旧掲示板(本掲示板は書込み不可です。新掲示板をご利用下さい。)
10記事ずつ表示
[新規投稿] [ツリー表示] [番号順表示] [タイトル&コメント]
[前の10記事][次の10記事]
14 / 30

235現代詩創作集団「地球」研究会6月10日前川整洋 6/11-10:13

9日からは山行の予定でしたが、あいにくの天気のようだったので止めに
し、踵は完治していないのでほっとしました。また、「地球」研究会にも参
加できたことにもほっとしています。来週末に梅雨晴間があれば、山に出か
ける予定です。
 現代詩創作集団「地球」研究会が6月10日、北浦和ターミナルビル・カ
スタスホールで開かれました。
 秋谷豊代表の挨拶の後、石原武氏の同人詩集講評と詩展望の次の談話があ
りました。
 世界文学はロマンティシズムを理解して、次の文学を企画してきた。理解
してとは否定して、ということでもある。藤村、朔太郎を否定して、西脇順
三郎はモダニズム(象徴主義、シュリアリズムなど)を推進した。誰もがロ
マンティシズムには憧れをもっているが、モダニズムの衣装を着ていないと
かっこがつかないという面はある。秋谷豊は否定されたロマンティシズムに
呼吸を与えてきた。彼の抒情詩は抒情精神で詩を書くということである。
 『地球 141号』掲載詩に対する諸先輩の講評がありました。印象に残
った指摘として、次のことを挙げておきます。
・ 安易な題名のつけ方が、詩を安っぽくしている。
・ 自分の位置、作者の位置から探っていない。
・ 観察者を越えて詩人となれるか。描写中心は饒舌になる。
・ 登場人物について、どういう人か、作者との関係はなどが曖昧である。
・ 街の中の木とビルの対比を自然と人工の対峙として捉えているが、街中の
木々は自然であろうか?むしろ人工なのでは。
・ 外界を伝えるだけでなく、自分の中へ入って行き、内面を見つめるべき。
・ 結のところで勝負の表現がほしい。
・ 転がなく平面的、衝撃的な連がほしい。
・ 「生まれでたことへの嫌悪」との句には疑問がある。リルケは、「生れ
た、とは大したことだ」と言っている。
・ 詩を書いた動機が伝わってこない。詩を書いた必然性が分からない。かか
わった感情の起伏が出ていない。

 私の詩「忘れられた探険家・松浦武四郎」については大石規子氏の講評が
ありました。簡単に書いておきます。
 叙事詩となっている。知らない人物を知ることができるように書いてあ
る。こういう詩では、どこで自分を出すかが難しい。最後のところ、
文明の進歩に追いすがり
武四郎の思想は
復活への道へと踏み出している
に作者の感動があるのであろう。
 いつもこういう詩だと、読者は飽きてくる。

234「現代詩と歩んだ自然の概念」前川整洋 6/4-10:35

6月1日の横浜文学学校で拙筆「「現代詩と歩んだ自然の概念」の合評があ
りました。そこで日本の自然主義文学は山野の自然をベースにしている、と
している箇所に対し、自然主義文学はあくまでも、「ありのまま描く」こと
で、それはおかしいとの意見がありました。
 そこで、昨日(6/3)、小説家・三田誠広の『天気の好い日には小説を
書こう』、『深くておいしい小説の書き方』、『書く前に読もう超明解文学
史』の三部作を引き出してきて見直してみました。
 確かに、『天気の好い日は小説を書こう』には次のように書いてありまし
た。
 立松和平が北海道の原野を歩きながら、「自然は生きているんですねえ」
(笑)という、あの「自然」ではないですね。
 ところが、『書く前に読もう超明解文学史』のP42に、次のよに書かれ
てあって、そこから解説は変わってきます。
 正直なところ、私はわりあい、ツルゲーネフが好きですが、明治時代の日
本の文人たちも、ツルゲーネフにハマッてしまったようなところがありま
す。
 そして次のようにこの論評をまとめています。
 ツルゲーネフは、不幸な作家です。ロシアの文壇では、あまり評価されな
かった。しょうがないので、田舎で狩をしている。そこで自然に出会う。
 つまりこういうことです。「自然はいいなあ」という思い。これは、都会
で傷ついた人にとっては、特効薬みたいな「癒し」になるのです。
 現在でも、立松和平がテレビに出て、、「自然は生きています」というよ
うなことを言うと、まあ、ウケるわけですね。こういう自然観、自然という
のはなかなかのものだという価値観は、昔からあったわけではなく、ツルゲ
ーネフによって伝えられたのです。
 日本の文壇では、こういうツルゲーネフ的な「自然」と、ゾラ的な「自
然」とが、いっしょくたんになったようなところがあります。
 私としては、この解説を加味して、「現代詩と歩んだ自然の概念」での我
が国の自然主義文学を紹介した次第です。

