旧掲示板(本掲示板は書込み不可です。新掲示板をご利用下さい。)
10記事ずつ表示
[新規投稿] [ツリー表示] [番号順表示] [タイトル&コメント]
[前の10記事][次の10記事]
15 / 30

225NHKの「氷壁」について前川整洋 12/31-22:22

掲示板・山SIG(http://www5a.biglobe.ne.jp/~YAMASIG/)に書き込んだ「なぜ山に登るのか」でNHKの「氷壁」について紹介したところ、DSN80012さんから次のコメントがありました。

 #6648にご紹介のあったNHKドラマ「氷壁」の予告編をたまたま見ました。この題名のドラマは以前にもあり、その時もあまり見なかったと思いますが、それでも大きな違和感を感じました。それは、その時記憶に残ったキーアイテムが違っていたからです。
 まず場所。前回は「滝谷」でした。今回は「K2」(ただし、撮影地はニュージーランドランド)。国内では、スケール感が足りないと言うことなのでしょうか?。筆者から見れば、そこらの里山でも挑むには十分大きな存在であり、冬の穂高岳とか言ったら十分極地なのですが(^^;)。もっとも、当時の映像の印象はスタジオセットだったみたいで、穂高の谷と言うよりはの吹き抜けの廊下みたいな感じでした。
 次に、用具。前回は「ナイロンザイル」でしたが、今回は「カラビナ」。ロープでは単純すぎると言うことでしょうか?。それとも、何らかの大人の事情で、ロープが切れてしまうような話はまずいのでしょうか(^^;)。こんなに変えてしまうなら、題名も変えて、全く別の話と言うことにして欲しいので
すが、何れにしても、今回もあまり見ないと思います(^^;)。山岳物は、ドキュメンタリーでも十分ドラマ性があり、多くの場合、山屋さんでない制作者や俳優の作るドラマだとウソっぽい感じが先に立ってしまうからです。

 このコメントに対し私は次のように考えました。
 これだけ内容をアレンジしてしまっているのなら、題名を変えるべきとのご意見はごもっともですが、「氷壁」は山岳小説の最高傑作であり、井上靖の代表作でもあります。あの「氷壁」をテレビドラマでまた見たいというオールドファンは多いはずです。それから穂高の岩壁は今もエキスパートの領域なわけですが、原作のままの穂高岳では登山が大衆化してしまい、なんとなく穂高も身近な存在になってしまっているので、「氷壁」のテーマである現代社会と山のフィールドの対峙ということが、若者世代にはアピールしずらいのかもしれません。
 小説は読者がイメージを湧き立たせるものであり、テレビドラマは脚色、演出と俳優の演技に妙味があるといえます。それにしても原作のイメージがどう残されているのか興味があるものの、PM10からの放映とのことで、私は早寝の習慣なので見られそうもありません。

224なぜ山に登るのか前川整洋 12/18-16:02

正月番組で井上靖原作の『氷壁』がNHKで放映予定です。山岳小説の傑作
は難しいとされています。山が舞台となっていると、ドロドロした人間の争
いを描きにくいからのようです。人間社会と山とが対峙した現代社会におい
ての、事故か自殺か他殺かのミステリーに男と女の関係が絡み合ったドラマ
です。
 『氷壁』が新聞に連載されたのは昭和31年です。モデルとなったナイロ
ンザイル切断事件は、昭和30年1月2日、前穂高岳東壁Aフェースで起っ
た三重岩稜会の石原国利たち三人の遭難でした。若山五郎(三重大1年19
歳)が転落死しています。当時の新聞はおおむね、「ナイロンザイルは切れ
るわけがない。石原らに何らかの過失があったのだろう」と報じられまし
た。著名な大学教授が公開実験をして、切れないという結果になります。こ
の実験装置はナイロンザイルを製造した、某建築資材トップメーカが作った
ものでした。この実験装置での岩角は、ヤスリですこし丸くしてあったこと
が、後年判明します。偽装というのはいつの時代もあると考えたほうがよさ
そうです。
 井上靖は昭和31年9月に穂高岳登り、初めて穂高連峰の雄大な景観に接
します。その下山のときナイロンザイル事件のことを聞き、同年10月に岩
稜会メンバーに面会し、翌月から連載がはじまっています。
 原作の舞台は穂高岳東壁ですが、NHKの『氷壁』は予告で見たところK
2になっていたようです。K2はエレベストより登頂が難しいとされている
世界第二位の高峰です。場所はヒマラヤではなくカラコルムだったはずで
す。こういった海外遠征隊では、登頂できるのは数十人中の数人だけです。
人間同志の争いは一般社会以上のものである、としばしば聞きます。
 現代は大衆登山が全盛の時代です。ここ5年ほどの私は、深田久弥の百名山
を年間6〜8座登っています。今年は7座登りました。
 登山をする理由は個々人で異なり、それぞれがユニークな理由をもってい
ると思われます。冒険的な登山ではなく、大衆的なもの対してですが、一般
論として次のように考えられます。

