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341新宿御苑の紅葉前川整洋 12/7-11:19

昨日(12/6)、新宿御苑に紅葉を見に行ってきました。思うことはいつ
も同じで、関東、東北南部の山では10月中旬から11月初旬が紅葉期に対
して、12月に入ってからとはなんともいえないタイム・ラグです。今年は外
国人も多く見かけました。鮮やかな色彩というより、ほのぼのとした色合い
で、山の紅葉とは違ったよさでした。

      色くらき紅葉もありてそれもよし
      そのままで色を加えず薄紅葉

340「地球の詩祭2008」前川整洋 11/23-17:01

11月22日(土)、さいたま新都心・ラフレさいたま3Fで開催された地球
社主催の「地球の詩祭2008」に参加しました。11月18日に「地球」の
秋谷豊代表がご逝去され、この日にあった告別式に出席してから詩祭会場に駆
けつけました。次のような内容でした。
開会挨拶 斉藤正敏氏
告別式と詩祭が一致するとは、最後までドラマティックな男であった、との
一言があった。
第1部 第33回地球賞贈呈式
鈴木豊志夫氏、大石規子氏の司会で進められた。
授賞式で新川和江氏から、今回の受賞者はカソリックなので、キリスト教で
は昇天ということもあって、死は悲しむことでもないので、告別式と受賞の
お祝いが重なっても問題ではなかった、という一言があった。
選考経過報告
受賞作は中村不二夫氏の詩集『コラール』
(1) 尾花仙朔氏の選考感想
秋谷さんの逝去は、戦場で兵士が突如倒れたという感じである。「地球」で
生き、「地球」で死んだ。
キリスト教の愛と信仰を体現した詩である。哲学、形而上からは神は絶対者
である。一方、人が生きる上では絶対はない。しかし、人が人を殺めること
は、絶対あってはならない。一神教は紛争の歴史であったが、日本の宗教も
戦争に加担した歴史がある。この詩集ではキリスト教の負の部分を解説して
いる。神の愛は自己犠牲であり、隣人愛は人類愛である。神の愛と隣人愛を
中核として詩が作られている。
(2)神品(こうしな)芳夫氏の「中村不二夫の詩の世界」
中村さんは1980年代にデビューして、ポスト・モダニズムを目指してき
た。

第2部 緊急企画・追悼秋谷豊さん―秋谷豊と戦後詩を歩むー
石原武氏の司会で進められた。
石原武氏:大きな木が倒れた思いで、動転している。先日の会合で会ったと
きは、「今回の詩祭は60周年記念のプレリュードにしなくては、60周年
記念の後はネパールに行こう」と言って、かくしゃくとしていたのに、信じ
られない。日本の最後のロマンチストが逝ってしまった。
伊藤圭一氏:私もショックを受けている。丸山賞の選考でよく会っていた。
遺体の口はきゅと締まっていて、武士のようで、やったぞという顔であっ
た。心残りもあったはずなので、それを大事にしていかなくてはならない。
海外に出向かれていたが、自分の生き方を相手に説得していた。
新川和江氏:韓国のキム・カムリンさんが、「同人誌で50年以上つづいて
いるのは珍しい」と言っていた。主人が亡くなって13年になるが、秋谷さ
んとは家族以上に長いつき合いであった。最後の文学青年でもあった。
菊地貞三氏:現代詩の青春時代を乗り越えてきたが、戦後詩の一つの時代が
終わった。秋谷さんは本質的には抒情詩人であった。「荒地」、「列島」の
間に「地球」があった。思想、社会批判を標榜しなければ現代詩ではない時
代に、ネオ・ロマン主義のテーゼをもちだし、勉強会を開いた。当初はネ
オ・リリシズムといっていて、人間性の回復を目指した。

第3部 ライブ「日韓現代詩交流35年記念」
鈴木正樹氏、ささきひろし氏の司会で進められた。
秋谷さんとの活動の思い出をまじえながら、韓国訪問の話が語られた。
話をされたのは、石原武氏、北岡淳子氏、佐川亜紀氏、傳馬義澄氏であっ
た。秋谷さんは他人任せではなく、スケジュールの細部まで自らが決められ
ていたことに驚いた、という話が印象に残った。

339現代詩創作集団「地球」秋谷代表逝去前川整洋 11/23-16:55

現代詩創作集団「地球」の秋谷豊代表が11月18日にご逝去されました。昨
日11月22日、浦和での告別式に出席してきました。後日に「お別れ会」があ
るということです。年齢を感じさせないほどお元気な先生だっただけに突然
の訃報に茫然とした次第です。

