215 | 日展に行ってきました | 前川整洋 | 11/24-21:05 |
毎年、日展に行っていますが、今年は仕事の区切りがつかず、何とか最終日 の今日(11/24)休暇がとれ行ってきました。土日曜は混むので、避け ています。 絵画は日本画と洋画に分かれています。日本画は色調が抑えられていて、 どの絵も松尾芭蕉の侘び・寂びの世界を表現しようとしている観がありま す。洋画では写実画や主観を加えた写実画がほとんどです。ピカソやマチス のような抽象絵画は数点だけでした。その絵もピカソやマチスの二番煎じ的 です。抽象絵画では新しい作風は難しいのかもしれません。 選者が毎年同じなので、毎年同じような絵を見ているようでもあります。 郷愁やさびれてゆく風景を表現した絵が多いようです。抽象絵画をもっと見 てみたいとも思われます。 |
214 | 建築物構造計算書偽装事件 | 前川整洋 | 11/24-21:03 |
ビルの強度計算書を建築士が、偽装していた事件が大きな社会問題という か、社会不安を引き起こしています。鉄筋の柱や梁の数を減らし、建設費削 減や居住空間の拡大を図り、多くの設計注文を取っていたとされています が、建築会社から偽装の指示があったの供述もあったとのニュースも入って います。 技術者という者は、金とか地位とかに関係なしに、本能的に安全設計と最 高性能に向けてベストを尽くすものです。私は入社3年目から6年くらい、 機械製品の構造解析を担当して、その後は流れ解析を担当してきました。流 れ解析では熱移動や燃焼の解析も含まれています。 NHKスペシャルで見たところでは、ビル強度計算のためのプログラム入 力は非常に単純で技術者ならではの妙味は感じられませんでした。外部から の荷重に対し材料内部に生じる力を専門用語で応力といっています。機械設 計では、というより建築設計でもこの応力が最大になる箇所と大きさを有限 要素法といわれり方法で求めています。共振を起こす振動数(固有振動数) もこの方法で計算しています。最大応力の箇所に対して材料を厚くしなけれ ば、安全設計の機能は果せないといえます。機械などの構造物全体の材料を 厚くしたのでは、コストも上がりますが、機械として仕事ができなくなるこ ともあるからです。簡単に言えば、飛行機では重たくなれば、飛べなくな り、自動車では頑丈すぎると、衝突したときのエネルギーの吸収ができなく 人へのダメージが大きくなります。有限要素法の世界的なプログラムには NASAの開発したNASTRANなどがあります。有限要素法ではどんな複雑な局面形 状の車体やケーシング、入り組んだ筐体でもその形状をコンピュータ上での 数値データで再現しなければならず、3次元CAD(立体形状作図生成グラフィ ックプログラム)への入力をいろいろ工夫してなんとか業務を遂行します。 流れ解析もほぼ同じ方法なので、形状の数値データが正確にできずに苦悩の 日々を過ごすことが多くあります。 専門用語で複雑な物理現象を近似式や実験式に置き換えることをモデル化 といっています。構造解析ではボルト結合箇所のモデル化、流れ解析では気 泡を含んだ流れ、水面の影響を加味した流れなどのモデル化が難しく、各メ ーカーが技術を競っています。エンジニアリングの技術計算は正確に出した くても、なかなか難しい問題が多くあります。一方、不正確な計算結果は職 を失うことにもなりかねません。技術者にとって正確な計算値が、より簡単 に出てくれれば、職を失うリスクもなくハッピーといえます。 正確な計算値を危険なもに書き換えたという今回の事件。技術者ではな く、1級建築士という資格をもった、民衆無視の貴族化した者による事件と もいえる反面、個人だけではできない面もあり、業界ぐるみともいえます。 罪のなすり合いの状況になってきました。それにしても、私はただ茫然とし ています。 |
213 | アジア環太平洋詩人会議2005その2 | 前川整洋 | 11/22-21:28 |
詩誌『地球』が主催している「地球賞」の『在日コリアン詩選集』(森田 進、佐川亜紀・編、土曜美術出版販売刊)への贈呈と森田進氏、佐川亜紀氏 の受賞のあいさつなどがありました。前夜祭では在日朝鮮人の人たちのスピ ーチや詩の朗読がありました。かつての日本は妙な政策をしたことが、改め て実感しました。国籍もなく暮らす人々の悲哀、祖国への郷愁と誇りなどが 切実に伝わってくる内容でした。外見的には日本人とほぼ同じわけですが、 国籍が違うことが、天地の違いになってしまうわけです。植民地であったこ とが南北朝鮮へと至ってしまったという話もありました。 25年ほど前に韓国のヒュンダイという重工メーカから技術者が勤務先に研 修にきていて、世界で最も使われている構造解析プログラムNASTRANの使い方 を教えたことがあります。当時は日本でもNASTRANのセミナーはありませんで した。そのとき韓国語で茶はチャーであると聞き驚きましたが、一般的に韓 国の技術者は英語と日本語ができることにも驚きました。文化レベルはわが 国に劣らないほど高いといえます。 詩人の長谷川龍生先生は2年ほど前に、日本の終戦記念日、韓国の勝戦記 念日に合わせて韓国を旅行されましたが、そのときいろいろと韓国の実情を お聞きしました。中央アジア系の人も多い、若者は礼儀正しい、雅楽など古 代日本文化のルーツにあたるものもがある、物価は日本の半分以下、などの ことが記憶に残っています。 何かとギクシャクした日韓関係ですが、現代詩を通しても交流を深めてゆ かなければなりません。 |