歩くという人間にとって根源的な運動が、自然景観の中で行える。登るとい
う行為には上昇志向が湧いてくる働きがある。高い所から見渡す爽快感、精
神がリフレッシュされることは言うまでもない。山でなければ見られない景
観は、雄大であるだけでなく、芸術的であり、宗教的である。反対に街での
景観は、機能によりつり出されたものであり、無機質な感じは否めない。自
然景観は生命感にも通じている。野生の動植物にも会える。それらには、社
会といういがみ合いや助け合いの中に生きているのではなく、自然の脅威と
恵みのフィールドで生きているたくましさと愛らしさが認識でき、そのこと
にも感動できる。

 都会の便利さに満足しきっている人、足腰のひ弱な人(足腰の軟弱な人ほ
ど山に登って頂きたい)、他に熱中しているスポーツや趣味のある人は、山
に登らないともいえます。

223有限要素法による耐震計算前川整洋 12/10-21:25

掲示板・山SIG(http://www5a.biglobe.ne.jp/~YAMASIG/)に書き込んだ「建築物構造計算書偽装事件4」に対して、P.waveさんから次の返信がありました。

構造計算偽装問題について、少しだけ触れておきます。
報道されている「必要強度の30%しかない」というのは、

Qu/Qun = 0.3 < 1.0

という式で、Qu: 保有水平耐力 Qun: 必要保有水平耐力 です。

これは、この柱に何本の鉄筋が必要かとか、梁断面はいくら必要か、という計算の話で
はありません。それは1次設計(許容応力度設計)で行われ、そこで設計した架構の保
有水平耐力は各階でいくらあるか、というのが保有水平耐力計算(2次設計)です。

一次設計の応力解析と2次設計の保有水平耐力計算は、「剛性マトリックス法」で行わ
れるのが一般的だろうと思います。建物の一次固有周期は略算式を使います。

最近は、保有水平耐力計算をせずに限界耐力計算法による場合もありますが、まだ一般
的ではありません。いずれにしろ、Qu/Qun = 0.3 では話になりません。存在自体が危
険という感じです。

私は有限要素法による振動解析にもとづく構造解析を、20年くらい前に1度だけ行ったことがあるので、その経験をもとに次の返信をしました。

Qu/Qun = 0.3 < 1.0
Qu: 保有水平耐力 Qun: 必要保有水平耐力

P.waveさんは上式で議論されました。一方、建築物の耐震計算経験式につては素人なので、断言はできませんが、上式のQu(保有水平耐力)は骨組構造から簡易計算で求め、Qun(必要保有水平耐力)には安全率がかかっていると考えます。
 担当技術者の手が空いていなかったことから、私は有限要素法で20年くらい前に、立型ポンプのポンプを含めた軸系の振動により生じる応力計算を一度だけ行ったことがあります。最初に固有振動数解析を行い、その1次から3次くらいまでの変位モードから、刺激係数というのを計算し、その刺激係数から軸系の応力値を求めたように記憶しています。耐震計算も同様な手法がとられるはずです。また、過去の代表的な地震波形(国際的に決まっているものがあるようである)を入力して、応答解析も行っているようです。機械メーカーでも原子機器ではかなりシビアーな耐震計算が行われています。耐震計算は振動と構造が相互に関連した解析となるので、通常の構造解析とは違う分野となります。私は原子力関係の解析にはほとんどタッチしていませんでしたが、担当者の仕事を見ていると、原子力ポンプでは、構造、振動、熱の解析イコール設計といった観を受けました。
 私は有限体積法での流れと熱解析を毎日にように行っているので、基本的には経験式では正確な値(安全率2.0以下でも安全な値)はでないと思っています。