   小春日の裂かれ茫漠秋谷逝く

 秋谷先生はネオ・ロマンチズムを提唱され、希望をきり拓くような現代詩
の活動をされてこられました。
 私は10月に久しぶり谷川岳の一ノ倉沢出合を訪れ、うす暗い岩壁に圧倒
されましたが、気持まで凍りつくことことはあってはならないと思います。

   一ノ倉沢まだ凍てず秋谷逝く
   稜線に夢想のうねり秋谷の忌

 秋谷豊先生のご冥福をお祈り申し上げます。

338蓬峠から谷川岳前川整洋 11/16-18:41

平成20年 10月17・18日
世界でもまれにみる遭難多発の山として有名であった谷川岳であったが、遭
難のニュースはほとんど無くなっています。過去の遭難の経験がいかされて
いるのことと思われます。2000mないのは意外ですが、太平洋側と日本
海側の気象上の境界にあるため厳しい風雪にさらされ高山の風貌をしていて
います。とりわけ一ノ倉沢は垂直の岩壁群で、遭難の多くはここで起こって
います。
 学生とき以来登っていない谷川岳に登ることにしました。谷川岳・万太郎
山・仙ノ倉岳・平標山縦走と白毛門・笠ヶ岳・朝日岳縦走はしているので、
今回は能倉岳・茂倉岳・一ノ倉岳・谷川岳を縦走しました。
 武能岳から茂倉岳までは一人歩きを満喫できましたが、双耳峰・谷川岳の
オキノ耳、トマノ耳とも登山者で溢れそうでした。秋天下の上州の山々が一
望でした。
コース:
 土合 〜 マチガ沢 〜  一ノ倉沢 〜  幽ノ沢 〜 蓬峠(泊) 
 〜 武能岳 〜 茂倉岳 〜  一ノ倉岳 〜  谷川岳 〜 天神平 
= ロープウエイ山麓駅 =(タクシーの相乗り) 水上駅

 午前10時に土合駅に着き、オーバーではあるが天まで伸びていそうな階
段を登り、地上の改札口に出る。舗装路を歩いてから林道に入り、沢沿いを
進む。山道となってから分岐を右に行き、ロープウエイ駅からの林道に出
る。すぐにマチガ沢を見上げる休憩地に着く。黄葉も薄暗く岩壁が屹立して
いた。紅葉の白毛門と笠ヶ岳も近くにある。次に一ノ倉沢出合の休憩地に来
る。ここも観光客で一杯だ。不気味なまでに厳しく岩壁群が聳えている。
   うす暗き一ノ倉沢にも紅葉
 幽ノ沢を過ぎてから林道と別れて山道を下り新道に出る。緩やかな登り坂
はだいぶ登ってから急坂となり、小さな避難小屋の白樺小屋を過ぎる。山腹
を巻きながら登る。広い熊笹原に出る。所々に潅木紅葉が夕日のなかで灯る
ようにある。午後3時50分、蓬ヒュッテに着く。
 翌朝は5時55分に出だす。昨日の分岐を過ぎてさらに熊笹原を進み登り
となる。平坦になった所で谷に滑り落ちそうな裸地を二度通り、武能岳に着
く。万太郎山から仙ノ倉岳への稜線が近い。遠くにには平な苗場山があっ
た。谷川岳は茂倉岳に遮られ見えない。
 ひと下りしてから熊笹の道を登りつづけ、茂倉岳に着く。すぐ隣りに一ノ
倉岳があり、その先には谷川岳の双耳峰があった。万太郎山とは反対側には
武尊山があった。その左には日光白根山、至仏山、燧岳と見えている。一ノ
倉岳へは少し登っただけで着いた。熊笹に囲まれた狭い山頂だった。熊笹遮
られ一ノ倉沢は見下ろせない。
 下りはじめると、一ノ倉沢が見下ろせた。潅木のまばらな急坂を下り、岩
稜伝いを進み、急坂を登り返す。平坦な痩せた岩稜線に出る。一ノ倉沢が一
望に見下ろせた。ここは「ノゾキ」という場所だった。日が差して明るいた
めか、見下ろしているためか、それほど不気味さは感じない。急坂を登り、
鳥居をくぐり、オキノ耳(1977m)に着く。
 狭く岩がゴロゴロした山頂は登山者で一杯だった。浅間山は見えているよ
うであるが、よく分からない。天神平方向に見えているのは赤城山である。
一ノ倉沢を見下ろしながら昼食をとってから歩き出す。少し下ってから岩稜
を登り、トマノ耳(m)に着く。オキノ耳と同じような山頂は、同じように
登山者で一杯であった。天神平に下り、ロープウエイで下まで降りるだけで
ある。