233「自然」の概念について前川整洋 5/6-17:25

山に登っていれば、自ずと自然を思想的に捉えるということが身についてく
るといえます。単純に言えば、「山はいいな」と思うことが思想である、と
いえます。この連休、NHKで北極の氷が融けはじめて、氷の上で狩猟して
いる白熊が、絶滅の危機にあると放映せれていました。この絶滅は自然のな
り行きなのか、人災なのか、はっきりしませんが、何らかの手を打っていか
なければならないといえます。
 ところで、『現代詩と歩んだ「自然」の概念』という評論風のものを書き
ましたが、明治期の詩人で思想家の北村透谷の劇詩『蓬莱曲』に注目して重
点的に書きました。横浜文学学校の合評・講評に提出した後ですが、『蓬莱
曲』についてどうゆう論評がされてきたか、合評・講評の前に知っておいた
方が良いと思い神田で古本をあたってみました。透谷に関する古本はどれも
2000円以上なので、手ごろなものとして色川大吉著『北村透谷』を購入
しました。『蓬莱曲』についての箇所をこの連休に読みましたが、戯曲家と
しての透谷をクローズアップした内容で、私が期待した自然の概念や宗教の
視点からはあまり論じられていませんでした。宗教についてはキリスト教と
仏教が渾然としているという論評は、私の書いたことと一致しているようで
す。透谷の評価としては、天才思想家で、透谷がいなければ島崎藤村もいな
かったかもしれない、と書いてありました。

232再び最澄と天台展へ前川整洋 5/6-09:06

連休は山に出かけず悶々としているのもどんなものかと、5月4日に再び最
澄と天台展へ出かけました。死後に浄土へと導く阿弥陀如来にたいし、薬師
如来は病から人を守ること、現世利益を誓願する如来ですが、仏教の悟りの
理念に相反する側面があるともいえます。最澄は薬師如来を重んじ、展示の
中に最澄自らが彫った薬師如来像の模刻もあります。薬師如来像とは何かを
探求するために、再度見学することにしました。
 ところが、入館するのに20分ほど並ばされ、なかは繁華街のような人と
人でした。2度目なので見るべきものは決めていたので、何とか見学してき
ました。

   ただ生きる薬師如来や春浅し
   梵天の像暗く立つ春寒し
   春霞宇宙を覗く聖観音

231恵那山で遭難のニュース前川整洋 5/4-10:07

この晴天に山に登らずにもんもんとしながら、読売HPをアクセスしたとこ
ろ、次のニュースがありビックリしました。携帯電話で連絡がとれていると
のことなので、大丈夫と思います。

恵那山登山の3人、「全員無事」と携帯で連絡
 岐阜県中津川市と長野県阿智村にまたがる恵那山(2191メートル)に
3日に登った後、下山していなかった愛知県豊橋市の登山者3人のうち、会
社員鈴木克幸さん(33)から4日午前7時40分ごろ、携帯電話で「全員
無事だ」との連絡が岐阜県警にあった。
 ただ、遭難場所が特定出来ないため、県警ヘリで上空から捜すとともに、
同署と地元の恵那山山岳救助隊員らが山中に入り、早朝から捜索活動を続け
ている。
(2006年5月4日9時11分 読売新聞)