222アジア環太平洋詩人会議2005その5前川整洋 12/10-14:50

音の響きと一連の言葉からの意味の合体から詩が生まれる。こうしてヨーロ
ッパにおいて詩という文芸が創られたわけです。外国語での詩の朗読を聞い
ていると、そのことが理解できてくるようでした。日本の口語自由詩は、内
容からの意味が先行したとされています。
 海外の詩人の朗読を拝聴しての感想ですが、朝鮮語は日本語と文法がほと
んど同じであることからか、日本語と同じように平板な感じで、他方、フラ
ンス語、英語、中国語は抑揚が大きく、大波小波が押し寄せてくるといった
説得力がありました。
 コンゴ人のカマンダ氏のフランス語での朗読は、アフリカ大陸出身の世界
的な詩人であるだけに大地の響きのような迫力でした。カマンダ氏の紹介が
ありましたが、愛知万博への出演で今年は3回来日されたそうです。彼は昨年
の「地球」の研究会にもゲストとして来られたことがあります。

     風の中の言葉       
                     *カマ・シウォール・カマンダ
                      (田井 淑江 訳)
先頭に立ち、私は風に言葉をもたらす
草むらに言葉をもたらす
そこでは私の祖先が私の魂の中に
ラフィアの茣蓙を織るでしょう
すると子供たちが
腰を下ろして夢を見るでしょう。
亡命の太陽が
私の宿命を照らしだす。
目醒めた詩の光が
スペクトルの波の中に反射している
孤独な天才の歌がそこに溺れている
友たちは想いを引き摺りながら
私の心の連なりの中に
言葉もなく残響もなく
不在と絶対を遠ざけている。

 *カマ・シウォール・カマンダ:アフリカの伝統に根ざした言葉を精力的に
紡ぐ現代の吟遊詩人。ポール・ベルレーヌ賞、ブラックアフリカ文学大賞な
ど多くの賞を受賞している。1952年、コンゴ民主共和国に生まれた。
(詩の日本語訳は、詩誌『地球136号』より)

221建築物構造計算書偽装事件4前川整洋 12/10-14:42

ゼネコンの鹿島建設と大林組も、構造計算書偽装のホテルを建設していたとのニュースがありました。いずれも下請けは木村建設であったとのことです。チェックできる手立てをもっていても、やる気がなかったと言わざるえません。黙認の構造とでのいえそうです。被害者の方々に対しては、税金をつぎ込むしかないわけです。国の負債750兆円にさらに1000億円くらい増えるのは、いたしかたないところです。
 振動や熱を含めて荷重のかかる構造物に対して実施される強度計算について、私の経験から少々考えてみます。
 強度計算からの材料厚さに対し、必ず安全率を掛けます。安全率2.0ならば、鉄筋10本で破断となると、鉄筋20本で設計します。1建築士といても構造解析の専門家ではないので、骨組み構造を、経験式や実験式を含めた初等力学で計算しているのではないか、と予想されます。この場合の安全率は2.0以上となります。有限要素法(Finite Element Method)で解析してあれば、おそらく安全率は、2.0以下にできるはずです。(機械設計では2.0以下にできます)このあたりはJISや国の基準があるはずです。
 基準の計算値の30%しか強度がなかった、といった言い方のニュースが頻繁に聞かされていますが、その計算値自体どれほどの精度なのか疑問があります。その精度のあやふやさを、安全率でカバーしているわけです。安全率が3くらいであれば、基準の30%の強度であっても有限要素法で解析した結果、最低限の耐震性ありとの結果も考えられます。
 機械設計では、従来とかなり違った形状は、有限要素法で解析し、その後の類似形状は比例設計するのが普通です。有限要素法はコストと作業時間がかかるので、どの物件にも適用するわけにはいきません。
 高層ビルの建設に新技術の開発・確立が集中してきたようにも思われます。10階くらいのビルについては、耐震計算法もチェックの仕方も、どれほど技術の開発が行われきたのか疑問です。一方、10階くらいのビルに対して、震度8にも耐えられる、ビルの断面形状(断面形状によって曲げの力に対する剛性である断面2次モーメントを計算できる)に対しての各階に必要な柱の数、柱ごとの鉄筋の直径と数を、有限要素法で決めることはできそうです。それを法制化すればよいのではと思います。国も建築会社も、本気では取り組んでこなかったと言えそうです。関係者の処罰とともに、被害者の方々に対しての税金よる救済は、当然と言えます。

