旧掲示板(本掲示板は書込み不可です。新掲示板をご利用下さい。)
10記事ずつ表示
[新規投稿] [ツリー表示] [番号順表示] [タイトル&コメント]
[前の10記事][次の10記事]
10 / 30

275南木曽の恵那山前川整洋 5/19-20:03

平成19年 5月2日〜4日
 恵那山(2191m)は中央アルプス、すなわち木曽山脈最南端にある山
で、観光地として有名な馬籠からひときわ大きく見える山です。
 予想外に雪が多く、多少よれよれの登山でした。昨年は雪が多く5月連休
に遭難騒動がありましたが、今回以上多いとなると、遭難はあってもおかし
くないような山です。北、中央、南の日本アルプスが見渡せました。北アル
プスは霞んでいてはっきりしませんでしたが、中央、南アルプスはほぼ全山
が見えました。アップダウンも多めで少々きつめの山であったようです。

コース:
 中津川駅 = 神坂峠 〜 萬岳荘(泊) 〜 神坂峠 〜 鳥越峠 〜
 大判山 〜 分岐 〜 山頂小屋 〜 恵那山 〜 山頂小屋  〜  
分岐 〜 大判山 〜 鳥越峠 〜 萬岳荘(泊) 〜 富士見台ロープウ
ェイ = 園原 = 昼神温泉 = 八王子中央道

 JR中央本線・中津川駅でタクシーに乗り、神坂(みさか)峠まで乗る。霧
雨のなか林道を約8分歩き萬岳荘に着く。石油ストーブの炊かれた管理人室
で談話してから、足慣らしに富士見台のピークに登る。丘陵のような広々と
している所ではあったが、風が強いだけで展望はなかった。
 翌朝は山荘を5時に出だす。神坂峠から山道を登る。緩やか登り小ピーク
に着く。御岳山、中央、南アルプスが見渡せた。下りとなり鳥越峠に着く。
水平な道が続き、猩々袴が咲いている。
     ここからはまた登りだす猩々袴
 登りとなり、登りが長く続き大判山の着く。比較的近くには御岳山。北、
中央、南の日本アルプスが見渡せる。沼津から車で来たという青年が登って
きて、先に行った。下ってから登り返し、天狗ナギのピークを越える。崖沿
いの稜線伝いを下る。中津川市外が見下ろせる。登りだし、雪が現われる。
ここで軽アイゼンを付ける。
 雪に埋もれた山腹斜面を登る。登りはじめた緩斜面の所で、雪がこ凍って
いる所では踏跡がなく、再三コースから逸れるが、枝に赤いリボンがついて
いて何とか進める。急斜面から稜線上の分岐に出る。ここからはほとんど登
らずに進み、少し下ったところに山頂小屋があった。小屋周辺には登山者が
多くいる。最短コースの広河原登山口から登ってきたようだ。
     残雪に道を求めて恵那山かな
 緩く登って、10時50分、恵那山山頂に着く。木造りの櫓の展望台があ
った。展望台からの眺めは、いくらか木々がかっかていた。