212 | アジア環太平洋詩人会議2005その1 | 前川整洋 | 11/20-20:32 |
11月18日〜20日、詩誌『地球』創刊55周年記念のアジア環太平洋詩 人会議が、品川プリンスホテル新館で開催されました。メインテーマは「自 然の生命の声を世界に」です。 私は18日の前夜祭と19日の詩人会議に出席しました。前夜祭はフルー トなどの演奏と海外の詩人の詩朗読でした。 19日の詩人会議では現代詩を指導して頂いていたことのある長谷川龍生 先生も来場されていて、1年半ぶりにお会いしました。ご挨拶かたがた少し 言葉を交わしただけでしたが、横浜文学学校で勉強していることなどを伝え ました。懐かしいという感慨とともに、先生の講習を受講していた頃のこと が思い出されました。 長谷川先生とは自然の意義の活かし方に違いがあるとともに、宗教観にも 大きな差異がありました。先生は宗教も資本主義の経済活動の一貫として捉 えられていたようなことが思い出されます。私はもっと純粋なものを見出せ ると考えています。 数回にわけて、詩人会議での印象に残ったことを紹介したいと思いま |
211 | 「地球への扉」と「横浜文学学校」をリンク | 前川整洋 | 11/13-20:36 |
私が所属している詩グループ「地球」と、受講している「横浜文学学校」の ホームページをリンクしました。「横浜文学学校」は第1、3木曜日のPM 7:00〜9:00で、受講しています。 詩グループ「地球」の正式名は現代詩創作集団「地球」です。今月18日 〜20日には詩誌『地球』創刊55周年記念のアジア環太平洋詩人会議が、 品川プリンスホテル新館で開催されます。メインテーマは「自然の生命の声 を世界に」です。海外の詩人の詩朗読とスピーチなど、普段できない勉強に なることを期待しています。 「横浜文学学校」の講習は受講生の作品の合評・講評が中心です。私はエ ッセイと評論を提出しています。合評では作品が独りよがりにならないよう にする、講評では先生からのプロレベルの指摘を受けてレベルアップを図 る、といったことを目指しています。 |
210 | 四阿山からの富士山 | 前川整洋 | 11/5-20:55 |
四阿山(あずまやさん・2354m)はあまり知られていない山ですが、深 田久弥の百名山に入っている山で、山の形が四阿に似ていることに由来して いる、とされています。 11月2日に登山口の菅平に着きました。翌日に天気は午後から曇りの予 報なので、今日中に登る決断をして、12時15分、宿泊のペンションを出 発しました。15時35分に四阿山山頂に着きました。浅間山が目の前で、 浅間連山の後方には、富士山も見えました。雨飾山からの富士山よりだいぶ 大きく見えていました。 隣山は麓もみづる浅間山 下山では北アルプスほぼ全山が、残照により宇宙的色合いで真っ赤に縁ど られていました。途中でヘッドランプを点して歩きましたが、登ってきた道 かどうか、不安に駆られた箇所もありました。 翌日は再度、四阿山に登り根子岳まで縦走しましたが、小雨にも降られ、 無理してよかった結果となりました。 |
209 | 「現代詩を通しての自然」の講評 | 前川整洋 | 10/23-18:48 |
10月20日、横浜文学学校(http://art.upper.jp/yokobn/)で宮原昭夫先生による、「立原道造の詩を通しての自然」ほか2編の講評がありましたが、なかなか厳しい批評でした。まずは、結論へのプロセスを強化する必要がある、ということです。 それから、なぜだか分からない断定が多かった、との指摘がありました。そこがまた面白かった、とも付け加えられていました。一例として立原道造のところでの、「山から上がる烟からは、ドラマの始まりか終わりを連想させられる。火の山の麓での失恋物語には、哀愁が漂う。それは街中での失恋物語が無味乾燥の悲哀だけであるのに対し、いつまでも心に沁みるほのかな灯が点っている」とあるが、街中での失恋物語が、いつも無味乾燥とはいえないのでは、という指摘でした。 この問題の上がった詩は、浅間山麓での次の立原道造の詩です。彼の代表作でもあります。 