220アジア環太平洋詩人会議2005その4前川整洋 12/4-17:02

 今年は55周年記念の詩人会議でしたが、例年は「地球の詩祭」が催さ
れ、音楽家の演奏のほかに音楽の伴奏や舞踊をともなった詩の朗読などが上
演されています。
19日の詩人会議では、アメリカ人の演奏家・ティム・ホッフマン氏によ
る、インドの金属音のする弦楽器を奏でながら、松尾芭蕉の俳句「この道や
行く人なきに秋の暮」と「名もなき山」が中七に出てく句をそれぞれに繰り
返し朗読する、といった演奏がありました。「名もなき山」の方は芭蕉の原
句がアレンジしてあったようです。文学と音楽を融合した芸術と思われまし
た。しかしながら芸術にはいろいろな手法があるものだと驚きます。
 前夜祭ではティム・ホッフマン氏による尺八でのインドの民族曲の演奏が
ありましたが、珍しくはありましたが、あまり迫力は感じませんでした。琵
琶で朗読する「祇園精舎の鐘の声」がわ国の伝統芸能として知られています
が、琵琶の音色は奥へて深まっていく感じですが、インド楽器の金属音は外
へ広がっていく感じで、まさに芭蕉の小宇宙が展開されていました。まだ、
あの不思議な取り合わせの音色や響きが耳に残っています。
 「この道」の句は、芭蕉が歩んでいる俳諧の道を述懐したものという解釈
が一般的です。しかし・ホッフマン氏の演奏からは、人のいない道、人が居
そうでいない秋の暮の淋しさとセピア色の美的情景が伝わってきました。

219建築物構造計算書偽装事件3前川整洋 11/29-20:33

この事件では、これほどの大規模なゴマカシをなぜチェックできなかったのか、私はコンピュータによる技術計算を30年近く仕事としてきただけにありえない、と言葉がありません。
 私が担当している流れ解析(熱移動と燃焼も含む)も、構造解析も同様なはずですが、計算のやり方は、見積もり、計画設計、製品設計と進むにつれて実機に近い、というか忠実な解析モデルを作り、計算結果の精度を上げていきます。当初は、図面からの詳細データを入力しなくても、大雑把な入力でかなりの精度で耐震強度は分かるはずです。簡単な入力で不信があれば、詳細の入力に進めばよいということです。こういうのは設計の普通のルーチンです。
 ビルの幅、奥行き、高さ、各階ごとの柱の本数、柱ごとの鉄筋の数の入力だけかなりの精度で耐震強度は計算できるはずです。こういう簡易入力法をパラメータ入力と言っています。私の仕事の1/3くらいは、簡単な入力で複雑な形状を作り出すことに費やしていたこともあります。
 ゼネコンといわれる建築会社であれば、さまざまの簡易入力のプログラムをもっていて、ビルの計画設計段階でいく通りもの形状や構造について耐震強度をチェックした後、最終形状が決められているはずです。その形状について詳細の計算を行い、高層ビルであれば模型実験も行ていると考えられます。
 わが国では、超音速ジェット旅客機の開発プロジェクトもはじまったと聞いています。また、今は中断していたと思われますが、高速増殖炉と呼ばれる最高レベルの原子炉の開発も行われいます。高速中性子によりプルトニウムの核分裂を発生させ、ナトリウムにより発生した熱を運ぶという凄い技術レベルの原子炉です。これらの開発は、世界最先端の解析技術があって、はじめ可能になってきます。専門用語では技術計算は解析といっているのは、物理現象を支配している偏微分方程式から厳密に解いているからです。世界最先端の計算技術をもつわが国において、計算結果をごまかしたり、それをチェックできなかったりしたということは、ありえないような時代錯誤の事件です。真相が究明されるにしたがって、いかに技術者がいなくて、詐欺師が多かったということになっていくようです。