274能と猿楽前川整洋 5/12-10:40

 勤務先での能観劇募集の抽選には外れてしまいました。いろいろ勉強していないと理解しがたい演劇なので、焦らずに行こうと思います。とりあえずドナルド・キーンの『能・文楽・歌舞伎』を読んでいます。キーン先生の探求の後を辿る妙味があります。能はドラマ性の希薄な演劇ですが、能の成り立ちはドラマそのもので、この逆転劇には少なからず驚きました。
 能は観阿弥、世阿弥の親子が、猿楽から発展させたものです。猿楽については大陸から伝わった散楽が、我が国オリジナルの猿楽となったもの。猿楽は、横浜文学学校で合評・講評のあった小説『赤松女囃子』のドラマの基軸になっていて、受講生には多少馴染みがあります。猿楽が舞踊をまじえた劇であるのに対し、能はストーリーを簡略化して詩的表現化された舞踊主体の劇です。
 猿楽の能へ転機を、次のように書いてありました。
 「一三七四年、時の将軍、足利義満が、京都の今熊野での上演を観賞した際に、転機が訪れる。猿楽が能として高められる時が来たのであった。当時四二歳であった観阿弥は翁に扮し、息子で後の世阿弥が千歳を演じたのだが、これにすっかり魅了された義満は親子への後援を申し入れたのである。こうして、それまで一座と共に地方を廻って文盲の農民を相手にしていた観阿弥は、宮廷の保護を得られるようになり、これによって最も洗練された観客のためにの創作が可能になったのである」
 能は足利家のステイタスであったといえそうですが、6代将軍・義教は田楽を重んじ、世阿弥に憎しみをいだき、70歳を越えていた世阿弥を佐渡に島流しにします。義教は『赤松女囃子』において暗殺されるあの足利将軍です。この事件は、『能・文楽・歌舞伎』には次のように書かれています。
 「猿楽観劇中に起きた義教の暗殺という蛮行は、幕府にとって不穏で深刻な脅威を示していた」
 暗殺後の幕府内部の切り崩しや、足利家の権威がまだ絶大であったことなどを考え合わせると、義教暗殺は大がかりなプロジェクトと連携がなくてはなしえないように思われました。しかしながら、『赤松女囃子』のストーリーのように、一気にしかも怒りにまかせてそうなってしまったのかもしれません。
 能の発展にはいろいろなドラマも織り込まれている、といえそうです。

273「能」について前川整洋 4/22-14:24

勤務先で能公演の観劇参加者(2名)の募集がありましたが、せっかくのチ
ャンスでも観劇しても分からないのではの不安がありました。不安ながら応
募に申し込むことにしました。昨年は、現代詩創作集団「地球」同人の方か
ら能を題材にした詩集『瞼を彩りて消えず』(能楽書林)をお送り頂き、ま
た、能の解説書も一冊読みました。ドナルド・キーンの『能・文楽・歌舞
伎』(講談社)も購入してありましたが、まだ1ページも読まないままであ
ったので、この機に手にとってみました。序文には、キーン先生は子供の頃
から観劇が好きであったからはじまっていて、能については次のように書い
てありました。
 「能の写真を見た覚えはなかいが、レコードで能を初めて聞いた時の驚き
が忘れられない。能の翻訳を読んで囃子の音楽を想像し、ドビュッシー風の
か細い旋律が遠いあの世から聞こえてくるかと思ったのが、鋭い鼓(つづ
み)の音や奏者の荒い掛け声が響きわたりびっくりさせられたからである」
 本文は次のインパクトのある書き出し、「能という言葉は才能を意味し、
ひいては演技における能力の輝きを意味する」ではじまり、能とギリシャ劇
の違いを次のように端的にまとめてありました。
・ 能は日本の宮廷の一握りの貴族のために書かれたものである。このこと以
上に基本的に異なることは、能においてはすべてが結末のようであり、数々
の場面を区切るのは異なる調子をもった音楽である。
・ 能においては、主人公は劇が始まる前に死んでいることが多く、結末には
戒めというよりも生の苦しみからの解放が暗示されている。
・ 能に出てくる者たちは美しい影以上のもではなく、束の間にほとばしる感
情を体現したかのような存在である。

 「地球」同人でもある辻井喬さんは、地球誌に「能狂言を見れば、そこに
はシュイクスピアも驚くようは劇的な空間があり」と書いています。観劇す
ることよりも、論じることに興味がもてる観が、私にはあります。抽選に当
たり観劇できることになった場合は、さっぱり分からなかった、という情け
ないことにならないようにしたいと思います。

272詩句チェック前川整洋 3/24-21:57

3月15日の横浜文学学校・講評において宮原昭夫先生から詩句をミスプリ
ントしているのではないか、との箇所を指摘いただき、それらについて調べ
ました。

尾崎喜八の詩「アルペンフロラ」
「たやすく己れを興へ去ろうとする時、」
の興は、与ではないかとの先生の指摘でしたが、確かに与で、興ではなく與
でした。与または與であると、聖書的な詩句といえるようで、世俗の埋没す
るといった意味ではないかと思われます。