はじめてのものに ささやかな地異は そのかたみに 灰を降らした この村に ひとしきり 灰はかなしい追憶のやうに 音を立てて 樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった その夜 月は明るかつたが 私はひとと 窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた) 部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と よくひびく笑ひ聲がもれてゐた ―人の心を知ることは……人の心とは…… 私は その人が蛾を追う手つき あれは蛾を 把へようとするのだらうか 何かいぶかしかった いかなる日にみねに灰の煙の立ち初めたか 火の山の物語と……また幾夜さかは 果たして夢に その夜習った*エリーザベトの物語を織つた *「エリザベートの物語」は、ドイツ浪漫派の詩人シュトルムが、「みずうみ」で書いたはかない失恋物語である。 私としては、アウトドアー派の一般論的に考えていました。なぜそう言えるのか、となると戸惑ってしまいます。改めて考えてみますと。自然の中には人の感情とは別の温もりがあり、明日につながるほのかな灯を点してくれはずであろう、と言いたいと思います。 |
208 | 現代詩を通しての自然 | 前川整洋 | 10/16-19:40 |
山と自然に係わりのある文芸についての評論にも取り組んでいます。横浜文学学校(講師・宮原昭夫先生)の合評・講評に「立原道造の詩を通しての自然」「中原中也の詩を通しての自然」「三好達治の詩を通しての自然」の3編を提出しました。10月6日にそれらの作品の合評が行われましたが、10月20日には宮原先生の講評が行われる予定です。予想したことですが、合評については賛否両論でした。 昨年まで受講していた文藝学校の現代詩講座で、長谷川龍生先生により、私の作風に対し全面的に否定するかの批評を受けました。長谷川先生は社会思想をテーマにした現代詩の第一人者であることからも、私の自然諷詠をベースにした作風を否定されるのは、当然の成り行きともいえます。 そこで、自然描写を中心にした現代詩の意義を再認識したいこともあり、積極的にそれらを探求すべき評論も書いています。 確かに自然描写に終始していたのでは社会性や思想性に乏しく、それにこだわりすぎると時代の潮流に取り残される、といえないこともありまん。一方、自然に佇み、身を置くことに生きていることの実感を味わうことができ、そのことにより発展的な世界観、社会観、歴史観、宗教観、自然観を身に付けることができる、ともいえます。 合評では次のような論評があり、考えさせられました。 教科書的に書かれてあって、普段読むことのない詩の勉強になった。しかしながら、3編ともに言えることだが、最後の結論が雄大というか、大きな問題の提起になっていて、その解説がなされていない。例えば、「立原道造の詩を通しての自然」においての結論として、「道造の詩は、はかない人の一生であっても、自然のもつ幻想感やリズムに佇みゆらめくことで、悠久の魂が得られることを伝えている」としている。この結論がどのように導き出されたのか分かりかねた。そこのところをもっと論考してもらいたい。 私としては、結論については漠然と感じたことを書いたともいえることですが、考えを深めて書き加える必要があるといえます。 |
207 | 雨飾山からの富士山 | 前川整洋 | 10/3-20:12 |
先週の土曜日(10/1)、日本海を見下ろせる雨飾山に登りました。今に も雨が降りそうで、山頂では曇天でした。私が気づいたのではないですが、 戸隠山のギザギザの間に尖った台形の山があり、それは富士山で間違いなし でした。帰宅してから地図帳を開き確認したところ、かろうじて八ヶ岳とは 重なっていないようでした。やはり富士山でした。西からだと名古屋の先の 桑名から見えている距離です。 雨飾山より富士が秋と思ふ 「秋と思ふ」は散文的なので、俳句では「秋澄めり」となるようです。しか しそのとき、やはり秋の空は澄んでいるんだ、と思いました |
206 | 白檜と大白檜 | 前川整洋 | 9/24-21:52 |
聖岳の山行報告で、聖平小屋付近の針葉樹は唐檜であろうと書きましたが、 どうも大白檜のようです。白檜と大白檜はよく似ていて素人には区別が難し いとされていますが、大白檜の別名は青森椴松であることを忘れていまし た。青森椴松と白檜は、だいぶ違います。 白檜は、幹は白っぽく、枝ぶりもスマートです。一方、大白檜は、幹は粗 っぽく、枝ぶりがごっつい感じです。大白檜はむしろ唐檜に似ている、とい えます。 私の経験では、針葉樹でもっと広く分布しているのは白檜といえます。秩 父の国師岳から甲武信岳の縦走路では、延々と白檜の森を歩き続けます。 そのときの真白な幹が深く印象に残っています。 白びその幹の白さに秋澄めり 大白檜といえば、苗場山の山頂の湿原を取り囲んでいる大白檜の林が思い 出されます。北欧風の景観を描き出していました。 湿原を仕切る椴松秋澄めり |