の場面へと変転させている。
弱法師は少年の法師で、親との再会のドラマである。目は見えないものを、
気配や辺りの様子で、景色を感じたりイメージしたりして歩いている。弱法
師の「弱」は、見かけのことで、内面はしっかりしているということなので
あろう。
 「平等院の秋」にある汐汲は、能の「松風」を題材とした歌舞伎舞踊と辞
書には書いてあった。平等院に能舞台があるのか、イメージで出てきている
のか。どちらにしても能と平等院とは、その重厚な妙趣が重なり合ってい
る。最終連は巧みな表現で、歴史の重さを浮き彫りにしている。

「弱法師」を拝読して一句思いつきました。

   梅雨空によろけ倒れず弱法師

236自然主義文学と近代・現代詩前川整洋 6/17-20:56

横浜文学学校の講評で宮原昭夫先生から、自然主義の詩はなかった、との指
摘がありました。そのことから、詩の進展をたどったものに自然主義文学を
入れ込むのは無理があろう、という指導がありました。
 そこで私なりに自然主義文学と近代・現代詩の関係を調べ直しました。ゾ
ラからはじまったとされる自然主義文学と、近代詩のはじまりとされるボー
ドレールの象徴主義の年代をチェックし、日本の詩作品でそれらが反映され
た年代もまとめました。

生年と初期代表作発表年
ツルゲーネフ 1818年  猟人日記(1852年)
ボードレール  1821年 悪の華(1857年)
ゾラ       1840年  ルーゴン家の繁栄(1871年)
島崎藤村   1872年  若菜集 明治30年 文語、ロマン主義
北原白秋   1885年  邪宗門 明治44年 文語、象徴主義的(白秋独自の耽美主義)
高村光太郎  1883年  道程  大正3年 口語、白樺派(表現法はリアリズム)
千家元麿   1888年 自分は見た 大正7年 口語、白樺派(表現法はリアリズム)
萩原朔太郎  1888年  月に吠える 大正12年 口語、象徴主義的

自然主義の定義者であるゾラが、最も後であることは意外です。年代的には
ゾラはツルゲーネフの影響を受けていたかもしれません。
 近代小説のメインテーマである社会認識、人間探求のテーマは、詩ではボ
ードレールの象徴主義で扱いやすいテーマであったのではと考えます。自然
認識のテーマはやはり自然主義での形式で扱われたといえます。ここでの自
然主義は本家本元のゾラの自然主義ではなく、日本では注目されたツルゲー
ネフの自然主義です。
 我が国の近代詩に対しては象徴主義の影響が大きかったとされているの
で、自然主義の影響は論じられていないようです。しかしながら、「ありの
ままを描く」自然主義の完成は、口語表現の完成とリンクしていたので、口
語自由詩である近代・現代詩も自然主義文学の一端を担っていたといえない
こともないはずです。
 ところで、文学史を勉強しても文章力などがアップすることはないわけで
すが、読者が求めている、必要としている、表現形式、テーマ、パターン、
思想哲学を知るには文学史の勉強をしても損はないようです。


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