尾崎喜八の詩「美ヶ原熔岩台地」
「秋の雲の砲煙がどんどん上げて、」
の「砲煙が」も先生の指摘どおり「砲煙を」でした。

 詩「アルペンフロラ」について改めて調べたとき、串田孫一・鳥見迅彦編
『山の詩集』に、「アルペンフロラ」は、自然と倫理とがうつくしい形で調
和し統一された尾崎詩法の、これは一つの典型といえるだろう、と書いてあ
りました。
 「アルペンフロラ」は2連からなっていますが、初めの連では、岩稜に小
さく煌く高山植物が鮮やかに描写されていて、後ろ連で作者が出てきて朗々
と謳いあげています。私の詩法からは、後半の連は一般論的でなくてもいい
ようです。

271迷宮美術館のオルセー美術館展前川整洋 3/17-21:06

3/16(金)放映のNHK・迷宮美術館でオルセー美術館展の印象派絵画
にまつわるエピソードが紹介されました。画家たちの交流が活発であったか
ら、エピソードが残されたもの思います。ルノアールの「ジェリー・マネ」
の少女は、マネの「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」のモリゾの娘
であることを知り驚きました。ルノアールとモネが親しかったのも意外なこ
とでした。絵が描かれたときの事情も知っていると、味わいが深まるといえ
そうです。もう一度、オルセー美術館展を見学したいところですが、時間が
なさそうです。
 先日の横浜文学学校の合評・講評作品のなかでの尾崎喜八の詩「アルペン
フロラ」の鑑賞文で、「全体にわたって印象派の絵画とも共通する表現感覚
がある」としました。これに対し、そうは思わないとの意見がありました
が、この箇所は私の印象派絵画への思い入れの顕れにすぎないのかもしれま
せん。

270アルペンフロラ前川整洋 3/11-14:55

横浜文学学校・合評において尾崎喜八の詩「アルペンフロラ」のアルペンフ
ロラはそいう花があるのかどうか、宮原昭夫先生から尋ねられましたが、私
としてはアルペンフロラという花があると思いこんでいました。2連からな
るこの詩の後の連は次のように書かれています。
     アルペンフロラ
              尾崎喜八
   ―略―
凛々たるアルペンフロラ!
世に狎(な)れしたしみ、 
たやすく己れを興へ去ろうとする時、
自己内心の最も貴きものを護るため
わたしの見る清らかなヴィジョンはこれだ。

アルペンフロラは、厳密にはアルペンフローラです。インターネットで調べ
ると、マイセンのコーヒーカップに花柄模様のアルペンフローラがあり、国
内ではペンションの名になっています。言葉通りのアルプスの花ということ
が分かりました。他方、わが国では、北アルプスの花、白馬岳の花、八ヶ岳
の花、大雪山の花、早池峰山の花などといった詩で、広く知られた詩はない
ようで、何処そこの花として、ある種の花々が浮かんでくることはないよう
です。この詩のアルペンフローラは高山植物を指していますが、アルプス地
方においては牧草地や山麓の花も含んでの言い方かもしれません。
 上記の崇高な語り口からは、固有の花があるかのように受け取れます。詩
は言葉の多義性や曖昧性を利用してイメージや新しい意味を作り出すもので
す。アルペンフロラもそのような花があるような、ないような漠然としてい
てもよいようにも思われます。

 それから串田孫一の詩「落葉松の林」に出てくる延齢草ですが、改めて調
べてみると、山林に生息していて、先端の大きな3枚葉の先に小さな紫褐色
の花を1つつけ、胃腸薬にもなるが毒性があるということです。枯淡の林の
情景を思い浮かばせられるかなり地味な花といえそうです。

269足利氏について前川整洋 3/5-19:57

先日の横浜文学学校の合評・講評作品で足利幕府6代将軍の義教暗殺が扱わ
ていました。応任の乱前にこのような事件があったとはショッキングでし
た。
 足利氏は新田氏とともに、源義家の末裔ですが、足利氏こそが源氏の後継
者とみなされていたようです。新田氏の始祖・義重が頼朝の怒りを買ったた
め鎌倉幕府に冷遇された経緯があったからです。鎌倉末期に足利氏は全国に
30数ヶ所の所領をもっていたのに対して、新田氏の所領は上野と越後の2
ヶ国だけで、格と力の差は歴然としています。
 源頼朝も、足利尊氏も優れた政治家ではありますが、戦ではまれにみる凡
将とされています。他方、伊豆で挙兵し大敗した頼朝は、房総に逃れ、そこ
で大軍勢にふくれあがる。負け続けて九州に逃れた足利尊氏もそこで大軍勢
にもち直し、都まで勝ち進む。源氏の権威とはそういうもののようです。
 そういった歴史を背負った将軍が暗殺される、真相はこれからの問題のよ
うです。実朝暗殺は有名な史実ですが、近年は頼朝暗殺説も信憑性がもたれ
てきていて、源氏嫡流の歴史は暗殺の歴史ともいえそうです。