 私が連休前に阿智村役場に問い合わせたときの情報では、雪面に足跡が交
錯していてルートが分かりずらいとのことでした。足の踵がなんともなけれ
ば、一抹の不安を感じつつ、私も恵那山に登っていたかもしれません。

230恵那山登山断念!前川整洋 5/1-21:44

5月連休は恵那山登山の予定でしたが、中腹の萬岳荘に電話で問い合わせた
ところ2mくらい積雪があり、6本爪以上のアイゼンとピッケルが必要との
ことでした。南木曽の2190mの山でそんなに残雪があるとは考えられな
いので、麓の阿智役場にも電話して、2mもの積雪はにわかに信じがたいと
言うと、今年の山頂ではそのくらいあるとのことで、雪庇も残っていて、転
落の危険もあるとのことでした。ここのところ足の踵に少し痛みがあり、ま
だ直っていないので、この連休は山に登らないことにしました。
 今日(5/1)、針ノ木岳での雪崩遭難のニュースが飛び込んできまし
た。三大雪渓といわれている白馬、針ノ木、剣の雪渓で、針ノ木が最も傾斜
がきつかったのが思い出されます。10年ほど前ですが、夏の針ノ木雪渓で
は枝を拾って、それをピッケル代わりにかなり緊張して登りました。雪山で
は勾配のきつい沢は登り下りしないのが常識なわけですが。遭難した方々の
ご冥福をお祈り申しあげます。

   ゴールデンウィーク巻き込む雪崩かな

229最澄と天台展前川整洋 4/15-20:13

モデムのソフトがトラブッてしまい、約1ヶ月間インターネットが使えませ
んでした。このさいADSLから光ファイバーに変えました。4月14日午
前中に光ファイバー設置の工事があり、午後からは東京国立博物館で開催さ
れている「最澄と天台展」を見に行きました。
 平日にもかかわらずかなり人出で、じゅっくりとは見学できませんでし
た。
 2年ほど前には日蓮展を見ましたが、日蓮の展示品の方が躍動感がありま
した。日蓮は政治家的であり、最澄は学者的であるとの観です。最澄につい
ての展示品は地味である一方、安定感がありました。
   春耕をかもす薬師の如来像

 春耕は春の季語ですが、ここでは明かりを耕す、いった感じです。

228三重県の全国俳句募集「木の一句」前川整洋 3/14-12:43

松尾芭蕉のふるさとである三重県の全国俳句募集「木の一句」では、大賞のほかに
市町村ごとの賞が設定せれていて、次の私の句は大紀町賞に入賞しました。

   みな同じやうでそれぞれ枯木かな

http://www.pref.mie.jp/BUNKA/hp/HAIKU/ki/t_1.htm

大紀(たいき)町のホームページには、次の紹介が掲載されていました。
 この地域は、JR 紀勢本線、国道42号等の交通網を中心に強い結びつきがありま
す。また、時代をさかのぼれば熊野街道で結ばれた歴史があり、地縁血縁の濃い、
一体感の強い地域として共に栄えてきました。
 大紀町は三重県の中南部に位置し、東部及び南部は紀伊山脈の分水嶺を境として
東部は度会町、南は南伊勢町、紀北町に接し、西部及び北部は大台町と隣接してい
ます。東西約24.8km、南北約26.3km で総面積233.54kuのうち約91%を山林が占
め、地形は全般に急峻で、町内を流れる一級河川の宮川、大内山川、藤川沿いに民
家と耕地が散在する農山村部と僅かな土地に民家が集中する沿岸部から成る典型的
な農山漁村地域で、農用地は約3.47%、宅地0.77%と狭小であります。
 比較的温暖な気候ではありますが、三重県内の他の地域と比べても降水量が多
く、また、山間部と海岸部では地勢による違いがみられます。特に梅雨時期や、8・
9・10月の台風シーズン、秋雨時期に多量の降水量があり、停滞前線等の影響を受け
やすい地域といえます。
 昭和55年の国勢調査時では、旧3町村合わせると14,144人あった人口も、毎年約
1%ずつ減少し、平成12年の同調査では11,334人まで減少し、20年間で2,810人、
19.8%の減少になりました。また、少子高齢化に伴う年少人口の減少と老齢人口の
増加が、人口全体の減少と相まって、生産年齢人口が29.3%も減少しており、次世代
を担う人材の確保と育成が当町の施策として急務となっています。

