403 | 「白露4月号」の山の俳句 | 前川整洋 | 3/28-21:14 |
花粉症の季節でまだ山には出かけていません。いろいろと創作活動に忙しく て、掲示板には何も書き込んでいませんでした。心機一転、俳句誌「白露」 掲載句の中から山の俳句選び紹介していこうと思います。 山の名を聞いては忘れ龍太の忌 所沢 矢野潤水 吟行で目にとまった山の名を聞いてはみるが、未知の山であればすぐに忘れ てしまう。「白露」前身の「雲母」主宰の飯田龍太先生は山国の俳人として 知られていた。山の名とともに龍太先生のことが去来したのであろう。 寒に入る鈴鹿七峰乱れなし 鈴鹿 竹内郁代 そう高い山ではないが、清冽に峰が並ぶ。まさに寒の入りである。 すこしづつ雲の剥がれて斑雪山 福岡 市橋忠明 「斑雪山」は、「はだらやま」と読み、残雪の山であるが、縞状に雪が残っ ている山がイメージされる。幻想感のある雰囲気が、徐々に雲が離れ一段と 幻想的となっている。 |
402 | 現代詩創作集団「地球」研究会1月31日 | 前川整洋 | 2/1-17:00 |
現代詩創作集団「地球」研究会が1月31日、北浦和労働会館で開かれました。 斉藤正敏氏の挨拶では次の話しがありました。 秋谷豊代表は、「地球の詩祭」の4日前の11月18日早朝に急逝された。幕引きまでドラマチックであった。今でも生きている感じがするが、事実として認めざるをえない。年をとられてからも赤いセーターがよく似合った。 会計報告が小林登茂子氏からありました。 「地球のこれから」について新川和江氏と石原武氏から次の連絡がありました。 新川和江氏:きちっとした会計報告に驚いた。秋谷さんのことだからどんぶり勘定かと思っていたが、そんなことはなかった。秋谷さんが広告塔であったが、それぞれの役員が役割を果たしているのが分かった。秋谷さんは詩人としても優秀であったが、イベントの名人でもあった。「地球」は60年つづいたが、文芸誌はそう長くつづけるものではない。これからは新しいノロシを上げていただきたい。 石原武氏:秋谷さんのいない「地球」はありえない。編集委員の総意で「地球」は終刊とすることになった。秋谷さんの意向を、それぞれの自分たちの仕事に活かして頂きたい。 『地球147号』掲載詩に対し、中島登氏、斉藤正敏氏、大石規子氏、川中子義勝氏、谷口ちかえ氏、堀込武弘氏、鈴木豊志夫氏による詩評がありました。印象に残った指摘として、次のことを挙げておきます。 ・ 戯画的でオートマティスム(自動記述)があるが、本当に意図したことが伝わってこない。自分が喜んでいるほど、読者は喜んでいない。笑いのツボもよく分からない。 ・ いろいろな言葉がくり返し出てくるところにリズムがある。 ・ 文明の進化の状況を「ガラスの箱船」というシテュエーションに置いている。読者とのはっきりした通路があった方がよい。 ・ 作者は砂漠、シルクロードなどの失われたものを拾い上げることにかけている詩人である。日常の中のこともダブらせるともっとよくなる。 ・ ほとんど平仮名だけの詩。文節で一文字あける、硬い言葉を入れるなどの工夫をしているが、なかなか難しい。 ・ 地震がきたらひとたまりもないことを体験的に書いている。体験だけでは詩はできない。虚がないと。どこかでひとたまりもない状況にしてしまって欲しかった。 ・ 時代物の大衆小説の設定で面白く読めた。叙事詩なので行分けではなく、散文詩にした方がよかった。 ・ 地震のときの動作を面白く書いている。おかしな行動をとることがあるが、それが実相でもある。 ・ 鎮魂詩は情が入りすぎることから難しい。 ・ はじめた訪れた韓国の美しさを追求している。 ・ 詩の国である韓国の現状にある緊張感が伝わってくる。 ・ 詩での時間は、美と道徳と宗教に分けられる。メタファーはAがBであるということではなく、感動や驚きを一言で言うことである。 ・ オゾンホールによる危機を詩にしている。最後の一句「水中深く潜るしかない」は、もう少し何とかしてほしいと思った。 ・ 祖父のことを書いているが、もう少しエピソードがほしい。 ・ エクスタシーにおちいってはダメ。もっととぼけた方が良い。現実を面白く捉えようとしたほうがよい。 ・ 何を書いているのか分かりずらいところがあるが、朗読を聴くと納得してしまう。 ・ 寝たきりの両親の世話をする従兄弟の生きざまは、詩になってはいるが、演歌・浪花節の世界と紙一重。事実が重すぎて、話に寄りかかっている。 ・ 香港の空を書いているが、もっと固有性をもたしてほしかった。 ・ 命の大切さを訴えつつも、助けるに助けられないことを言っている。すじが分かるやすくなるような、組み換えがあった方がよい。 ・すれ違う出来事を出発点にして、非日常的なこと表現している。 『地球147号』には拙作「縄文杉」が掲載されています。この詩についは谷口ちかえ氏の次の批評がありました。 老木の迫力は、三峰神社わきの杉の大木などで私も体験している。山行の記録としてたどっている。山に行かない人も、何かを共有できるように書いてある。2連目の「奇怪さ 崇高さ 親密さ」は書いてなくても、詩に表現されてあるので、いらないと思った。 |