268アーダルベルト・シュティフター前川整洋 3/4-18:59

横浜文学学校・合評において尾崎喜八の次の詩に出てくる「アーダルベル
ト・シュティフター」は何か、と宮原昭夫先生から尋ねられましたが、私と
しては、なにやわ分からないドイツ語がでてきて、硬派の岩の雰囲気をだし
ているとしか考えていませんでした。

   槍沢の朝
                    尾崎喜八
   ―略―
ふと、「とりどりの石」(ブンデ・シュタイネ)という言葉が唇にのぼっ
た。
それと同時に、この爽やかな堆石の上で、
アーダルベルト・シュティフターという名の意義が
突然はっきりと理解された
   ―略―

 ところが、インターネット・フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』で調べたところ、以下のようなことで、「とりどりの石」に
ついては短編集の表題にあったので、溜息がでました。

アーダルベルト・シュティフター(Adalbert Stifter, 1805年10月23日 ボヘ
ミア・オーバープラーン Oberplan(チェコ、ホルニー・プラナー Horní
Planá) - 1868年1月28日)はオーストリアの画家、小説家。
画家を兼ねているためか、彼の小説における自然描写は細やかで静謐、そし
て美しい。彼は「芸術は貴い崇高なものである」「偉大なものは、劇的なま
れにしか起こらないことよりも、ささやかでありふれた日常的なものにこそ
あらわれている」と考えていた。このため、彼はありふれたもの・普遍的な
ものを通して、高貴さ・偉大さを表現しようと努めた。英雄の超人的な行為
よりも、ありふれた人々の日常的な行為にあらわれた、質素・節度・克己を
小説の題材として選んだ。
シュティフターの小説にはささやかな出来事や普通の人々しか出てこない。
そのため、同時代の人々にはつまらないと批判されていたようである。確か
に、劇的なできごと、英雄的な行為、あっと驚く結末を小説に望む人々に
は、シュティフターの小説はつまらないものでしかないだろう。しかし、か
なたにそびえる雪を頂いた山々、疲れて眠りこんだ子供たちのあどけなさ、
少年の日の思い出、これらを愛する心を持った人は、きっとシュティフター
の小説が気に入るだろう。
主な著作
○Studien 習作集(短編集)
・Der Kondor 禿鷹
・Feldblumen 野の花
・Die Mappe meines Urgroßvaters 曾祖父の書類入れ
・Die Narrenburg 愚か者の城
・Abdias アプディアス
・Das alte Siegel 古い封印
・Der Hagestolz 男やもめ
・Der Waldsteig 森の小道
・Zwei Schwestern 二人の姉妹

○Bunte Steine 石さまざま(短編集)
・Granit みかげ石
少年の日、家の前にあったみかげ石に座って通りを眺めていた作者におこっ
たちょっとした出来事と、それをきっかけにして祖父から聞くことができ
た、村に伝わる古い話についての物語。
・Kalkstein 石灰石
測量をなりわいとする主人公が、ある荒地で出会った牧師についての物語。
牧師は清貧に慎み深く暮らしている。上着は何十年前に仕立てたものかわか
らないぐらいである。しかし、常に一見してわかる高価な肌着を着けてお
り、しかもそれを恥じて隠している。牧師の死後、その秘密が明らかにな
る。
・Turmalin 電気石
・Bergkristall 水晶
シュティフターの最も有名な作品。山村に住む兄弟
が、峠を越えて祖父母を訪ねた帰り道、降りしきる雪に道を見失い彷徨う。
妹を気遣う兄、無心に兄にしたがう妹、静かで荘厳な自然描写が美しい。
・Katzensilber 白雲母
・Bergmilch 石乳
祖先から城だけを受け継いだ、貧乏貴族の物語。独身の主人公は城に支配人
の家族とともに住んでおり、彼は支配人の子供たちを、自分の子供であるか
のようにかわいがっていた。子供たちの最年長者である長女が美しく成長し
たある日、ナポレオンに率いられたフランス軍がオーストリアに攻め入り、
主人公の城も、戦争に巻き込まれそうになる。そこへ、よんどころない事情
により、ドイツ人にもかかわらずフランス軍に味方せざるを得なかった青年
将校が飛び込んできて、主人公たちに強烈な印象を残して去っていく。