218建築物構造計算書偽装事件2前川整洋 11/27-20:11

今日(11/27)の日本テレビの「真相報道バンキシャ」で、構造計算書
儀偽装のあったマンションにおける柱の鉄筋の実測が行われていました。1
階と4階の柱中の鉄筋数が4本で同じになっていました。揺れる根元の剛性
が大きくないと、あっけなく崩落してしまうはずです。これでは建設の専門
家でなくても不正設計と分かるので、手抜き工事のようです。
 今回の偽装のように正常設計の30%の強度しかないというのは問題外で
すが、効率的で安全な設計では、鉄筋をやたら増やせばよいというものでも
なく、根元のように荷重の集中する箇所を徹底的に強化することになると思
われます。風に柳で、現在の設計はかなり柔構造になっているようです。五
重塔は木造ですが、地震での倒壊例はないとされています。また、テロで崩
壊したニューヨークの貿易センタービルは、中央に柱がなく鳥かご構造にな
っていたので、人が逃げる間もばく崩落したとされています。
 今回の事件はそういた構造の最適化云々の問題ではなく、単純に鉄筋の数
が少なく、柱が細く、壁が薄かったということです。設計図を見ただけで、
また、工事現場において多くの技術者や作業員は、不正建築に気づいていた
はず、といわざるをえません。社会全体がおかしなことになっている気さえ
します。

217アジア環太平洋詩人会議2005その3前川整洋 11/27-19:29

プロのつづみ師の伴奏をともなった、日高てるさんの自作詩「讃歌・ヒマラ
ヤの風をうけて―野生稲保存を提唱する彫刻家 田辺光彰をたたえて」の朗
読は、凄く迫力がありました。この詩は彫刻家・田辺光彰氏の作品「MOMI」
を讃えた詩です。稲の歴史を辿る籾の鋳造品は、幾つか作られていて、その
一つにインドが発祥である稲の原種・オリザ・ルフィ・ポゴンの籾が、ステ
ンレス鋳造で野外のモニュメントとして作られています。このモニュメント
は、インドのオリッサ州カタックの国立中央研究にあります。田辺光彰氏も
来場されていて、司会者からの紹介がありました。
 プロの詩人である日高てるさんは、舞台俳優ように声に張りがありまし
た。つづみのポンポンポンという響きと詩の畳み掛けてくる調子が共鳴し
て、稲の原種発祥の地に立っているかの臨場感が湧いていました。つづみの
澄んだ響きは、まさにヒマラヤの風のようです。

216「日展に行ってきました」のコメント前川整洋 11/25-20:02

掲示板・山SIG(http://www5a.biglobe.ne.jp/~YAMASIG/)に書き込んだ「日展
に行ってきました」に対して、画家の幻☆さんから次の返信がありました。

私もいちおひととおり見ていますが、

>日本画は色調が抑えられていて、どの絵も松尾芭蕉の侘び・寂びの世界を表
現しようとしている観があります。

ん〜、「どの絵も」というのはちょっと独断のような気がしますが。
最近では洋画的な主観を強く出した作品も多いように思われます。
最高賞の大臣賞を取った作品もそんな感じですが。
風景にしても、侘び寂びだけとは言えないと思います。

> 選者が毎年同じなので、毎年同じような絵を見ているようでもあります。

選者も同じですが、作者も大きく変わることは無いので当然同じ傾向になる
のは必然ですね。

>抽象絵画をもっと見てみたいとも思われます。

日展は具象画中心の展覧会です。
新しい抽象絵画をご覧になりたいのであれば、自由美術だとか新制作展を見
られたらいかがでしょうか。(今年は終わりましたが)

幻☆

http://www5a.biglobe.ne.jp/~fgallery/


15 / 30
[前の10記事][次の10記事]
[記事検索] [カスタマイズ] [記事管理] [過去の記事] [トップへ]