227現代詩創作集団「地球」研究会前川整洋 2/25-10:11

昨年からとりかかっていた、評論風の「ゴッホの絵とは何か」を書き了え、
横浜文学学校の合評・講評に提出しました。これで一息つけます。ところ
で、現代詩創作集団「地球」の研究会が1月28日、北浦和の埼玉県労働会
館で開かれました。
秋谷豊代表から今年度のスケジュールと昨年のアジア還太平洋詩人会議(会
場は品川プリンスホテル新館)の報告、詩人会議のビデオ上映、同人が出版
した詩集の講評などがありました。詩人会議の参加者は396名(うち海外
詩人、報道、大使館関係80名余)で、11月25日18時10分からのN
HK「首都圏ネットワーク」で『詩を友好の懸け橋に』としても放映され
た、とのことでした。
『地球 140号』掲載詩に対する諸先輩の講評がありました。詩作法にか
かわることとして、次のような指摘がありました。
・ 散文と詩の違いのひとつに、行間の意味の重さがある。
・ 細かく説明せずに、一つの言葉に広がりをもたす。
・ 男性は観念的な詩を書く傾向がある。
・ そのままの情景を書く―これはデッサンである。詩としては、自分との存
在に結びつけたい。
・ むだな言葉を省く、一例として、そのとき、それは、ふと、といった言
葉。
・ アレゴリーとは、意識の虚をつく、ことでもある。
・ 抒情の裏側とは、我々の日常に見られないことでもある。
・ 日常を、悪意をもって見つめる―生の意味を問い続ける。
・ 起承転結では、どう起すかもポイント。
・ 読者を意識する。
・ 書き込みすぎは、焦点がぼける。
・ 平坦な印象―心の奥底まで掘り下げる。
・ 行間から膨らますものがほしい。

私の詩「巨岩と奇岩の山―瑞牆山を仰いで―」については中島登氏の講評が
ありました。簡単に書いておきます。
 岩のうんちくが語られている。巨岩の言葉が数多く出すぎである。神の創
造の偉大さを伝えている。

226新年おめでとうございます前川整洋 1/1-10:23

大晦日もいつも通りPM10時頃に寝ようかと思っていましたが、最後まで
紅白歌合戦を見て例年通り除夜の鐘を聞きました。新年を迎える鐘の音もな
かなかのものと思われました。
 みのもんた司会の紅白は、例年よりざっくばらんで新鮮味があったようで
す。あまりしっかりは聞いていませんでしたが、世代の違いもあるかもしれ
ませんが、昭和期の歌の方が歌詞に説得力があったようにも思われます。そ
れにしても社会もデフォルメを求めているといえそうです。

   灯り突き闇を蹴散らす除夜の僧

 正月は山に出かけませんでしたが、初日の出をイメージして作句しまし
た。

  初日の出待つ山頂に人並ぶ
  空灯し山耀かす初日の出

 登山・ハイキングの安全をお祈り申し上げます。


14 / 30
[前の10記事][次の10記事]
[記事検索] [カスタマイズ] [記事管理] [過去の記事] [トップへ]