私も槍沢には、学生のとき秋、そのあと夏にも登りました。そのときの句で
す。
   槍沢の一切が岩秋澄めり
   炎天の槍沢登路槍見えず
槍沢といえば、登れど登れど槍が見えず、雪渓を登り終えて、岩塊斜面でや
っと槍の穂先が見える厳しい登路です。

267俳人・飯田龍太逝去前川整洋 3/3-13:48

現代俳句の第一人者、飯田龍太さんが死去(読売新聞HPより)
現代俳句の第一人者で、山村の風物を鋭敏な感覚でとらえた俳人の飯田龍太
(いいだ・りゅうた)さんが、25日午後8時35分、肺炎のため甲府市内
の病院で死去した。  
86歳だった。告別式は3月6日午後1時、同市南口町1の29アピオセレ
モニーホール天昇殿。自宅は山梨県笛吹市境川町小黒坂270。喪主は長
男、秀實(ひでみ)さん。
 俳人・飯田蛇笏(だこつ)の四男として同県旧境川村に生まれた。国学院
大学国文科に進み俳句を始め、戦後は蛇笏が主宰する俳誌「雲母(うん
も)」の編集に携わった。30歳の時の句「紺絣(こんがすり)春月重く出
でしかな」が称賛され、1954年に第1句集「百戸の谿(たに)」を刊
行、甲斐の自然に深く根ざした清潔、孤高の句風を確立した。代表句に「一
月の川一月の谷の中」。
62年、父の死去にともない「雲母」主宰を継承。92年、同誌を通算90
0号で終刊した後は、俳壇の第一線を退いた。57年、現代俳句協会賞。6
9年、句集「忘音」で読売文学賞。81年に日本芸術院賞恩賜賞。83年紫
綬褒章。84年から日本芸術院会員。句集に「童眸(どうぼう)」「麓(ふ
もと)の人」「山の木」「遲速」など。2005年に全10巻の全集が刊行
された。
(2007年2月27日21時43分 読売新聞)

飯田龍太先生の俳句会「雲母」を引き継いだのが、私が所属する俳句会「白
露」です。先生はNHK俳壇やNHK学園の講師もされていとことから、私もいろ
いろ勉強させて頂きました。登山はされなかったようですが、南アルプス山
麓に住まわれていて、山の名句も多く残されています。龍太俳句は、平明そ
うな表現に、象徴性が強く難解な句が多いという印象をもっています。代表
句に次の句があります。
山河はや冬かがやきて位につけり
一月の川一月の谷の中
雪山に春の夕焼け瀧をなす
雪の峰しづかに春ののぼりゆく
暑き餉や田に山脈の腕ひらく
夏川のみどりはしりて林檎の國
秋嶽ののび極まりてとどまれり

私も哀悼の句を作りました。
龍太逝く山の満作まだ散らず
音たてず来る春雪崩龍太逝く
                         合掌

266オルセー美術館展前川整洋 2/25-17:36

先々週になりますが、東京都美術館で開催されているオルセー美術館展に行
ってきました。かなりの混雑ぶりで、人垣から垣間見ているようでした。目
玉とされる絵は、ゴッホの「アルルのゴッホの寝室」です。この絵には、私
も凄く期待していましたが、黄色の色調に弾んだリズム感があるとともに、
壁の薄いブルーに囲まれた部屋には独特の落ち着き、悠久の落ち着きが醸し
だされていました。
 NHKの番組「迷宮美術館」でも紹介されたマネの「すみれのブーケをつけた
ベルト・モリゾ」も、美と知が一体となった美しさがありました。その番組
からベルト・モリゾはマネの弟子の画家であることに驚くとともに、黒を重
視したマネは、白の色調を好んだモリゾをうとんじたという逸話にも興味が
わきました。


10 / 30
[前の10記事][次の10記事]
[記事検索] [カスタマイズ] [記事管理] [過去の記事] [トップへ]