337聖岳・赤石岳・荒川岳縦走前川整洋 10/7-12:23

平成20年 7月26日〜8月1日
聖岳・赤石岳・荒川岳とも2回づつ登っていますが、百間平には行っていなかったことと、赤石岳と荒川岳に登ったときは、まだ俳句を作っていなかったということから、これら三山を縦走することにしました。
百間平は期待以上の三千メートル級の別天地でした。赤石岳と荒川岳の360°の展望も豪快の一語に尽きました。
 近年は二軒小屋までリムジンバスは入るようになったので、かつてほど困難な山域ではなくなっています。今年は井川駅近くでの土砂崩れで、路線バスが運行中止だったので、伊那谷の平岡から入山しました。
コース:
 平岡駅(泊) =  便(たより)ヶ島 〜 薊畑分岐 〜  聖平小屋(泊) 〜  薊畑分岐 〜  聖岳  〜 兎岳 〜 小兎岳 〜 中盛丸山 〜  百間洞山の家(泊) 〜 赤石岳 〜 大聖寺平 〜 荒川小屋(泊) 〜 前岳 〜 中岳 〜 悪沢岳 〜 千枚岳 〜 分岐 〜 二軒小屋ロッジ (泊)= 静岡駅

 平岡駅には温泉ホテルが併設されていて、三年前の光岳・聖岳縦走のときと同ようにこのホテルに泊まった。翌朝は5時50分、タクシーで出発。1時間10分ほどで登山口の聖光小屋に着く。登りだしてすぐに沢沿って水平に進んでから沢に出る。ロープに吊るされた金属製の籠に乗り、ロープを引っ張り沢を渡る。かなりの力仕事であった。対岸にいた二人は歩いて渡ったが、一人は足を濡らしてしまったとのことだった。
 造林小屋を過ぎてからは、針葉樹林のなかの急登がつづく。雷雨が降り出すが、雷鳴は頭上ではないようなので、そのまま歩く。午後1時40分、薊畑分岐に着く。雨は止んだが、ガスの中である。
 路線バスが運行中止にもかかわらず、聖小屋は満員に近い状態だった。
 翌朝は4時48分に出だす。昨日の薊畑分岐を過ぎる。岳樺もなかの急な登りから森林限界に出る。兎岳のきりりとした山容が見えた。小聖岳に着く。崖伝いを進み、広々とした斜面を登り、7時31分、聖岳山頂(3013m)に着く。ガスのなかで今回も展望はなしだ。まだ、奥聖岳に行っていなかったので、奥聖岳に向かう。ゆるやかに下り、奥聖岳山頂(2978m)に着く。山頂らしからぬ山頂であった。聖岳山頂に戻ると、赤石岳が見えていた。
     いつの間に夏雲払ひ赤石岳
兎岳に向かう。稜線伝いを歩いていると、潅木に遮られ道がなくなる。前の中年女性の二人連れはそのまま行っているので、強引に前進する。女性二人と初老の男性が立ち止まっていた。ガレ場を私が偵察して、踏み跡はあるが道ではなさそうなので、全員が反対側の急斜面を下る。まもなく登山道と合流した。鞍部から兎岳への急坂を登る。ふり返ると聖岳の稜線から直角に曲がっている道が見え、そこで道から逸れたと分かった。兎岳山頂の展望はガスでなし。
小兎岳の登りも急坂であったが、山頂は晴れわたっていて、聖岳と赤石岳を目の当たりにすることができた。
    夏空や聖赤石岳ならぶ
中盛丸山への登りもなかなかの急坂であった。中盛丸山を越え、大沢岳を巻く道に入り、3時01分、百間洞山の家に着く。山奥の奥といった所であるが、こざっぱりした山小屋であった。
翌朝は4時50分に出さす。這松の岩塊地帯を登り、這松林の平坦地で出る。ここが百軒平であった。日本庭園風である。正面に赤石岳、左側に中央アルプスが拡がっていた。
    日盛りもしつとりとして百軒平
 稜線伝いを登る。ふり返ると兎岳、小兎岳、中盛丸山、大沢岳とユニークなピークが連なっていた。岩塊斜面を登り、平坦地に出る。稜線伝いを行き、7時21分、赤石岳山頂に着く。登山者で一杯である。南アルプスがほぼ全山、北岳は間ノ岳の陰であるが、見渡せた。
   炎天下重くゆるやか聖岳
 今日は荒川小屋、明日は二軒小屋ロッジに止まる予定である。

