西上州・角落山の俳句 へのコメント
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前川整洋さんは No.103「西上州・角落山の俳句」で書きました。 >YAHOO掲示板>スポーツ>アウトドア>ウォーキング、トレッキング>山ハイ >http://messages.yahoo.co.jp/ >fukuさんこと福澤さんのYAHOO掲示板投句と「遊歩俳句大会」作品埼玉県の >句の類句説を紹介します。 > >@氏子等の清掃山行神の留守 ………… 福山人 >A尾根径に雨具の列や初時雨 ………… 福山人 >Bさくさくと落葉絨毯女坂 ……………… 福山人 >Cしほりにと拾いて挿む紅葉の葉 …… 福山人 >D舞ひ落葉徳利持込む露天風呂 ……… 福山人 > >先日、西上州の角落山から帰って来て作りました。 >@ は“陰暦神無月”と“鬼の角”とに掛けて作りました。 >A この処の雨を引っ掛けて作りました。 >B は角落山の女坂を通ったので作りました。でも女坂とは云え、大小の石と >落葉絨毯では、これに雪が積もると決して安心なコースとは思えませんでし >た。 >“さくさくと”と云う形容表現にに一寸主観表現?の疑問が残ってます。 >C はありきたり過ぎて、重み?が無い句だと自ら思ってます。ひねりが足り >ない? >D は湯と酒の好きな人を思い出して作りました。現に湯殿の入り口で酒を売 >っている湯宿も有りますね。 > >Shikinoyama(私のハンドル名)さん、いつもご指導有難う御座います。 >ご披露頂いている「遊歩俳句大会作品集」ですが、埼玉の >歩いても歩いても春の長崎坂ばかり ……… 五郎丸直彦 >山頭火の“わけいってもわけいっても……”が頭から抜けません。 >類句みたいに感じちゃいました。 >上5が10文字なのでやはり自由律となるのでしょうか? >ビギナーには、やはり有季定型の方が馴染めますね。 > >fukuさんの掲句は、いい感じでできていると思いました。しかし、3句目以 >外はもう一息です。 >1句目の神の留守は、直接的すぎます。神無月は一般的な季語ですが、こち >らの方が無難です。山行は字余りなので、登山にしました。 >2句目の雨の列だけで登山者も描くのは少々無理なようで、また動きが感じ >られず、貼り絵のようでもあります。 >3句目は佳句になっていますが、落葉と絨毯が切れないようにしました。 >「さくさくと」は共感が得られるので、主観客観の問題はないと思います。 >4句目は類句が多いので、もう少し具体的にしました。 >5句目の「持ち込む」は「酌む」と具体的にしました。 > >@氏子等の清掃登山神無月 >A登山者の雨具の列や初時雨 >Bさくさくと落葉の絨毯女坂 >C栞にと真っ赤な紅葉拾いけり >D 徳利で酌む露天風呂落葉舞ふ > >歩いても歩いても春の長崎坂ばかり ……… 五郎丸直彦 >分け入っても分け入っても青い山…………. 山頭火 > >fukuさんの鋭い指摘のように、とりわけリズムから訴えてくるものは同じと >もとれます。山頭火の句は、長谷川龍生先生の句評によると、「一般的には >自然の大きさを言っていると思われているが、植林の山が続き、人間社会か >ら逃れられないことを言っている」と、いうことです。この解釈に照らす >と、「歩いても歩いても」坂から逃れられないことになります。その点同じ >と考えられます。しかし、「分け入って」は新境地を切り拓こうという意思 >があり、「歩いて」は街を見学し、何かを得ようとしている、ととれます。 >大枠は同じで、中身にはずれがあります。五七五の解釈は、読者のスタンス >からも違ってくるようです。
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