酸性雨俳句の再検討 へのコメント
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前川整洋さんは No.81「酸性雨俳句の再検討」で書きました。 > 福澤様 > >掲示板への書き込み有難うございます。俳句界では、優れた句を作ることと、沢山 >作ることが求められている現状です。福澤さんの作句ペースは、かなりのもので、 >素人レベルということと思いますが、3年で山岳俳句完成域に達すると豪語されて >います。それも可能なのかもしれません。 > > >原句:病葉や日光の山に酸性雨 >添削句:病葉を見かける山の夏深し >推敲句:病葉の目につく山に踏み入りて > >原句:酸性雨古木巨木を朽ち倒し >添削句:酸性雨に巨木も倒れ夏の果て >推敲句:酸性雨巨木も倒す夏の山 > >環境問題の俳句も、時代の潮流としてこれから多く作られていくべきとは思いま >す。しかし、俳句にはそういう伝統はあまりなかったので、難しいことが多くある >ようです。 >fukuさんの再検討句についてですが。 > >1句目の病葉は「やまいば」と読むと思いますが、夏だけのものであるならば、f >ukuさんの推敲句で良いことになります。 > >2句目は微妙な問題で、俳句愛好者のいろいろな議論からでないと、結論がだしず >らいようです。プロの俳句の先生は、一応に擬人法は、その必然性が無い限り避け >るべき、との考えです。なぜかというと。 >@ 主観的になる >A 作意的になりがちになる >B 飛躍が大きくなりすぎる > >推敲句は擬人法的になっています。「酸性雨は、意思をもって木々を朽ち倒してい >るのではない」、「酸性雨をだしている人間が倒していることになる」、などの裏 >側の問題まで投げかけることになりかねません。情景を描写し、裏側はそれぞれの >読者の意見に任せたほうが余韻の広がりがあるかもしれません。 > >それから、「1句ですべてを表現する」、「数句でストーリーにする」、とケース >バイケースであった方が、読者はいろいろ味わえます。 >
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