336現代詩創作集団「地球」研究会8月29日前川整洋 9/3-12:09

現代詩創作集団「地球」研究会が8月29日、北浦和労働会館で開かれました。
山岳詩の第一人者である秋谷豊代表の挨拶では次の話しがありました。昨年の夏は中国の昆明、麗江、シャングリラを訪れ『第10回アジア詩人会議』に参加した。日本側からの参加者は34名、中国側からは21名であった。今年の5月16日(金)〜19日(月)に韓国での「日韓文化交流―アジアの詩に集い」にも大勢が参加した。来年は地球環境をテーマに扱う。
石原武氏からは、「日韓現代詩交流」の談話があり、内容は中国や韓国の代表的な詩人との交流の逸話や裏話などでした。いろいろな感動的な交流が行われてきたことを知りました。
 『地球146号』掲載詩に対し、鈴木豊志夫氏、鈴木正樹氏、大石規子氏、谷口ちかえ氏による詩評がありました。印象に残った指摘として、次のことを挙げておきます。
・詩「長江第一湾」、ここは観光名所としては、川があるだけ。歴史的にはいろりろあって、ナシ族の集落もある。観察眼の鋭い紀行詩となっている。
・詩「地図にないシャングリラ」は、現地に行く前に構成してあったのでは。想像が羽ばたいている感性に溢れている内容である。紀行詩はこうしたらいい、とは言いずらい。
・短編詩。異質の言葉を衝突させる。心のスケッチ。具象のようで抽象。
・人の言葉は、短いと効果があるが、長いと説明的となる。
・主題からそれたところは、できるだけとる。
・詩「闇をほどいて」は、生と死についてデリケートな筆致で書いている。最後の句は言いすぎでは。
・「千の風になって」の反歌のよう。
・「主があたえて/主がとりたもう」は宗教的。こういう句があるときは、全体的にもっと強い表現にすべき。
・詩「カメバチのためのエチュード」は、記録と観察でつづられている。「カメバチ」はスズメバチのこと。
・時代のことを書いているが、一般論になっている。個別のことを書かないと。「が 私のからだから/育ったふるさとのにおいは/少しずつ消え」、ここにこだわり、時代と対峙してほしかった。
・詩「折れるひと」は題に惹かれたが、「折れる」だけでもよかった。
・クマゼミのニュースを本質に向かって詩にしている。ユーモアを交えての文明批評になっている。
・詩「響き」は合唱曲にすると生きる。
・全文平仮名書きは抵抗感をもたせる意味があるが、その意味が薄い。
・最初にいい詩を書こうとするのではなく、自分の書きたいと思うことを書く。
・詩「町の灯」という題名は、チャップリンを連想する。
・「白が 白色でありえない」は具体的でなく、その後の「ました赤では 全くない」は損、無彩色で押すべき。「褐色は枯葉の色/滅びの色」は主観が強すぎる。

『地球146号』には拙作「聖(ひじり)岳」が掲載されています。この詩についは大石規子氏の次の批評がありました。
 山に登らない人にも分かるように書いてあって、山に連れて行ってもらっているよう。「聖」にこだわって書いている。「世俗」と「自然空間」の対比も分かりやすかった。

335衆生の倫理前川整洋 6/25-19:59

『衆生の倫理』発売記念公開講座
6月23日(月) 新宿住友ビル7F 朝日カルチャーセンター
『衆生の倫理』の著者で文芸評論家の石川忠司氏と小説家の保坂和志氏との
対談形式の講義
サブタイトル:現代に生きる倫理とは

4月から石川忠司先生の現代小説塾を受講しているので、新しいことも知り
えるであろうと上記講座を受講しました。サラリーマンはコンプライアンス
の語をよく耳にします。企業はコンプライアンス(法令遵守)優先の経営が
求められていますが、コンプライアンスも倫理の大枠の一画です。メモ書き
のレベルですが、講座の内容は次のようでした。

孔子は論語しか書いていない。― 伊藤仁斎(江戸前期の儒学者)の指摘
論理的に演繹する、これは孔子ではない。
友あり、遠方より来る。― ただ学問は楽しい。理由づけはしない。

倫理の本質 ― 何故かと説明できない。説明できたら、それは弱いものと
なる。
その外のあるものは弱い。
小説を読む、その外に価値を創らない。
面白さは解説できない。
小説を精神分析や脳科学で解説するようになってきた。しかし、精神分析は
文学から導いきたものである。それによって文学を解説することはできな
い。

倫理の根拠は、倫理にしかない。
孔子という人間の力。
漢文で表記していることが重要。
言葉自体で完結している。
二葉亭四迷 ― 口語体で内面を微妙なところまで表現できるようにした。
一方では、端的さを失うという弊害もあった。
話し言葉 ― 同じ地平で回っている。
漢文 ― 別の地平でも回っていて、上書きも行える。

ニーチェの永劫回帰 ― この人生で解決しないと、次の人生も同じことに
なる。
時間も場所もまったく同じ人生のくり返し ― くり返す意味がない。
ダライラマの生まれ変わり ― 信じている人もいる。保坂氏は単なる世襲
と思っている。
三島由紀夫の『豊饒の海』 ― 生まれ変るという決め事のなかで書いてい
る。

現実的な利害があって、フィクションと現実の峻別を意識する。
保坂氏は、そうではなく、利害ではなく、高いところ行かなくてはならな
い、との考え。

科学 ― 一定の手順を踏めばいくらでも反論できる。

小説を書く ― 保坂氏は、向上するためのもの、修業と思っている。

私は中学時代にいじめられっ子だった。エッセイでは、事実そうでなければ
書いてはいけない。
小説では書けるが、そのなかで、そうであったことがわかるように書いてな
くてはならない。

自然と風景 ― 戦時中にチベットに潜伏した西川一三(かずみ)は、ヒマ
ラヤの景観を宇宙の真実、と書いている。保坂氏は、これには共感できると
して、宇宙の真実とは、内容ではなく、風景そのもののことであり、忘れら
ない風景については、一生他はいらないと思えるほどのものである、として
いた。
自然の風景は、深淵な思想である。きれい、美しい、胸をうつ、これには個
人差はない。思った瞬間は、万人に共通している。これは心理を入れる器で
もある。
石川氏は、足立区に生まれ育ったことから、汚れてはいても綾瀬川に宇宙の
真実を感じる。何故かの質問がでたが、素晴らしい音楽を聞き終わったと
き、音楽の落しどころは説明できない、綾瀬川には生きている所の落しどこ
ろを感じる。
PM7時にはじまり、終了予定時間はPM8時30分であったが、PM9時を過ぎ
ていた。あとはもろもろに質問がつづいてから散会となった。

334明治神宮の菖蒲園前川整洋 6/16-20:37

6/13(金)、休暇をとって明治神宮の菖蒲園に行って来ました。毎年訪
れているのですが、昨年は永年勤続休暇での東北登山で行っていません。東
北地方は大地震で厳しい事態となっています。栗駒山周辺が特に被害が大き
いようですが、街中での倒壊した家は少ないようです。今回の地震は街よ
り、山の方が大変だったようです。
 今年の菖蒲は、日射の強さのためか、今ひとつ力強さに欠けていたようで
もありました。
   花菖蒲日射となにげなく対峙

333「薬師寺展」前川整洋 5/25-20:47

5月23日(金)は休暇をとって上野国立博物館の「薬師寺展」に行ってき
ました。山は一日がかりですが、見学は半日ですむので気軽に訪れたわけで
すが、50分待ちの立札に一瞬エッとなりました。日傘のサービスは、助か
りました。45分で入館できました。昨年のダビンチの「受胎告知」は30
分くらい並びましたが、イタリアまで行くことを思えばやむえないといった
ところです。奈良まで行けば見れるのに、何もこんなに並ばなくてはと驚き
ました。お年寄りが多く高齢化社会がここにも現われている様相でした。
   並びゐる薬師寺展を汗だくで

 薬師寺で2度見たことがありましたが、お寺で見学したときは、金堂内の
雰囲気に紛れていたようで、今回の方が高い地点からも見れて迫力がありま
した。
   黒光りして月光菩薩聖五月

 山登りと仏像とは関係はありませんが、中高年に人気があることは共通し
ています。かつては登山が信仰であったこともあります。

332「うれしの百人一句」前川整洋 5/18-14:25

嬉野温泉の「うれしの百人一句」に、次の句で入選しました。
   新茶煎れ高原の色いっぱいに

http://www.spa-ureshino.com/ataka/index.htm
→「うれしのあったかまつり 第8回入選句発表」
 2メートルある燈籠に各入選句が、掲載されました。かなり大掛かりなお
祭りのようです。5月連休のは由布岳を登ってから、雲仙岳にも登りまし
た。嬉野市は長崎県に近い佐賀県内にありますが、時間がなくて立ち寄れま
せんでした。


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